クロイツェル

3 禁忌の塔

「やめろリヒト……俺を堕落させるな。魔女め」
 ロゼルはあらわになった胸に眼を吸い寄せられながら呻いた。何度も頭を振る。崩れる寸前のつり橋のようだった。そのくせ、堕落の一線をどうしても越えきれず、理性の手すりにしがみついている。
「リヒトのくせに、何で女の身体なんだ……!」
 胸を執ようにまさぐりながら、獣のようにうなっている。かろうじて理性を支えているのは、もはや、貞潔の誓いだけなのだろう。
 揉み上げられるたびに、乳房が大きくゆさりゆさりと揺れ、谷間を深くしてはぶつかり合って跳ね返る。リヒトは喘いだ。
「まだ男なのか、もう女なのか、それとも、そのどちらでもない、気持ち悪い異形の化け物なのか……自分が何者なのか知りたいんだ」
 胸の中が文字通り揺さぶられているかのようだった。快楽が波のように揺り出されてくる。息苦しい声を押し出す。ロゼルは恐怖のまなざしでリヒトを見下ろした。
「演技だよな? まさか、本気で感じてるんじゃないだろうな」
「ああ……そうだ、演技だから……気にしないで続けてくれ……」
 全身が汗ばんだ艶を増してゆく。濃厚な吐息が吐き出される。
 満々と漲り張る乳房を、下から上へ持ち上げるようにして別々に揉みしだかれる。揺らされる。乳首を唇に含まれるたび、リヒトはやるせない声を上げた。恐るべき妖輝が身体を包んだ。吐息が弾む。熱く、欲情を入り交じらせる。
「言っておくが、最後まではやらないからな、絶対に」
 言いながらロゼルは既に勃起していた。服の上からでも、持ち上がった角度の高さが分かる。
「無理だろう、こんなにして。我慢できるとでも思ってるのか」
 リヒトは、ほっそりと華奢な指先をロゼルの唇に押し当てた。爪の先で、つ、っと線を描くようにして、喉へ、胸へ、下腹部へと撫で下ろしてゆく。股間に手を忍び込ませた。下穿きの中の、張りつめきった男性器を掴み出す。どこをどうすれば感じるのかは、自分の身体のように分かっていた。形に添って、てのひらで包みながらそろりとくすぐる。
「……魔女め……!」
 ロゼルは顔をゆがめた。上気した呻きを上げ、手淫されるに任せて喘いでいる。
「爆発しそうだ」
 リヒトの手の中で、ロゼルの男根がびくりと跳ねた。
「そんなに怖がるな……私だって、初めてだと言っただろう」
 残酷なくちづけと舌使いでロゼルを堕落へといざなう。闇を孕んだ瞳で、異端審問官を見つめる。瞳が、妖艶な黄金の色にゆらめく。
「勇気が出ないなら先に私がお前を抱いてやろうか」
 息を吹きかけ、耳朶を口に含む。細身ながらも筋肉質な身体が、びくりとこわばった。ロゼルのそれはもはや暴発寸前に怒張している。
「それだけはやめろ……屈辱だ……!」
「だったら最後までやれ」
 掴み出した男根を手慣れた仕草で扱いてやりながら、陰部へと導く。
 淫らなかたちに足を開く。自分の真実が目の前にあった。
 女の身体、乳房、性器を持ちながら、男の部分もまた、変わらぬ欲望のままに張りつめている。
 ロゼルの喉仏が、上下した。リヒトを見る青い瞳が、恐怖と欲望におののいている。
 無理矢理に押し入ろうと暴れるロゼルの欲望を感じた。うまく入らない。ロゼルは、けだものじみた喘ぎ声を上げた。男根を陰部へあてがい、一気に突き破る。先端が食い込んだ。割れる。破れる。快感などあろうはずもない。悲鳴がこみ上げた。一つになる──
 ロゼルは我を忘れ、深々と男根を沈めた。ぐっと入ってゆく。リヒトは唇を噛んだ。苦痛に涙がこぼれる。
「ぁ、あ……」
 自分の身体のどこにこれほどの巨大なものをくわえこむ余裕があったのか。赤黒い血管の浮き上がった男根が、結合した部分を埋め尽くした。激痛に押し広げられる。興奮した熱い吐息がまき散らされた。ぬるり、くちゅるり、音を立てて出入りを始める。血の臭いと女の匂いとが同時に鼻を突いた。
「ぁ……う……!」
 歯を食いしばって痛みに耐える。
 ロゼルに抱かれながら、兄にやわらかく抱擁されたときのことをリヒトは思い出していた。
