クロイツェル

4 黒衣の修道士

 地下の階段から黄色みを帯びた煙がどっと噴き上げてくる。間違いない。地下室が火元だ。みるみる煙が充満し始める。
 喉をつかみ、喘ぐ。
 リヒトは咳き込んだ。少しでも煙を吸わないために、襟に巻いていた黒いスカーフで口元をしっかりと結ぶ。眼が凍み、涙がにじんだ。
 椅子を掴み、鉄格子の嵌った窓へとたたきつける。
 折れた足が跳ね返る。椅子はばらばらに砕け、床に散った。
 鉄格子は無傷だった。少しはゆるんだかと揺すぶってみても、びくともしていない。
「開かない。だめか……!」
 口を開いた途端、喉に煙が流れ込んだ。地下から、もうもうと黒煙があがっていた。目の前にまで炎が迫る。
 上に逃げても、煙に巻かれるだけだと分かっていた。それでも、他に逃げ道はない。
 リヒトは階段を二段とばしで駆け上がった。煙が背後から追いかけてくる。
 扉を開け、元の部屋へ転げ込む。少しでも煙が侵入するのを防ぐために、戸を閉め、ありったけの家具を扉へと押しやった。何とか窓から逃げられないかと思ったが、この部屋の窓も一階と同じ頑丈な鉄格子がはめられていた。
「何とか逃げる方法を考えないと……このままじゃ燻製だ」
 せっぱ詰まった思いを笑えない笑いで噛み殺し、部屋を見回す。階段から上ってきた煙が、戸の隙間から渦を巻いて部屋になだれ込んだ。ますます煙は濃く、いがらっぽくなる。
 肺全体が、ひりひりと炙られたように痛んだ。
 呼吸するたび、頭の中が破鐘のように鳴り響く。
 新しい空気が欲しい。むさぼるように喉を掴む。胸一杯に空気を取り入れたい。だが、息をすればするほど、肺が燃え上がる。煙が流れ込む。
 視界が黒ずんだ。新鮮な空気を求め、壁沿いを伝い歩く。逃げると言っても、どこへ、どうやって逃げれば。
「くそっ」
 傍らの燭台を掴んで、自棄になって窓へとたたきつける。手応えはない。金属音がむなしく跳ね返される。
 役に立たない燭台を投げ捨てる。
 はめ殺しの窓。頑丈な鉄格子。これではまるで、牢獄だ。
 皇帝の寵愛という名の牢獄に囚われていたのは、いったい、誰だったのか。単なる密会の場でしかないはずの塔が、なぜ、どうして、これほどまでに”聖域”たる”外の世界”を遮断しなければならなかったのか──
 絶望の予感が、現実の苦痛となって身を苛む。
 リヒトはぎりぎりと歯を食いしばった。動かない身体を鞭打ち、無理矢理に引きずり起こす。
「まだだ。まだ、あきらめるには早すぎる。考えろ。何か、方法があるはずだ……!」
 扉が燃え落ちた。階段はすでに炎と煙が充満して、上り下りできる状態ではない。床からも黒い延焼の煙が立ちのぼり始めている。
 炎になめられたカーテンがめらめらと揺れ、ちぎれて落ちた。敷き詰められたカーペットに燃え移る。
 口を押さえ、咳き込む。肺が焼け付いた。目がくらむ。立っていられない。
 悪魔にもすがる思いで四方を見回す。
 黒ずんだ煙の向こうに、ちろちろとなめずる舌の形をした炎が見えた。かすむ眼をこする。
 眼を炯々と光らせた魔物の姿が見えた。リヒトは思わず後ずさった。これは幻影だ。恐怖がこみ上げる。背中が炎に炙られた。焼け付く痛みと同時に寒気がこみ上げた。足が震える。まさか、本当にロレイアの悪魔が迎えに──
 半ば逃げ出しかけたとき、リヒトは我に返った。自虐の笑いがこみあげる。あれは鏡に映った自分だ。死の恐怖に追い込まれ、自分で自分を見違えるとは。
 光がひらめいた。
