クロイツェル

2-2 両性具有

 外界の音が断絶された。しん、として、何も聞こえない。どれほど絶叫をあげても──誰の耳にも届かない。
 圧迫感が全身へのしかかってくるかのようだった。もはや、逃れるすべはない。
 リヒトはあわただしく視線を四方へと走らせた。鎖の音がけたたましく軋る。逆光に照らし出された黒い影が鏡に映っていた。
 反射する白い蝋燭の炎。激しく揺れる影。もがくたび、鎖が鼓膜に突き刺さる音を立てて鳴った。くぐもった怒鳴り声が、逢い引き部屋の厚い布地に吸い取られる。
 おののく予感に全身が冷えてゆく。心臓が、嫌な音を立てて拍動した。
 鎖につながれ、声も立てられず──
 何をされるかを想像するだけで、つめたい汗が滲んだ。
「君を騙して連れてこさせたことについては、もちろん、我々も、心苦しく思っている。もし、このことで気を悪くするようなことがあったとすれば、個人的な立場からではあるが、心からお詫びしたい。よほどのことがない限り、普段はここまで無理をしないからね」
 聖衣の男、アルトーニ枢機卿は、冷ややかなまなじりをつり上げた。
「訓練された”狐”に対する敬意を表してのことだと思って欲しい」
 額に手を当て、しらじらしく嘆息する。とぼけた仕草に辛辣な本心。まさしくロゼルの父だ。
 リヒトはロゼルを睨んだ。いくら命令とはいえ、口添えしてくれてもよさそうなものだ。だがロゼルは口を開こうともしなかった。
「しかし、私とて何も好きで罪人どもを拷問しているわけではない。我が手の鎌は正義の刃。神にまつろわぬ者どもに罪の痛みを知らしめるための刃だ。敬虔を知らぬ麦穂は黒き病葉となる。須く打ち捨てるべし。それだけのことだよ」
 闇の入り交じった笑みが鋼の瞳に浮かんだ。
「さて、おしゃべりはやめて本題に入ろう。君もいつまでも拘束の身では苦しかろう」
 万有知の書《パンソフィア》を細い杖に持ち変える。先のとがった、しなやかな木の杖だった。
「リヒト・ヴェルファー。貴公に対する”告発状”が一通、私の手元に届いている」
 リヒトは息をつめた。身体の奥底がぐらぐらと煮立ったような熱を帯びる。だが反証しようにも口はふさがれていた。火を宿した眼でロゼルを睨み付ける。ロゼルはうつむいていたが、リヒトの視線に気づくと首を振った。黙って聞け、と言いたげだった。
「つまらない内容だ。貴公の故郷である”ロレイア”にて、邪教揺籃の兆しあり。神を信じず、悪魔を奉じ、元王子である貴公を新たなる盟主として闇の王国を建立せんと目論む者がいる。よって貴公もまた同罪として断ぜられるべきである、と。反論はあるかね?」
 リヒトはもがくのをやめた。寝耳に水とはこのことだ。眼を押し開き、愕然とアルトーニ枢機卿を見つめる。
「驚くには値しない。この程度の告発状であれば、君の素性を知った”狐”どもからほぼ毎年といって良いほど寄せられてくる。ほぼ十年間、飽きもせずにずっと。貴公が誰に飼われる”狐”であるかも知らずにな。何事もほどほどにしておくことだ。鋭すぎる牙は折られる。少しは爪を隠せ、リヒト・ヴェルファー。秘密を知られたからといって、おいそれと仲間を殺すのはいただけないな」
 枢機卿は手の中で告発状を握りつぶした。燭台の炎に告発状をかざす。ぼうっと膨れあがる音を立てて、くしゃくしゃに丸められた告発状の表面が炎に舐められた。