 リドウェルもまた両性具有者《アンドロギュヌス》だった。銀の吐息が、あのやわらかさが、あのうつくしさが、何よりも雄弁に事実を物語っていた。兄もまた、”誰か”に抱かれて、真の姿を取り戻したのか。
 わたしのことは忘れろ。
 別れのささやきが記憶の底からよみがえる。
 もう、二度と、この地へ戻ろうと思ってはならない。
 王子であることを捨てろ。自由の身となれ。愛している、クロイツェル──罪深き我が光よ。
 リヒトではなく、クロイツェルと呼んだ。真に名乗るべき、もう一つの名で。
 すべてが不確かだった。ほんの少し先の道も見い出せない。深く暗い霧が立ちこめる真夜中の森に、リヒトは立ちつくしている。
 ”大逆の罪を犯した兄の死によって、ロレイアは滅びた”。
 そのどこまでが、真実なのか。
 身体が震える。兄は何かの秘密を知った。知った上でリヒトをその束縛から解き放とうとした。おそらくは、自らを”犠牲”とすることによって。
 だが、枢機卿は──兄がまだ生きている、と言った。
 その秘密とは、何なのか。
 ロレイアが滅びた十年前。兄の身に、何が起こったのか。
 枢機卿の言う、”ロレイアの闇”とは何なのか。
 ”教団”とは何なのか。
 リヒトの背に残された、おぞましい刺青の意味するものは。
 兄がまだ生きているとしたら、いったいどこにいるのか。
 何もかもが分からないことばかりだ。
 知らなければならなかった。真実を解き明かし、貶められた兄の汚名をすすぐために。闇の故郷、禁忌の地ロレイアへ──
「あ、あ、来た……どうすればいいんだ……やめればいいのか……?」
 哀れがましい声でロゼルが呻いた。膝を折り曲げられたせいで、行くところのないつまさきが空中で揺れ動いている。腰を打ち付けるたびに糸を引く粘着の音が響いた。
 ぬちゅ、ぷちゅ、ぐちゅ、音が欲望のままに連なる。
 ぬらぬらと欲望が出入りする。
「ぁ、あっ……ロゼル……!」
 半ば串刺しにされながら突かれ、身体の中をかき回される。ひりつく痛みが尿意に近い感覚に取って代わられた。押し広げられてゆく。
「構わない。続けてくれ……うぅんっ……奥まで……」
 リヒトは及び腰になりかけたロゼルの腕を掴んだ。ぐっと爪を立てる。深く、もっと、深くつながりたかった。身体の中の熱が溶けて、滲み出てくる。今まで意識もしたことのない快楽の壺を本気で突かれ、思わず、女のように声がうわずった。
「あぁ、うんっ……!」
「何て声出すんだ、貴様……くそ、やばい、止まらん……出る……!」
「……やめるな……そのまま続け……もっと……ぁ、あっ……」
 苦痛を噛み殺した喘ぎの下から叱咤する。
「全部出せ、構わないから」
「もう、だめだ、限界……出る……ああ!」
 苦痛と快楽の入り交じった表情で喘ぐ。腰が痙攣する。ロゼルはリヒトの中へ大量に射精した。身体の中で、ロゼルの男根が熱を帯び、どくどくと脈打っている。ぬめり泡立つ音が鳴る。射精はまだ止まらない。あふれた精液が泡立った音をたてて白くこぼれる。
「……やッちまった……ぁぁ……」
 堕落したロゼルのあげる、陶酔の呻き声が聞こえた。

 ロゼルはリヒトの胸に突っ伏したまま、いつまでたっても動かなかった。確かソファで折り重なって愛し合った──愛し合ってはいない、ただ、セックスしただけだ──はずが、すっかりずり落ちてしまっている。
 今まで感じたこともない重さがのしかかる。息苦しくて、身動きもとれない。
 リヒトは手を伸ばしてロゼルの肩を叩いた。
「ロゼル?」
 揺すってみる。声を大きくしてみる。やはりロゼルは動かない。それどころか最大級にでかい吐息を胸につかれた。肌に当たる息がぞくぞくするほど熱い。染みこんでくる。
「いい加減に……ぁ……」
 言いかけた自分の声になぜか、どきりとした。声の質が今までと違っている。うわずったような、少年めいた声。変声期前の声に戻ったような感じだ。
 なぜか無性に落ち着かなくなる。鼓動が高まった。いったいどうしてしまったのだろう。
 それだけではない。どんなにロゼルを押しのけようとしてみても、持ち上げることさえできない。覆い被さったロゼルの身体も、肩も、気のせいか、妙に広く、たくましく思える。こんなにも体格差があっただろうか。背中にすら手が届かない。