 正常な呼吸はほとんどできなかった。煙が部屋に充満して、視界を奪い去る。リヒトは、床に転がっているはずの燭台を、這い蹲って探した。
 ない、見つからない。
 どこまで転がっていったのか。
 また、咳がこみあげた。頭の中ががんがんと鳴る。破裂寸前だ。空気が欲しい。むさぼるように息がしたい。もうもうと立ちこめる煙は絶望的なほどに色濃く、有毒の突き刺すような臭いを強めている。
 リヒトは燭台を探し続けた。
 死が目前に見えた。黒く渦巻く煙がおぞましくうねり、ねじれる。口を開いた悪魔の顔のように見えた。
 過去の記憶が、襲いかかってくる。
 ぶっちがいに立てられた逆さ十字に縛り付けられ、吊され、つながれた幼い兄弟。
(やめてください)
 リドウェルの悲鳴が聞こえたような気がした。やめてください、父上。リヒトに、それを、するのだけは。責め咎はすべてわたしが受けます。だから、お願いします、リヒトにだけは──薬を打たれ、朦朧となったあとは記憶にない。あのとき、自分は、何をされたのか──
 双頭の魔女よ、闇の星《ステラ》よ。贄を喰らえ。我が願いを叶えよ。
 哄笑を放った父。飽くことなく悪魔の紋章を兄弟の背中にきざみ続けた父の顔が、悪魔の顔に重なった。
 リヒトは、煙に向かって絶叫した。未だ癒えぬ過去の狂気を振り払う。幼かった自分でさえ、あの地獄を生き延びた。今の自分が、この危機を乗り越えられないはずはない。
 生きる。何があっても、生き抜いてやる。
 必ず、生きてここを出るのだ。
 指先が冷たい金属に触れた。すばやくまさぐる。あった。リヒトは眼を押し開いた。
 燭台を引っ掴み、立ち上がる。肺の中の空気はほとんど空だった。目眩で倒れそうになりながら、部屋の隅の姿見へと駆け寄る。
 鏡の中の悪魔がけたたましい哄笑を放っていた。逃がしはせぬ。どこへ逃げても、逃れられはせぬ。罪深き光、闇の王、”門”にして”鍵”なる者よ、そなたこそが、ロレイアの闇なのだ。思い出せ。決して、逃しはせぬ──
 悲鳴じみた叫びをあげて、リヒトは燭台を振り下ろした。悪魔の顔が粉々に飛び散った。闇が広がる。
 冷たい空気が頬に当たった。
 リヒトは割れた鏡を飛び越えた。小部屋へと駆け込む。有頂天になって深呼吸した。新鮮な空気が肺を一気に満たす。意識が澄み渡った。
 だが喜びばかりをむさぼっている暇はない。こんな小部屋の空気など、すぐに煙と入れ変わってしまう。
 リヒトは左右を見回した。
 扉がある。飛びついた。見たところ鍵はかけられていないようだった。希望のすべてを込めて戸を引く。
 開かない。
 小部屋の中を見回す。椅子があった。抱え上げて、戸に向かって投げつける。衝撃でちょうつがいが壊れた。扉を打ち壊す。はぎ取る。最後は力任せに蹴り砕いた。
 木くずがばらばらと地下へ落ちていく音が響いた。
 リヒトは割れた扉の隙間から、秘密の抜け道へと潜り込んだ。
 壁に作りつけられた鉄のはしごが、下へ続いている。闇へ落ちてゆくようだった。
 煙は上がってこない。明かり一つ見えない。だが、それはすなわち、延焼の塁が及んでいない、ということを意味した。火の手が上がった地下室とはつながっていない。完全に別の通路だ。
 リヒトははしごに飛びうつった。
 暗黒の中を降りてゆく。
 このまま進めば、”象の檻”へ至る地下通路へと出る。だが、通路は迷宮のように入り組んでいて、道案内なしに進むことは不可能だった。ありとあらゆる道に潜り戸がもうけられ、そのすべてに鍵がかかっている。鍵は、アルトーニ枢機卿しか持っていない。