 黒と赤の熱気が立ちのぼる。みるみる表面が焦げていった。煙が上がる。枢機卿はこともなげに火の玉となった告発状を中空に投げあげた。炎の玉は煙となって散りながら空中で消えた。ちりぢりの灰が白く降りつもる。
 リヒトは吊り下げられた罪人の姿で身をよじった。鎖が息苦しく鳴る。腕や肩の関節が金属を噛ませたように軋んだ。少し揺れただけでも激痛が走る。平然としてみせるのにも、そろそろ限界があった。
「もちろん、貴公を呼んだのは、こんなつまらない告発状ごときについて云々するためではない」
 アルトーニ枢機卿はおもむろに歩み出た。肩にうちかけた豪奢な聖衣をゆらりとなびかせ、衣擦れの音をさせながら近づいてくる。
 手にした細い杖を持ち上げ、かるく揺らす。骨張った神経質な指先が、杖をもてあそんでいる。
 杖先が、するどい弧を描いた。風を切る音がした。切っ先をレイピアと空目し、慄然と背筋をこわばらせる。頬に乾いた痛みが走った。
 頬の皮一枚が、薄い赤い線をひいて切り裂かれる。
 血が滴り落ちた。
「”邪教を信じる者”の存在は、帝国と、帝国聖教会にとって到底看過できぬ、触れ難き穢れである。その存在、その教義、その歴史。異端というにはあまりにも邪悪なる教えゆえ、教義存在そのものが許されざる罪となる。闇に連なるものはことごとく焼き尽くされねばならない。かの教団が、ロレイアで如何なる罪を犯したか、よもや知らぬはずあるまい」
 リヒトは首を振った。幼くして帝国へ人質に送られた身である。邪教と言われても知るはずがなかった。
「知らない、と?」
 鋼色の眼が狡猾にほそめられる。目尻に鳥の足跡のような皺が寄った。弱き者を慈しむ、柔和な表情。だが眼の奥に秘め隠された光は酷薄な刃そのものだった。
「父上、お待ちください」
 ロゼルが思い詰めた声で遮った。かすかに語尾が震えている。顔が青白い。動揺を押し隠せない様子だった。
「いくら属国ロレイアの出身とはいえ、リヒトは長年帝国のために尽くしてきた特務機関所属のれっきとした帝国軍人です。”教団”とは何の関わりも」
「誰がそう言い切れる?」
 アルトーニ枢機卿は鋭利な微笑をロゼルへと伝い走らせた。指先で杖をしなわせている。
「帝国軍人であることの何が無罪の証明となる? 聖教会の中にさえ、おぞましき異端の子が存在するというのに」
 ロゼルは声をつんのめらせた。
「しかし」
「青二才は黙っていなさい」
 優しすぎる笑みが切って捨てる。ロゼルは青ざめた顔で黙りこくった。
「もちろん、お前の気持ちはよく分かるよ、ロゼル。ヴェルファーは”大切な友達”だ。属州人であれ、帝国人であれ、決して出自で差別することなく、分け隔てなく愛するように、と何度も口を酸っぱくして教えてきたのは他ならぬこの”私”なのだからね」
 哀れみの表情だった。
「だが、もう、そんな悠長な綺麗事は言っておれないのだよ」
 アルトーニ枢機卿はふいに微笑んだ。白眉をひそめる。
「リヒト・ヴェルファー。私が問いたいのは別件だ。我々は、貴公がとある異端の組織《カルト》に関与しているという重大な証言を手に入れた」
 みぞおちを冷たい拳で殴られたような気がした。悪夢の展開だ。
「今日、君をここへ呼んだのは、身の潔白を証明させるためではない。”告白《コンフェッシオ》”させるためだ」
 ロゼルの眼に動揺が走った。どうやら、”我々”と枢機卿が言ったその中にロゼルは勘定されていなかったらしい。初耳だ、と言いたげにアルトーニ枢機卿を見る。
 アルトーニ枢機卿はあからさまにロゼルの視線を無視した。
