2 (うんっ! ラウがんばってえろいおおかみになるっ!)

 はてさて、いざ食事、である。
 テーブルは戦場だ。じゅうじゅうと沸騰する脂を散らしながら運ばれてくるは鳥の丸焼き豚の丸焼き牛の丸焼き未確認生物の丸焼き! 広がるはたぐいまれなるローストの香り! 飴色に焦げたつややかな皮の照り色! 表面を伝う濃厚な脂の何となめらかなことか! 嗚呼これぞ肉の醍醐味、一口ほおばれば眼から怪光線がほとばしるうまさである、ヒーハー!
 まさしく至高の時間。随喜の涙にくれながら前菜等には目もくれず、ひたすら肉・肉・肉・肉・肉・肉! とラウの周辺だけに異様な数の皿と食べ散らかした骨とが積み重ねられていく。皿を下げる暇もない。
「アヒャおいひい、おいひすぎるよう、アリスあんたも早く食べなよあたしが全部食っちゃうよむぐむぐ、こっこれは何、もしかして天国? しあわせすぎてあたし死んじゃうかも、ああ、何日ぶりだろこんなに食べたの! もうこのまま喉に詰まらせて死んじゃってもいい! うひょわこれもすんごいおいひい、んぐんぐおかわりー!」
 出せば出すだけ、というより、どんなに焼き急いでも食べる速度に追いつかないのでは、もはや味も焼き加減もめちゃくちゃいい加減なはずなのだが、そんな瑣末なことなど底無しの胃袋にとっては全くもってこれっぽっちも問題ではない。
「うあああ出たあああ!」
 ラウはまた眼を輝かせた。両手を結び合わせ、歓喜に身をよじって最大限の喜びと期待を表現しつつ、じゅるるんとはしたなく舌なめずりする。
「すっごーい!」
「……巨大マンガ肉の……」
 給仕が二人がかりで運んできた巨大な銀の皿には、これまた超巨大な、こんがりじゅうじゅう言う骨付き肉がどでんと乗っかっている。表面が少々真っ黒に焦げているぐらい何だというのだ、内部が生焼けだから何だというのだ、ふんわりと香り立つ甘辛グレービーの香ばしさと来たら、もはや理性を失うのを飛び越えて正気を失いそうである。
 皿がテーブルに置かれるや否や、ラウはがっしとばかりに両手で骨を鷲掴みにした。そうするなりあんぐりと口を開け、一気にかぶりつく。うわあああああ何という恍惚、何という幸せ! と、そのまま昇天しそうになるのを必死に食欲の大波で押し流し、がじがじがじと右に左に盛大に食い散らかす。
「丸焼きでございます……」
 何とか無事に運び終えたと思った給仕が、やれやれと安堵して一礼したその瞬間にはもう皿の上の肉は消えている。骨の髄までしゃぶり尽くされ、つるりと綺麗な骨のみの姿になって。
「うまあい! おかわりーー!」
「ひいいい!」
 骨を振り回して続きを要求する。あまりのことにドッタムポッテン夫妻は真っ青になって泡を吹いている。
 アリストラムはあきれ果てたため息をついた。それでもラウを見つめる愛おしげな微笑みは変わることがない。
「まだ食べるおつもりですか?」
 ラウはほっぺたの両方にぷっくりとマンガ肉を詰め込んだまま、愕然とアリストラムを見つめた。もぐもぐ口を動かしながら言う。
「うん、おいひいもん!」
 アリストラムは目元を柔和にほころばせた。
「そうですか。どんどん召し上がってくださいね」
「な、何がどんどんですの何ですのこのバカスカした底無しの食いッぷりは!」
「ああ何と言うことだ我が家の食糧倉庫が空っぽだよハニー」
「こうなれば早く追い出すしか!」
「そ、そうだねハニー、君の言うとおりだ、このままでは破産だっ城の定礎まで食い荒らされてしまうッ」
 ドッタムポッテン夫妻は二人並んで頭を抱え、悶々とテーブルを叩きながら突っ伏している。だが、次の皿を今か今かと待ちうけているラウの耳に罵詈雑言が届いている様子はない。それを後目にアリストラムは悠然とグラスを傾け、ワインを口に含んだ。
 手を止め、かすかに眉をひそめる。
「幸せそうですね、ラウ」
 それ以上渋いワインをたしなむ気にはなれず、グラスをテーブルに戻す。
「うんっ!」
 ラウはうっとりと両手に骨を握りしめ、眼をきらきらさせてうなずき返した。頬がてっかてかに上気している。どうやら最高に脂が乗った気分でいるらしい。
「すっごく幸せ!」
「そう、それはよかったですね。さて」
 言いながら口元を白いナプキンで拭く。ラウはびっくりした顔でアリストラムの仕草を見つめた。
「え、アリス、もう食べないの? まだいっぱいあるよ? デザートもらえばいいのに。あ、デザートは何? 肉? あたし肉のアイスが食べたいっ!」
 本来ならば、「それは肉をただ凍らせただけでは?」と問い正すべきところである。が、あえて残酷に否定してせっかくの素敵な夢を壊してやることもないだろう。アリストラムはそう思い直し、ここは鷹揚とうなずくのみにして曖昧な表情を浮かべた。ラウはと見れば、相変わらずお腹に食べ物を詰め込めば詰め込むほど悩み事が押し出されるたちのようで、屈託なく周りの人間たちを見回しては、夢いっぱいおなかいっぱいのわくわくした顔で次の料理が出てくるのを待っている。