 か細くなった腕も押さえ込まれたままだ。まるで力が入らない。動けない。身体が火照った。じっとりと熱っぽく、だるく感じる。
「ぁ……」
 高まるばかりの動悸を抑えようにも、ロゼルが重くてどうしても動けない。
「頼む、起きてくれ、ロゼル。重くて、動けなくて……苦しい……」
 リヒトは身体をよじって何とか手だけを動かせるよう抜き出した。理知的に考えようとしても頭がまったく回らない。何がどうなったのか。痛い。苦しい。重い。悩ましい。感情や感覚ばかりが優先して首をもたげる。腕に抱かれ、肌を触れ合わせている心地よさより、重く痛い息苦しさが勝った。
「おい」
 ロゼルの頬をぺちん、と叩く。無反応だ。
「起きろ」
 もう一回、ぺちん、とした。今度は反応するまでぺちぺちし続ける。
 ロゼルが唐突に動き出した。相変わらず顔を胸に埋めたまま、手だけをぬっと動かしてあちらこちらをまさぐり、頬を叩くリヒトの手首をぐい、と掴む。ぺちぺちされて痛かったらしい。
「動けないんだ……失意のあまり」
 くぐもった情けない声が答えた。リヒトは咳払いした。やるだけのことをやっておいて疲れ果てるのは勝手だが、いつまでも顔を胸に突っ込ませてやる筋合いもない。苦々しく宣告する。
「突っ込んだまま動きたくない気持ちは分かるが、いい加減、私の胸の谷間に顔を埋めてハアハアするのはやめてもらいたい」
「谷っ!?」
 ロゼルは跳ね起きた。憮然とした表情だった。顔がすっぽ抜けた反動で、追いやられていた乳房がたわわに揺れた。ロゼルは揺れに眼を吸い寄せられ、あわてふためいて目をそらした。重力に引き下ろされもせず、形良くはりつめた乳房が、ぐいと獰猛に盛り上がっている。
「ああ、どうすればいい!」
 ロゼルは頭を抱え、リヒトの腹上で身体をのけぞらせた。そんなことを言いながらまだ身体はつながったままだ。長い間頬を圧迫されていたせいか、目元から頬にかけて、おっぱいのかたちに赤くなっていた。
「何という不道徳、悪徳、背徳の極みであることか!」
「どうしたいきなり」
 怪訝に思って尋ねる。
「まさかホントにヤってしまうとは!」
 ロゼルは大仰に自己嫌悪の呻きを上げた。またリヒトの胸に突っ伏す。
「ああ、もう、何という、けしからん身体だ、貴様……一時の気の迷いでは済まされんぞ……!」
「何だ、そんなことか。気にするな」
 リヒトはにやりと底意地悪く笑った。
「めちゃくちゃ痛かったぞ。濡れてもないのにお前がいきなり突っ込むから、マジで裂けるかと思った。この、へたくそ」
 片目をつぶって、ひょいと付け足す。
「初体験《はじめて》だから優しくしろと言っただろう。ろくでなし。エロ童貞」
「うぐあああ……立つ瀬なしか……!」
 ロゼルは青い顔でぶるぶると震い上がった。全身に鳥肌をぷつぷつ浮き上がらせて身もだえしている。
「い、いいや違うッ!」
 ぐっと拳を握った。力んで赤くなった顔をリヒトへと振り向ける。
「この俺がまさか姦通の誘惑になど屈するわけがない。これは何かの罠だ! 陰謀だ! リヒト、貴様、何をたくらんでいる、そんな、い、い、いやらしい身体をして……」
 あたふたと股間の逸物をしまいながら、詰問の表情で睨みつける。リヒトはあっさりと切り捨てた。
「そういう身体にしたのはお前だ。責任とれ」
「はぐっ!」
 今度は真紫の顔になってのけぞる。ロゼルはがっくりと首を折り、しょぼんと肩を落とした。
「……男に誘惑され貞潔を捨てるとは、アルトーニ家末代までの恥……」
 完全に意気消沈している。少々いたぶりすぎたらしい。あまりの落ち込みっぷりにさすがのリヒトも心が痛んだ。
「冗談だ。そんなに気を落とすな。そのうち上手くなる」
 半分泣きそうになったロゼルの頬に触れる。
「うううるさい! 男相手に床上手になどなりたくない!」
 リヒトは、不埒に笑った。しなだれかかるようにしてロゼルへ身を寄せる。
 大きな姿見に、薄暗い部屋で身を寄せ合う男女の裸身が映っていた。

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