「ロレイアは、他の国とは違う。特別な国だ。ふつうの人間では到底、ロレイアの闇に近づけまい。国を潰し、民を皆殺しにしても、邪教は残る。ロレイアの闇に魅せられた者どもがいずこよりか寄り集まり、その名を継ぎ、その邪悪を受け継いでゆく。巨大な帝国に巣くい、人知れず広まる風土病のようにね。答えてもらおう。リヒト・ヴェルファー。ロレイアの王子よ。貴公が背負った罪の名を」
 リヒトは身体が震え出すのを感じた。必死に首を振る。
 無罪の人間を異端の罪に問うには、何の証左も必要ない。邪聖裁判では正確な物証よりも聖職者による証言が遙かに重要視される。虚偽の自白に基づくまことしやかな”証拠”など、後からいくらでもひねり出せるからだ。悪魔と通牒した”姦通のしるし”然り。痣、ほくろ、副乳。すべてが異端の証にこじつけられる。
「とぼけるな」
 杖の先がするどくひらめく。左の耳朶を正確に刺し貫かれた。銀の輪ピアスがちぎれ飛ぶ。そぎ落とされた激痛が走った。
 リヒトは猿ぐつわを食いしめた。この太刀筋、ただの聖職者ではない。恐ろしい手練れだ。
 喉の奥から、戦慄のかたまりがこみ上げる。身体がこわばった。
「早めに懺悔したほうが君の身のためだよ」
 アルトーニ枢機卿は、杖の先をひたと頬に押し当てた。柔和な微笑みが場違いにも空気をこわばらせる。
「ロレイア最後の王リドウェルは、”世界を滅ぼしかねない大罪を犯した”」
 枢機卿の唇がゆっくりと動いて、恐ろしい名を口にした。じわり、と、唇の端が笑みの形に吊り上がってゆく。
 愕然とする。
 ”意味”が分からなかった。心臓を冷たい手で掴まれたようだった。
「知っているはずだ」
 何を問われているのかも分からない。
「答えてもらおう。大逆者リドウェルが残した、ロレイアの闇の秘密を」
 答えろと言われても、答えられない。
 リドウェル──ロレイア最後の王。
 今は亡き、兄。
 その禁忌の名が、よもや枢機卿の口から聞かれようとは。
 ロレイアが帝国の手に落ちた日。
 別れ際、最後に抱擁を交わした兄、リドウェルは──
 二度と祖国へ帰るな、忘れろ。そう言った。抱きしめられ、くちづけられて、他の者には聞こえぬさやけき銀の声で、何かを告げた。
 絶望の言葉。あらがえぬ誓いを、強引に口うつしで体内へと流し込まれたように思った。兄の中に潜む魔女が、まがまがしい予言をささやいたのだと思った。兄が兄ではなくなってしまったように思えた。闇を身の裡に孕んだように思えた。
 だから、聞こえなかったことにした。恐ろしさのあまり忘れようとした。

 あのとき、兄は、いったい、何を言い残したのか。
 ロレイアの闇とは、いったい何なのか。

 自分とうり二つな兄のつめたい微笑と、アルトーニ枢機卿の頬に浮かんだ酷薄な笑みとが、ぼやけて重なった。
「どうやら、身に覚えがあるようだな」
 リヒトの表情を窺い見たアルトーニ枢機卿は、満足げに首肯した。指を鳴らす。
「ひん剥いてやれ」
 枢機卿にあるまじき下品な言いぐさに、ロゼルは虚を突かれた表情を浮かべた。
「は?」
「脱がせろ。直接、身体に聞く」
 さすがに動揺したのか。ロゼルは息を吸い止めた。眼を瞠る。かすれた声に、困惑の苦笑が入り混じった。言いよどみつつも反駁する。
「それは、ちょっと、さすがに冗談がきついのでは……?」
「命令だ。早くしろ」
 にべもない命令にロゼルは固唾を呑んだ。
