「ラウ、すみません。手を貸して下さいますか」
「ん? う……うん、いいよ」
そわそわと手を出す。
と、思いも寄らぬ暖かさと大きさで、指全体を包み込むようにぎゅっと握られた。
以前のアリストラムとは違う握り方。
どこか、足下のおぼつかないような心許なさと同時に、おだやかな心地よさが伝わってくる。
ラウは、アリストラムの手を握り返した。
手と、手。
指先と、指先。
互いに、相手をいたわりながら、しっかりと手を取り合う。
ぬくもりが伝わった。アリストラムの優しさ。その、想いが。
「しばらく、こうやって……貴女と手を……繋いでいたいのですが……じっとしているのは……おいやですか?」
ラウは眼をしばたたかせた。
とくん、と、心臓が跳ねる。
隣に、アリスが、座っている。手を、握られ――座っている、だけなのに。
椅子の背に回された手の、その微妙な距離感が、何ともいえずもどかしい。
どうせなら肩ごと全部、ぎゅうっ、てしてくれればいいのに、とも思うけれど。
でも、さすがにそれを自分から要求するのは、ちょっと厚かましい、というか……
今まで、さんざんバカだのヘンタイだの陰険腹黒だのと口汚く言い散らかしてきたことを思い返すと、言いたいことも言えず。
気恥ずかしく、はばかられる。
でも。
本当は。
ちょっと前のアリスみたいに、よしよし、いい子だよって笑いながら言って欲しかった。
優しそうな顔で、ちょっと意地悪に笑ったりしながら、頭をなでたり、耳をつまんだり、こちょこちょしたりして、撫でて欲しい……。
アリスに、撫でられると。
身体中が、くすぐったくて。
暖かい手のひらの感触に、つい、うっとりしてしまって。
気がついたら、眼を閉じて、もじもじしながら、尻尾を振っている……
いつも、そんな感じだったから。
でも、今は、ワガママは言えない。
レオニスと戦ってひどい怪我をしたばかりだし、あんまり口に出しては言おうとしないけれど、本当は今もすごく疲れているはずだ。
迷いためらっているうちに、ほのかな魔香の甘さが鼻をくすぐった。
少し、あたふたする。
アリストラムの香り。
うっとりと甘ったるい誘いの香りに、つい、ぽわわん……、としてしまう。
やっぱり、もう少し、近づきたい。
近づいて、くんくんして。
差し出された手を、いつもみたいに舐めたい。
尻尾を振って、だいすき、って言いたい。
よしよしされたい。
抱きしめられたい。甘えたい。
でも、無理をさせてはいけない。
休ませてあげなければいけない、と思いながらも、やっぱり、じゃれつきたい……と思う気持ちを抑えられない。
ごくりと固唾を呑む。
尻尾が、ぱた、ぱた、振れている。
椅子をはたくその音が、あまりに大きすぎる気がして、ラウは顔を真っ赤にした。
胸がやたらにどきどきする。
せっかく一息入れているアリストラムに、尻尾のうるさい音が邪魔になりはしないかと、ただそればかりが気になって、こんどは、心臓がやたらどきどきしはじめて。
どうにも落ち着かない。
何を今さら、手を握られたぐらいでドキドキしなくちゃいけないんだろ、とも思うけれど、でも、何だか、急にどぎまぎして、顔が勝手に赤くなってきて。
じっとしていなくちゃ。
いい子にしていなくちゃ。
アリストラムを邪魔しちゃ、いけない。
そう思うのはやまやまだというのに。
なのに、胸も、尻尾も。
なおいっそう、どきん、どきん、ぱたぱた、どきん、どきん、ぱたぱたと。
騒々しい音をさらに騒がせてゆく。
「も、もうっ……」
開いた方の手で胸を押さえる。
「ちょ、ちょっと……!」
どんどん、心臓の音が高くなってくる。
だんだん本気で焦ってきて。
ぎごちなく首をねじって、横目でちら、とアリストラムを覗き見る。
「アリス……?」
つい、聞こえるか、聞こえないかの、蚊の泣くような声で思わず、名を呼んでしまう。
首をちぢこめて、そうっと様子をうかがってみる。
アリストラムは、答えない。眼を閉じたままだ。
眠っているのか――?