 何とかして、地下へ降りてしまうまでに外に出なければならない。だが、果たして、そんな横道があるのか。
 真っ暗闇の中を、リヒトは手探りだけで進んだ。底冷えのする恐怖が迫ってくる。
 闇の世界へ迷い込んだまま、二度と日の当たる外の世界へ出られないのではないか。
 狭い通路に閉じこめられ、進むことも戻ることもできなくなるのではないか。
 倒れて動けなくなったところを、下水道をうろつくドブネズミどもが臭いをかぎつけて寄り集まってくるのではないか。
 闇に光る無数の眼がじりじり近づいてくるさまを想像するだけで、背筋がざわざわと冷たくなった。怖気をふるう。こみ上げる恐怖を必死に押し殺して、リヒトは前へ進んだ。
 いや、待て──
 前方に光が見える。小さな光。ぞくりとした。全身の血が冷える。
 まさか、本当に、闇に棲む薄汚い獣どもが、無力な逃亡者の気配をかぎつけて寄り集まってきたのか。
 リヒトは立ち止まった。
 息を殺し、目をこらす。
 獣の目ではない。どこからか差し込んだ光に、床が反射している。
 リヒトは走りだした。光は、上から差し込んでいた。天井へと手を伸ばす。割れ目などではない、間違いなく人の手で丸く掘り抜かれた岩肌がそこにあった。リヒトはわずかな突起に指をかけ、よじ登った。光が見える。近づいてくる。
 上るにつれ、ここが地下通路用の通気口であると確信した。頭上の小さな穴は、鉄格子だ。
 上の端まで到達する。鉄格子に手をかける。がたり、と音を立てて鉄格子がはずれた。リヒトは身を乗り出した。
「……っ!」
 頭は通る、肩も何とか抜けた。だが胸が大きすぎてつっかえる。
「あ、うう……もうっ……!」
 必死に片方の胸を手で揉みつぶして形を変え、寄せては上げて、引っ張り出す。
「苦し……何でおっぱいがこんなにでかいん……ううんっ、痛っ……! くそ、ホントに邪魔だな!」
 情けない思いで一杯になる。何が悲しくて胸ごときのせいで行く手を遮られなければならないのか。腹に据えかね、大声でひとりごちる。
 とにかく何とか全身を引き抜く。リヒトはよろめき、立ち上がろうとして、足を滑らせた。
「う、わ、しまっあああっっ!」
 もんどり打って転げ落ちる。
 茂みを突き破って飛び出したのは、塔の裏手にある丘だった。緑に覆われた空を、黒煙が覆い尽くしていた。リヒトはぞくりとして振り返った。
 赤と黒の業火が窓から噴きだしている。紅蓮の炎が塔の屋根をも舐め尽くしていた。
 もし閉じこめられたままだったら、間違いなく今頃は煙に巻かれて焼け死んでいたことだろう。すすまみれになった石壁が、どっと音を立てて崩れ落ちた。土煙が上がった。崩壊する塔を目の前にして、胃の腑がすくみ上がる。
 そもそも、なぜ、誰もいないはずの塔から火が出たのか。何者かが火を放ったとでもいうのか。ならば、最後まで塔にいたのは、誰だ……?
 リヒトは指先が氷のようにつめたくなるのを感じた。まさか、ロゼルが、禁欲の誓いを破ったことを苦にして──
 リヒトは立ち上がった。風が強く舞い立って、苦い煙を吹き下ろしてきた。口に巻いたスカーフをしっかりと鼻の上にまで持ち上げる。
 軍衣についたゴミや汚れを払い落としもせずに、四方を見渡す。
 ロゼルは、そんな男じゃない。
 リヒトは拳を握りしめた。いずれにせよ、塔は完全に燃え落ち、廃墟と化した。”禁忌”の塔にどのような秘密が隠されていたのか、今となっては調べる術もない。
 そのとき、遠くから銃声が聞こえた。
 続けざまに三発。
 銃声──? 大聖堂の敷地内で?