 顔の半分が奇妙な形にゆがんでいる。リヒトは頭を振った。馬鹿。やめろ。従うな──必死のまなざしで訴える。
 ロゼルは顔を引きつらせた。汗をぬぐい、ぎくしゃくとリヒトから目をそらす。
 法衣の詰め襟を、息苦しげにぐいとゆるめる。
「命令だ。許せ」
 ロゼルはリヒトの胸元に手を掛けた。
「……っ!」
 リヒトは首枷に喉が締め上げられるのもかまわず、ロゼルの手を振り払おうとした。何とかはねのけようと身体を前後に跳ね上がらせる。けたたましい金属音が鳴り渡った。
 首枷がなおいっそう喉に食い込んだ。息ができない。目の前が紫色に黒ずんでゆく。
 ロゼルを睨み付け、声にならない声で怒鳴りつける。
 もし、軍衣を取られたら、あの”秘密”を知られ──
「馬鹿。暴れるな。それ以上動いたら本当に首が絞まって血が止まるぞ。別に、その、何もしない。脱がせろと言われたから脱がせるだけだ」
 リヒトはロゼルに抱きかかえられながらも、なおも暴れた。みだらにはだけられた胸元にかかったロゼルの手を振り払う。
 あまりのことに吐き気すら覚えた。焦りで呼吸が千々に乱れる。脳が血液を求めてがんがんと鳴り渡っている。破裂寸前だった。
「落ち着け、リヒト」
 ロゼルはほとほと疲れ果てた、といった顔で吐息をついた。情けない表情をくしゃくしゃにしている。冷や汗がにじんでいた。
 ぐったりと脱力したリヒトに唇を寄せ、声を低くしてすばやく耳打ちする。
「俺だってやりたくてやってるわけじゃ……」
 リヒトは山猫のように暴れ、ロゼルを跳ね飛ばした。アルトーニ枢機卿が、唐突に声を上げて笑った。ロゼルはびくりと肩をすくませた。恐ろしい勢いで振り返る。
「なぜお笑いになるのです」
「いや、何でもない」
 アルトーニ枢機卿は再び椅子に戻った。腰を落ち着け、泰然と足を組む。
「続けろ。若い二人がもつれ合う姿はなかなかに諧謔的で美しい」
「父上……!」
「残念ながら禁欲の誓いを立てた身だ。加わるわけにはゆかん」
 平然と言ってのける。
「神の前に清らかな身であることを証明するのはたやすくとも、人の誹りは処しがたい。特にそういう臭いはね。なぜか敏感にかぎつけられてしまうものなのだよ。敵に背中を見せられるのは失うものがない者にだけ赦された特権だ」
 リヒトはかすんだ眼を押し開けた。歯を食いしばる。耳の奥が、がんがんと破鐘のように鳴っていた。これ以上抵抗するのは無駄のように思えた。ただ暴れても、相手の加虐心を無闇にかき立て悦ばせるだけだ。
 何を問われても、知らないものは知らない。”たとえ、あれを見られても”。それで通すしかなかった。
 ロゼルの手が、ワイシャツのボタンをはずした。逆向きに吊された腕に沿って、軍衣の肩を滑り落としてゆく。
 見られる。
 リヒトはくちびるを噛んだ。ロゼルが、はっ、と息をのむのが感じられた。視線が突き刺さる。
「リヒト、お前、その身体……!」
 見られた。
 秘め隠していた秘密──
 男にしては青白すぎる肌は、ロレイア人特有の肌色だ。闇の中で、ぼんやりと青く、隠微に白く、死蝋のごとく玉光るといわれる。その、金属を思わせるなめらかな肌にまざまざと、狂い果てた父の手によって刻みつけられた血の誓文が書き連ねられていた。兄と二人、否応なく闇へと引きずり込まれ、血肉をえぐられながら背負わされた罪毒したたる十字《ロスクルクス》。
