ロゼルは眠っている。穏やかな、深い眠りだ。
面影が月明かりに青くかげっている。しばらくは目を覚ましそうにない。
リヒトは手を伸ばし、身体を寄り添わせて眠るロゼルの胸に触れた。起きあがろうとして、思うようにならないことに気付く。抱きしめられているのだ。
暖かい。ゆっくりと息を吸い込む。ロゼルの匂いがした。ほうっと吐息が漏れる。心地良い。
リヒトは眼を閉じた。額をロゼルの裸の胸に押しつける。
何だか、どきどきしてくる。
朝になって、ロゼルが眼を覚ましたら、何と言えばいいのだろう。目を合わせられるだろうか。恥ずかしくてうつむいてしまったりしないだろうか……いや、初心な生娘じゃあるまいし。いっそ、肌を合わせたことなど全然気にしていない素振りをして、「ふふふ、昨夜はお楽しみでしたね」とか何とか適当に冷やかしてごまかしてしまえばいいのだろうか。
確かに、昨夜は……
「あああ……!」
無性に気恥ずかしい。問題はロゼルに告白させられた、あの後だ。さんざんに冷やかされ、からかわれて……
何を口走ったか、思い出すだけでごろごろ七転八倒、悶絶して頭を抱えたくなる。
「何で、あんなことを言ったんだ、私は……!」
あれをしらふの時に突きつけられたら、とうてい耐えきれない。
忘れよう。
うむ、そうしよう。
リヒトは頬をあからめながら記憶にさっと蓋をした。考えるのをやめて身を起こす。
足元にくしゃくしゃとわだかまった毛布が塊になっている。手を伸ばして引っ張りあげた。ロゼルの肩にきちんと掛け直す。
ロゼルは反対側へごろりと寝返りを打った。
「……こらあリヒト……てへへエロいことすんなよ……えへへへ……?」
どうやら、勝手にいかがわしい夢を見ているらしい。
「ハハハこやつめ……かわいいこと言いやがって……待て待てえ……?」
「……そのまま世界の果てまで転がっていけ」
せっかく掛けた毛布が、寝返りを打つロゼルの身体に巻き付いて、はらりとはだける。
月影に男らしい肉体が浮かび、青く染まる。黒く落ちる陰影との対比に、思わず見惚れた。心を奪われる。
余分なたるみは一片もなかった。そぎ落とされた肉体のナイフのような美しさ。計算され尽くした彫刻を思わせる体躯。男の身体だ。聖職者のくせに、いつどこでどうやって鍛錬しているのだろう。
うらやましい、と思った。
ほのかな月明かりに照らされた自分の裸身を見下ろす。
男の痕跡は、下腹部のそれ以外、ほとんど残っていない。
自分で自分の身体にそっと手を滑らせてみる。
やわらかい。女の肌、女の身体だ。記憶にある男としての自分の肉体とはまったく違う。
奇妙な夢を見ているようだった。たぶんきっとロゼルも同じ夢を見ているのだろう。
ロゼルに抱かれれば抱かれるほど、肉感的になり、情緒的になる。普段、両性であることを意識していないときには気付かないが、ロゼルに抱かれると如実に女体化が進み、理性が感情に圧迫されてゆくように感じる。
ならば、逆に男としての野生を取り戻すためには、女を抱けばいいのか。
女を抱く?
ぴんと来ない。それどころか、男としての本能がまったく反応しないことに、逆に動揺する。
本当に、このままでいいのか。
快楽に流され、ロゼルに抱かれ、ロレイア再興の夢も捨てて、身も心も”ただの女”として生きる──
リヒトは暗いまなざしをロゼルへと向けた。
それは、できない。ロゼルに言ったとおりだ。
ロレイアに秘め隠された謎を解き明かさない限り、祖国を忘れ去ることなどできない。
身体が元に戻れば、ロゼルもまた夢から覚める。しばらくは快楽の記憶を二人で共有することもできるだろうが、追いつ追われつのほとぼりが冷めれば、やがて”それ”が愛ではなかったことに気付く。
激しければ激しいほど欲望はうつろいやすい。後に残るのは嫌悪だけだ。
「お前にそんなふうに言ってもらえるほど、私は、ぜんぜん可愛くなんか……」
リヒトは口も眼も閉ざし、ためいきをついた。
結局、自分はこうなのか。
気後れに立ち止まったまま、ずっと、こんなふうに思ってはためらい、後ずさって──砂を噛むような、うちひしがれた夢を繰り返し見続ける日々がつづくのだろうか。
ロゼルの寝顔が月明かりに照らされる。
金色の髪がくしゃくしゃと寝乱れている。無防備な寝顔が愛おしい。
まるで子供のようだった。さっきまではあんなに荒々しかったのに。そう思うと、なぜか奇妙なおかしみがこみ上げる。
そっと近づいて耳を澄ます。規則正しい寝息が聞こえた。
傍らに手を突く。耳を寄せる。頬に吐息がかかる。ささめくような寝息。
どきりとする。距離が近い。
「ロゼル」
ふと、大胆にささやいてみる。
頬が奇妙に熱い。
ロゼルがねぼけた声をあげて笑った。
ぎくりとする間もなく、リヒトはロゼルの万力のような腕に抱き取られた。ベッドに引きずり込まれる。
「ちょっ……離せ、おい、ロゼル!」
「おはようのキッス……おはようのキッスぅうう……」
「馬鹿! まだ夜中だ」
「してくれないと寝ない……」
「そういうのは朝になってからするものだ」
「ん……分かった……やくそくだぞ……えへへへ……?」
「馬鹿な夢見てないで、さっさと寝ろ」
ロゼルの寝顔を見ただけで、張りつめていた心の帳があっけなく崩れ落ちたような気がした。
無理矢理ロゼルの腕を押しのけ、代わりに枕を抱かせて、乱暴に毛布をかぶせる。毛布の塊が毛虫のように丸まった。もごもごと声がこもって、聞こえなくなる。
リヒトはすうすう寝息を立てる毛布の山を見つめた。
昨夜、このうぬぼれやの毛布は──全身でリヒトを受け止めてくれた。
胸に溜め込んだ毒杯を飲み下してやる、と言ってくれた。自分で勝手に壁を作ってちぢこまって、怯えていただけのことだと教えてくれた。自信を持て。信じろ。そう言ってくれた。
「……愛してやる、か」
力強い言葉が、胸にじわりと広がる。リヒトは眼を閉じた。静かな喜びに身を浸す。
ロゼルの言葉が、驚くほど素直に受け止められる。砂地に雨が吸い込まれるように、すう、と心に染み入ってくる。
純粋に嬉しかった。
普段の自分ならきっとひねくれたふうに打ち消して、聞かなかったことにしてしまうだろう。余計なお世話だとか、本当は男なのにとか、どうせ一時の気の迷いに違いないとか、べたついた恋愛感情など戦場で持て余すだけだ、とか。堂々巡りするばかりの、やたら回りくどい言い回しをこねくりまわして。
傷つくのが怖くて。
変わってゆく、弱くなってゆく自分を、認めたくなくて。
愛しているにも関わらず、その思いを否定されるのが怖くて。
口に出して言えばたった一言で済むものを、臆病なあまり、何とかしておくびにも出すまいと必死になっている。
「お前のそういう、無駄に自信たっぷりなところ、本当に羨ましいよ。何でもはっきり言える。私も、それぐらい言えたらいいのに」
リヒトは毛布越しにそっと手を触れた。言いよどむ。汗ばむ手で、すがるように毛布を握りしめる。
「……お前が……」
次のページ▶
もくじTOP
<前のページ