 慄然とした。
 ただごとではない。
 音の聞こえてきた方向を振り仰ぐ。木立の向こう側に、灰色の尖塔が垣間見えた。周囲の気配を探りつつ、銃声が聞こえた方角を目指して走りだす。
 息を切らし、庭を突き抜ける。草を散らして斜面を斜めに駆け下りた。取り巻かれた塀を跳び越えると、礼拝堂横の廻廊に出た。緊迫した靴音が反響している。いくつもの声が聞こえた。間違いない、事件が起こっている。
「くそっ……どこだ!」
 立ち並ぶ柱の影が、白黒のチェス模様にくっきりと落ちていた。光と影が入れ替わり立ち替わりめまぐるしく反転する。遠近感が狂ったかのような錯視に襲われた。呼吸が荒くなる。
「あっちか!」
 這い蹲った悪魔の石像が見えた。背に太い柱を支えている。廻廊を抜けたのだ。礼拝堂の表玄関前の道へと繋がる幅広の石段が見えた。
 衛視たちが、次々に中庭を横切って階段を駆け降りてゆく。リヒトは柱の影に身をひそめた。
「何だ……この騒ぎは。いったい何が起こって……」
 反射的に口をつぐみ、神経を研ぎ澄まして様子を窺う。
 礼拝堂の前の石畳に、深紅のカーペットが広がっていた。
 豪奢な緋の衣をまとった男が横たわっている。血の海に浮かんでいるように見えた。動かない。いったい、誰が──確認しようと目をこらしたリヒトは、背筋が凍り付くのを感じた。
「あれは……!」
 顔が半分、”吹き飛んでいる”。破砕弾ホロウポイントだ。
「言い訳無用。この場で銃を手にしているのは貴様だけだ。おとなしく縛に付けば良し。さもなくば」
 十数人がかりの衛視が向ける憎悪の矛先は、血まみれの死体を前にした男へと向けられていた。
 リヒトは険しく眼を細めた。
 白い法衣を腕に巻き付けた若い聖職者。金の髪。すらりとした体躯。手には白いライフルを携えている。
「ロゼル!」
 罪人のように追いつめられた友の姿に、唖然とする。すぐさま、無性に怒りがこみ上げた。
 礼拝堂の前に、黒衣の修道士が立ちつくしていた。フードが風にあおられ、飛ばされる。
 あらわになる紋章。黒い目。青みを帯びた銀色に光る肌。
 ”ロレイア人”。
 冷たい強大な手で魂を鷲づかみにされたように思った。息を呑む。
 エルフェヴァインの大通りを歩いていたときに出会った、謎めいた青い衣の人物のことが脳裏をかすめた。あの印象的な黒のまなざし。間違いない。同一人物だ。忘れられるはずがない。
 黒衣の修道士は嘲弄めいた薄笑みをたたえ、ロゼルを見つめている。
 ロゼルが槍を手に動き始めた。衛視をかいくぐって突っ走る。青い炎となった眼が、一直線に修道士を狙っている。
 猛々しく燃える視線がすべてを物語っていた。
 あの修道士は、ロゼルの”敵”だ。
 ならば、為すべきことは、ただひとつ。
「どけ!」
 声を荒げ、魔神のごとく階段を駆け下りてゆく。邪魔をする衛視はすべて蹴り倒した。
「賊が侵入したぞ!」
「討ち取れ」
「逃がすな」
 きらびやかな儀仗兵の軍衣を着た兵卒が、ロゼルからリヒトへと目標を変え、飾り剣を抜いて斬りかかってくる。身長はリヒトの頭よりはるか上だ。影が覆い被さる。
「邪魔をするな!」
 鈍重な動きをかわすなど、赤子の手をひねるよりも簡単だった。のろのろと突進してくる兵の真正面へあえて飛び込み、ひるんだところへ身を低くして足から滑り込む。足を絡ませて、ころりと階段の途中でひっくり返す。
