5 それが、真実

「嘘だ」

 他に、どう言えばよかったのか。
 そんなことなど、あるはずがない。
 アリストラムが、ゾーイを――
 谷底から吹き上げるような突風にあおられ、ラウは思わずよろめいた。
 腕を上げて眼をかばう。
「アリストラムは欠落者だ」
「アリストラムさまは、欠落者ですわ」
 微笑むミシアの口から、ぞっとするほど低いレオニスの声が重なって響く。
 ラウはとっさに腰を落として身構えた。四方を見渡す。どこから聞こえてくるのか、まったく分からない。
「レオニス……! 卑怯者! 出てこい!」
 嘲笑の声が風に乗って降りかかった。
「それが、真実だ」
 冷ややかに蔑む声が風にまぎれて吹き付けてくる。
「アリストラムは、己に刻まれた呪縛から逃れるために、刻印の主をその手で殺した。お前も、本当は、奴の姿を見ていたのだろう?」

 あの日。
 あの夜。
 立ちつくすゾーイの背中の向こうに見えた、銀の閃光。
 狼の里を破壊し尽くした、ゾーイの絶叫を銀の炎で炙り尽くした、憎い仇――
 ラウは膝から崩れ落ちた。視界が真っ白に焼き付く。
「嘘だ……」
 涙がこぼれ、喉を嗄らす。
「でも本当なのですもの」
 くつくつ、と。
 ミシアは、陰湿に手を口元に添えて笑う。
 罠。
 陰湿な単語が脳裏に閃く。
 違う。これは、罠だ――
 ラウが我に返った刹那。
 伝い走る銀の軌跡が音を立てて空を切った。
 熱線が首筋をかすめる。
 焼けつく痛みを跳ね返すようにして、ラウは身をよじった。飛びすさる。
 狂暴な唸りが喉からもれた。
 聖銀の十文字槍が、清冽な死の輝きを放って弧を描く。
 視線を上げる。
 レオニスが笑っていた。
 弾け返る銀の稲光が、真夜中の太陽よりも眩しく燃え上がっている。
 光と、影と、すべてを暴き出す残酷な炎が――レオニスの本性を、めらめらと立ちのぼらせていた。
「死ね、けだもの」
 目も眩む速度。
 十文字槍が右に、左にと旋回する。ほとんどとらえきれない。
 残像だけが青白く光る紋章を空に描き出している。
「んなもん、当たるかっ……!」
 口汚く吐き捨てようとして、ラウは眼を押し開いた。
 中空に描き出された紋章に目が釘付けになる。
 身体が動かない。
 聖銀の紋章――
 一瞬、魂を魅了される。
 ”聖なる刻印”、とでも言うべきか。
 魔妖が人間を縛る、それを刻印と呼ぶならば。
 聖銀が魔妖を縛る、それは紋章と呼ばれているものだった。
 アリストラムが、ラウの魔力を封じるのに使ってきた聖なる徴と、ほぼ、同じ――
「……ッ!」
 ラウの漆黒の影が、圧倒的な罪の重圧となって、地面へと落ちた。
 耐えきれず、ラウは、這いつくばった。押しつけられたように動けない――!
 レオニスはせせら笑った。
「人に害なす邪悪は、滅ぼされなければならない」
 風を切り混ぜる槍の切っ先が、ぴたり、と、ラウの心臓を狙って差し付けられた。
「アリス……!」
 テントに一人残ってラウの帰りを待っているだろう、アリストラムのことが脳裏に浮かんだ。
 自分が帰らなければ、アリストラムはきっと何があろうと探しに来てしまう……
 自分のために、あえて命を棄てるような真似をしてしまう……!
 互いに、互いを思い合って。
 そのせいで――
「けだものめ、本性を現せ!」
 歯を食いしばったラウの眼に、ほんの一瞬、炸裂する白銀の炎が映った。
 意識が氷のように砕け散る。
 銀の火がはしりつく。
 炎がラウの身体を包み込んだ。
 力のすべてが、奪われる。
 苦悶に歪む獣のさけびをまとわりつかせた姿が、みるみる、人ではないものへと収縮し、変わってゆく。
 ”それ”が、よろめいた。気がそれたのか、銀の火が、くらりと揺れて萎え、しぼむ。ふいに辺りが暗くなった。青白い月の明かりだけが岩場を照らし出してゆく。
 風が、凪ぐ。山が息を呑んだかのようだった。
 ほそい、苦みのある煙が、ひとすじ、ふたすじと立ちのぼっていく。
「本性を現したな、魔妖」
 レオニスが冷ややかに吐き捨てる。
 吸い込まれ消えゆく光の下から現れたもの。
 それはもう、ラウではなかった。
 ときおり火花を散らす銀の光を帯びてよろめく、青い狼。もはやラウでも魔妖でもなく、ただ目をつむり、口を割って、苦しげに舌を垂らして喘ぐだけの、傷を負った狼でしかなかった。
「消えろ」
 槍の尖先が轟音を上げて跳ね上げられる。凄絶な光と影の圧力に吹き飛ばされ、狼はあっけなく宙に弾き飛ばされた。
 暗黒の谷が眼下に広がる。足元には、もう、何もない。
 ぼろぼろに焼けこげた身体がもんどり打った。さらに撃ち放たれた銀の火が、跳ね転がる狼を切り立った崖から追撃し、高々と残酷に打ちあげ、弾き飛ばす。
 獣の悲鳴が響き渡った。崖の斜面に激突し、破れた鞠のように、はるかな奈落へと二転、三転して転がり落ちてゆく。
 どこまでも、落ちる――

 意識が吹き飛んだ。

>次のページ
<前のページ
もくじTOP
【ネット小説ランキング>狼と神官と銀のカギ】に投票
▲おもしろかったら押してください!作者の励みになります。