 背中一面に、びっしりと、邪悪な刺青が彫りつけられている。青と、黒と、水銀の魔方陣。二匹の蛇が絡み合い、翼を広げ、輝く星を抱卵している図柄だ。裏返しに刻みつけられた聖刻文字《ヒエログリフィカ》は悪意と嘲笑に満ちた神への冒涜だった。
 ”奇蹟よ、汝の翼の蔭の下で《スブ・ウムブラ・アラールム・トゥアールム・マグノリア》”。
 リヒトは喘いだ。
 心臓が握りつぶされそうだった。
 しかしロゼルの食い入る視線は、別の箇所をつぶさに見ていた。
 うっすらと青みがかった、汗ばんだ光を放つ肌。華奢な肩。くびれた腰。押さえていたタガから解き放たれ、たわわに、扇情的に揺れる豊満な──
「女……?」
「は?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。宙にさまよわせていた視線を、鏡へ向ける。
 ロゼルの視線は、リヒトの背中一面に刻みつけられたまがまがしい青銀の紋章ではなく、鏡に映し出された、露わにされた上半身そのものを見ていた。
 ──揺れる乳房を。
 喉の奥から、押しつぶされた呻きが漏れた。
 耐え難い恥辱に赤く眼を潤ませ、ロゼルを睨み付ける。
 ロゼルは、リヒトの眼に浮かんだ恐怖と羞恥に気づいたようだった。はじかれたように眼をそらす。狼狽した視線があわただしくアルトーニ枢機卿へと移った。歎願の視線が、父である枢機卿の言葉を待ち受ける。
 アルトーニ枢機卿はこの上もない慈しみの表情を浮かべ、ひらりと手のひらを舞わせた。
「猿ぐつわは取ってやれ。恍惚の呻きを思うまま叫べないのは苦しかろう」
「……!」
 言下の意を汲み取ったロゼルは、さらに眼を押し開いた。
「ロレイアの血をもっとも濃く受け継ぐ王の血統には、時として”異形”が」
 アルトーニ枢機卿の声だけが冷静だった。
「男でありながら女の乳房を持ち、陽根を持ちながら女陰をも併せ持つ──リヒト・ヴェルファー、貴公のような両性具有《アンドロギュヌス》が出現するという。大逆者リドウェルが死してなお口を閉ざし、秘め隠そうとした真実こそ、まさに我が手の内にあったというわけだ。ロゼル、手を休めるな。続けろ。そのままでは幻想の知が花開かぬぞ」
 ロゼルは首を横に振った。手が震えていた。何度も結び目を滑らせながら、力の抜けた指先で猿ぐつわをほどく。かすれた声が耳打ちされた。
「大丈夫か」
 猿ぐつわをはずされたとたん、リヒトはかすれた声を荒らげた。鎖を揺らしてもがく。
「ふざけるな。縛めをほどけ、ロゼル。見るな。眼を閉じろ!」
「黙らせろ。ロゼル」
「はい、その、しかし」
 ロゼルの声はうわずっていた。必死に暴れるリヒトの身体を後ろから抱きすくめる。
「静かにしろ、リヒト。今はとにかく落ち着け」
「卑怯者。私に触るな」
「かまわぬ。全部剥ぎ取れ。本当に異端の身体であるかどうかを──女の陰部があるかどうかを検分しろ」
 アルトーニ枢機卿は立ち上がった。杖を振り、聖なる印を切る。肌を晒したリヒトを見る眼の奥に、生々しい欲情の光がにじんでいた。
「すべては虚飾だ。魂を守る鎧は肉体一つでいい。己の壁を剥ぎ取れ。自分が真に何者であるかだけを心せよ。真実を知りたければ己の星《ステラ》を追え。賢しらな”狐”であった過去を捨てろ。帝国軍衣など破り捨ててしまえ。愚かしき刃の威を借りても何の役にも立ちはせぬ。我が軍が弱小国ロレイアの闇を前にして、手出し一つできなかったようにな。ロゼル、やれ」
 続けざまに放たれた言葉が重たい衝撃となってリヒトを打ちのめした。
 今、枢機卿は何と言った?
 ”真実”?