 アリストラムは視線を横へ走らせた。お仕着せ姿の上にフリルの白いエプロンを身につけ、カチューシャで髪をきちんととめたミシアが目に止まる。アリストラムは目配せでミシアを呼んだ。
「お呼びでしょうか」
 ミシアは伏せ気味の顔をなおいっそう伏せ、城主夫妻と目を合わせぬようにしながら近づいてくる。
「私は先に失礼するよ。少々、気分がすぐれないのでね」
「あれ、アリス、行っちゃうの?」
 ラウはおしゃぶり骨をくわえたままアリストラムに尋ねる。アリストラムはにこりとラウへ笑いかけ、何でもないと言ったふうに手を振った。
「ああ、すみません。でもラウはゆっくり食事を続けていて良いんですよ」
「何言ってるんざますのそんなこと言わず今すぐにでも連れ出しなさいなこのバカ食い胃袋娘を!」
「シッ聞こえるよハニー……」
「では、ドッタムポッテン卿、マダム、たいそう美味しい食事でした」
 素知らぬ顔で容赦なくもにっこりと言い置き、立ち上がる。給仕が椅子を引いた。
 アリストラムはまだ少しふらつく足でダイニングを後にし、足取り重く部屋へ戻った。心配そうな顔のミシアが後からランプの火を手に足元を照らしながらついてくる。
 部屋に戻ると、窓が開いていた。食事の合間に誰かが空気を入れ換えたらしい。だがそのせいか魔妖断ちのための薫香がうすれている。些細なこととは思うものの、さすがに無用の手間が重なるといささか苛立たしい。アリストラムは眉根を寄せて部屋を見渡した。
「お薬でもお持ちしましょうか」
 アリストラムが何も言わず香をたく準備を始めたのを見て、ミシアは不安そうな態度を見せた。何か粗相をしたとでも思ったのか、困惑の仕草で手を揉みあわせ、おずおずと口を挟む。
「何か……その、御用が他にございましたらお命じ下さいませ」
「あとでラウにお風呂を使わせたいのだけれど、いいかな」
 アリストラムは振り返らずに言う。ミシアはようやく気詰まりさを振り払えたのか、安堵した様子で顔を上げた。
「承知致しました、では……」
「ところでミシア」
 アリストラムは、去ろうとするその手をふと掴んだ。
 ぞくりと身をちぢめるミシアの背後から、ゆっくりと身をかがめ、耳元に怜悧な微笑を寄せる。
「……どうしてキイスのことをラウに言わなかったのです」
 ミシアは、一瞬あおざめた。悠揚と責める態度のあざとさに身体を凍り付かせる。
「あっ、いえ、その、あの」
 アリストラムは、ふっ、とミシアの耳に息を吹き入れた。
「ラウから聞きましたよ。キイスのことも、敵の魔妖のことも聞かされていない、と。どうしてでしょうね。私には、恋人のキイスを助けてくれと真っ先に泣き崩れて見せた貴女がなぜ、ラウには何一つ伝えずに黙っているのです。よもや私の前で見せた涙すら演技だったとでも言うのではないでしょうね」
 アリストラムは冷淡に微笑んだ。
「ラウでは当てになりそうもないから、断って帰ってくれればいいとでも思ったのですか。それとも」
 指先にミシアの髪をからめ、からかうように、辱めるように冷淡に引っ張る。ミシアは声を呑んだ。ほどけた指がのどをつたい、肩から腕へと撫で下ろすように下がって、そのまま怯える胸元へと忍んでゆく。
「い、いや……お許しくださ……」
 払いのけようとする、そのわずかな抵抗でさえ、ほのかに揺らめく紫紅の眼差しにからめ取られて力無く萎えてゆくかのようだった。
「逆らえば気の脈がゆがみますよ」
 酷薄さすら感じさせる冷たい脅迫の目線がミシアを見下ろす。笑みの欠片すらない、情緒の失せた瞳。まるで気配一つ咳かせぬ氷の沼のようだった。
「……アリストラムさま……!」
 アリストラムは半裸にあばいたミシアの身体を壁に押しつけた。値踏みでもするかのように、晒した肌のきめを調べ、特に首筋を注意深く検める。赤い痕跡が見いだせた。傷というにはなまめかしすぎる赤さ。
 アリストラムは表情ひとつ変えず、さらに眼を近づけた。白い肌の表面に触れるか触れないかの高さで掌をかざし、裡に秘めた何かの反応を求めてじりじりと探ってゆく。青い光が反応した。はだけた胸に、書き判らしき花印の呪縛が浮かび上がる。
 ミシアは身体を弓のように反らしふるわせて喘いだ。
「あ……ぁぁ……見ないで下さいまし……!」
「魔妖の刻印」
 アリストラムはふいに残酷な力で乳房を絞り上げた。白くやわらかな胸が、潰れんばかりに形をゆがめ、赤く染まってゆく。
「そのキイスという男――まさか」


>次のページ

<前のページ
もくじTOP