今のところ、うわずったラウの声に気づく様子は、ない。
ラウはかすかに苦笑いし、ほぅっ、と胸を撫で下ろした。
「き、聞こえてなかった……のね。よかった」
アリストラムは、ゆるやかな吐息に胸をゆったりと上下させている。
完璧な横顔が、白く、闇に浮かび上がっている。
思いもよらず、近い。
「いいえ、聞こえていますよ」
アリストラムはいきなり眼を開けてラウを見返した。
「何か御用でも?」
問いかける声のあまりの近さに、ラウはあわてて飛び上がった。
「はうう!」
心臓が口から転げ出しそうなほど、驚く。
「お、お、起きてたのっ!?」
「ええ。それがどうかいたしましたか?」
あまりの衝撃に、しどろもどろになって口ごもる。
「な、何でもな……!」
情けないほど声がうわずった。
「すみません。逆に驚かせてしまったようですね」
アリストラムは微笑んで身を起こした。
意味ありげに指を一本立てて。
「しずかに」
ぱくぱくと金魚みたいに口を開きっぱなしにしているラウのくちびるを、つ、つ、となぞる。
「あう!?」
「もっと、こっちに来てください。私の傍に」
「うっ……うん」
「もうすこし。そう……もっとです」
肩を抱かれ、ラウは頬を赤らめた。
アリストラムが頬を寄り添わせてくる。
「動かないでくださいね」
「うん」
アリストラムの頬は、すこしひんやりとして心地よかった。でも、それは、もしかしたら自分のほっぺたが真っ赤っ赤で熱いせい、なのかもしれなかったが。
腕にゆったりと包まれる。
ラウは、ことん、とアリストラムの肩に頭をもたせかけた。
頬が熱い。詰めていた長い吐息をほうっ、とつく。
「ラウ」
「うん」
「もうすこしこうやって元気を頂いていても……構いませんか?」
「い、いいに決まってるじゃん」
ラウは、眼を閉じた。抱き寄せられるがままに、アリストラムへと身を寄せる。
「も、もう、この際ずうっとこのまんまでもいいよ!? アリスが元気になるまで、ずっと、じっとしてる」
「ありがとう、ラウ。嬉しいお言葉です」
椅子の後ろで、尻尾だけが振りすぎな振り子のようにせわしなく揺れている。
怖いぐらい、嬉しくて、幸せで、身じろぎもできなかった。
どれぐらいの間、寄せた頬の暖かみを感じていたのだろう。
「さてと」
アリストラムはかすかに笑って、居住まいを正した。
「そろそろ……我々の身の振り方を考えなければいけません。私まで時間を忘れていては……貴女に迷惑を掛けてしまいます。いつまでもうかうかとはしていられません」
「……う、うん……」
握ったラウの手を、ゆっくりと口元へと持ち上げながらアリストラムはつぶやく。
「貴女を――守らなければなりません」
「まさか……あたしが、魔妖だから……アリスまで追いかけられるってこと……?」
ラウは息を呑んでアリストラムを見上げた。
言葉もない。
アリストラムの端整な顔立ちが、月明かりの逆光が落とす影に呑み込まれた。
見えなくなる。
ほのかな紫紅の彩をたたえた瞳だけが、ラウの不安な表情を映し込んで光っていた。
「もちろん、貴女のせいではありませんよ。それに誰が来ようと貴女を引き渡すような真似もしない。諍いになるのが面倒というだけのことです」
「あ、あのさ」
ラウは、今にも指先に触れそうなアリストラムの唇の近さに顔をひくつかせながらおずおずと言った。
「何ですか、ラウ」
「あ、あ、あの、」
「もったいを付けずに早く」
アリストラムの吐息が、ふっ、と指の先にかかる。ラウはぴく、と耳を突っ張らせ、声を詰まらせた。
「あ、あたし、考えたんだけど、つ、つまり……あの……」
「……焦れったいですね。貴女らしくもない」
アリストラムは意地悪に笑ってラウの手をゆっくりと弄び始めた。気取った貴族がするキスのように、唇を手の甲に押し当てつつ、両手でラウの指先を包み、からめあわせては、揉むように指の一本一本を揉み合わせる。
「ほら、言って。恥ずかしがらないで」
「……あ、あ、あの、まえ、まっ、前みたいに……首輪したら、どうかなって」
アリストラムの動きが止まった。
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