 巨人は牛がひきずられるような声をあげ、階段を転げ落ちていった。
 勢いで吹っ飛んだ剣を空中で奪い取る。ちゃらちゃらと宝石のついた薄っぺらななまくら剣だが、ないよりはあるほうが遙かにましだ。
 顔を上げて黒衣の修道士を追う。ロゼルの突進に気づいたのか、修道士は身を翻した。礼拝堂の影へ紛れ込む。すばやい身のこなしだった。修道士の所作ではない。
「待て!」
 怒鳴っても声が届く距離ではない。
 だが、ロゼルの様子がおかしいことに気付いて、追うのをやめ、向きを変える。ロゼルの目の前に衛視が倒れていた。血まみれの槍をだらりと下げ、呆然と立ちつくしている。動かない。
 あのままでは捕まってしまう。
 リヒトは階段を駆け下りた。剣をひっさげてロゼルの前へと躍り込む。逃げろと叫ぶつもりだった。だが。
「貴様……!」
 蒼白だったロゼルの顔がゆがんだ。憎悪の眼がくるめく。
 ロゼルの手にした槍が、音を立てて旋回した。続けざまに降りかかる衝撃に、我を失っているらしい。相手がリヒトだと気付いてすらいない。
 目にもとまらぬ鋭い突きが、右、左と頸動脈を狙って首筋をかすめる。鋼の穂先が凄絶な閃光の弧を描く。
 穂先に残っていた血糊が振り払われた。血飛沫が頬に走り付く。
 身を退いた瞬間、穂先が視界から消えた。地摺りからのすさまじい振り上げが腰あたりをかすめる。斬突の血風が吹き付けた。
 かろうじてのけぞり、跳ね飛んで逃れる。
 つくづく侮れない男だ。リヒトは舌打ちした。内心ひどく動揺して、太刀筋すらろくに定められないくせに、この凄まじい手練れっぷりと来たらどうだ。おいそれと近づけやしない。
 ロゼルを睨み付ける。せっかく助けに来てやったというのに気付かないとは、鈍感にもほどがある。
「目を覚ませ!」
 腹立ちまぎれに、ロゼルの槍をかいくぐって懐に飛び込んだ。剣で斬りかかると見せかけて、まるきりロゼルが予想だにしていなかったであろう攻撃を加える。
「このニブチンが!」
「何っ!?」
 怒鳴りつけざま、膝で金的を蹴り上げた。命中。
「ぐぎゃ!」
 凄腕ではあるがやはり純然たる正統剣術の使い手だ。反則邪道の近接戦闘には慣れていないらしい。
「きんたまがっ!」
 ロゼルは股間を押さえ、くずおれた。すかさず襟首を引っ掴む。
「馬鹿、逃げるぞ!」
 耳元で低く怒鳴りつける。ロゼルは半泣きの声を上げた。身をよじる。
「リヒト?」
「二度も言わすな。馬鹿!」
 所在なげにうろうろしていたロゼルの馬へ眼を走らせる。
「馬だ。走れ!」
 ロゼルは沈痛に呻いて槍を投げ捨てた。指を口へ持って行き、甲高い指笛を吹き鳴らす。ロゼルの馬が反応した。たちどころに猛進してくる。
「早く乗れ!」
 くつわを取るや、リヒトはまだ悶絶しているロゼルを無理矢理担いで、鞍上へと押し上げた。
 荷物のように乗せられたロゼルの膝が馬腹を蹴った。馬が走りだす。リヒトは逃げる馬の後を追いかけ、軽業師のように飛び乗った。
「ちんこがつぶっ、あ、ああ、ああああ!」
「我慢しろ」
 馬蹄のとどろきが、逃げまどう聖職者たちを蹴散らす。
「逃がすか。絶対に逃がさんぞ、ロゼル!」
 聞き覚えのある声が響いた。血まみれの顔にどす黒い憎悪の眼が燃え揺らいでいる。誰か分からない。リヒトは追いすがる声を無視し、馬に鞭を当てた。

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