 いったい、何の真実を探せと──
「しかし、あの、猊下」
「やれと言ったらやれ」
 ロゼルが、せっぱ詰まったまなざしでリヒトを見やった。普段のロゼルとはまるで違っていた。
「はい、猊下……」
 声が喉につまって、からんでいる。喉が、ごくりと音を立てて上下した。
 リヒトは悲鳴を上げた。
「やめろ。触るな。本気で許さな……馬鹿、ぁ、あっ……!」
 ロゼルの手が軍衣の下に潜り込む。リヒトは身体をよじらせた。
「触るな、やめ、ぁっ……触ったら殺す……ぁ、う……やめ……」
 まさぐられた。刺激に呼応して血液が流れ込む。股間の男根が膨れあがった。だが、ロゼルの指がさらに奥をまさぐろうとするのに気づいて、リヒトは腰を揺すらせた。
 探り当てられる。
 身体の下部に、張り裂けそうな痛みが走った。あまりの屈辱に声までもが裏返る。
「やめ……ぁ、あっ……いやだ、触るな……痛い……!」
「どうやらそこは”処女”らしいな。当然か」
 アルトーニ枢機卿は粗野な笑みを浮かべた。
 男であるところと、女であるところの境目を、少しずつ確かめられながら、指を這わされてゆく。指先が身体の奥へ食い込もうとするたびに、ひりひりと焼け付くような痛みが突き上げた。心まで突き破られそうな怖気に、全身がふるえる。
 息がうわずって、乱れに乱れる。感覚に翻弄されるのが怖いのか、それとも本心では知りたくて、たまらなくて、身もだえしているのか、自分でも分からなかった。
 身体の中の余熱、じっとりと濡れる花弁の奥の欲情が、ロゼルの指先にまとわりついて、糸を引いている。鏡に、映し出される。真実を、えぐり出される。
 このままでは自分が自分ではなくなってしまうように感じた。身体の奥底に眠っていたもう一人の”自分”に、黒い光が差しつけられる。
「や、め……ロゼル……ぁっ……!」
 自らの意識にさえ上らせぬようにしていた女の部分を押し開かれて、あらわにされて。
 リヒトは、声をすすり上げて懇願した。かろうじて絞り出した声すら、自分の声ではなくなってしまったかのようだ。
「リヒト……落ち着け、確かめるだけだ……すぐ済む……」
 ロゼルの上ずった呻きが、耳元に吹き込まれた。雷のようにも聞こえた。
「っ……あ、ぁっ……いや……!」
 リヒトは背中をのけぞらせ、痺れる耳の感覚に総毛立った。くねり入ってくるロゼルの指使いに、身体の中から感じさせられ──
「ならば素直に答えるのだな」
 アルトーニ枢機卿は冷然と微笑んだ。
「”大逆の王”リドウェルが何を言い残したのか。何を託したのか……すべて、自白してもらう。もちろん、野暮は言わない。脅してどうにかなる相手だとも思っていない。拷問ごときで口を割るはずもないことぐらい百も承知だ」
 リヒトは歯を食いしばった。
 脂汗が浮かんだ。全身が震え出す。吊されたままロゼルの腕に支えられ、半ば抱かれて、身動きもできずに、男と女が結合した、奇形じみた境目の内部を確かめられている。
 ぐちゅ、と泡立つおぞましい音が鳴った。混沌の感覚に、リヒトは慄然とし、我を失った。快楽なのか、恐怖なのかも分からない。
「何も、知りません……私は、何も……!」
「苦痛では効かぬか」
 アルトーニ枢機卿は困ったていを装って、顎に手を添えた。しばらく考え込むようなそぶりをしてみせる。やがて、うなずきながら顔を上げた。
「仕方がない」
 どうやら最初から言う言葉は決まっていたらしかった。鋼の視線がロゼルをとらえる。
 聖職者らしからぬ辛辣な笑みが、アルトーニ枢機卿の頬をゆがめた。
「快楽の味を教えてやるしかなさそうだな」

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