1 被虐

 やめて。誰かが叫んでいる。やめて。
 誰の声……?
 私の声……?
 ……違う。聞こえてくるのは――まだ、”人間”だったころの私の声だ。

 誰かの赤い手が。
 私を”人形”にしてゆく。

 ……その手が誰の手だったのか。見てはいけなかった。その声が誰の声だったのか。知ってはいけなかった。言ってはいけなかった。思い出してはいけなかった。その手が、その声が、誰の――

 長かった。
 やっと退院……。
 病院の入り口にまで来てもらったタクシーに乗り込む。嬉しくなって思わず私はくすくすと笑った。その声が聞こえたのか、ルームミラー越しに見えた運転手の顔が突然、引きつる。
 私は肩をすくめ、口元をハンカチで覆った。咳込む振りをする。もちろん、笑い声を隠すためだ。
「ごめんなさい、この住所に行ってもらえますか」
 運転手にメモを手渡す。運転手はおずおずと受け取った。
 当然だ、私だってもし自分がタクシーの運転手で、こんな客をいきなり乗せたら怖いだろうと思う。病院から出てきたばっかりの化粧っけのない女が、独りでくすくすと笑っているのだから。

 でも、私はもう、正常。

 身体の傷も、こころの傷も、もう、癒えた。
 ”彼”から加えられた、忌まわしい行為の数々も――

 記憶には、もう、ない。
 何もかも、あれは、嘘。
 なかったこと。

 あの後……
 ”彼”はどうしただろう。私の前から姿を消して。

 ……死のう、恋《れん》。このまま……一緒に、つながったまま……眠ったまま。そんな苦しそうな顔をしないでくれ……手錠が痛いのか……苦しいのか……? 違うだろ……気持ちいいって言ってくれよ……
    
 どうして、こんなに……
 お前の中……苦しい……熱い……火傷しそうなのに……
 どうして……っ……はぁっ……
 そんな顔をするんだよ……笑えよ……泣けよ……狂えよ……気持ちいいって言えよ……
 俺の身体の全部、お前にやるって言ってるだろう……
 こんなに……お前をこんなに汚して、めちゃめちゃにしてるのに……
 まだ……殺したいほど……欲しいんだよ……
 うっ……あぁ……ハアッ……気持ちいいだろ……結婚なんてやめろよ……あんな男より俺のほうがずっと……レンを愛してる……レン……レン……! お前の……身体……すげえイヤらしい……ぐちゅぐちゅ言って……どろどろだ……
 感じろよ、レン……もっと感じてくれよ……尻を振れよ……

 ……そんな顔するんじゃねぇ……ッ!

 ――何も分からなくなるまで、犯された。
 閉じこめられ、縛られ、狂わされて。たぶん……何日も何週間も……”彼”に、身体を貪られていた。
 最後のほうはもう、何をされていたのかさえ覚えていない。
 でも、一つだけ、忘れられないことがある。
 それは、悲鳴。

 レンは、俺なんだ……だから全部返してもらうだけなんだ……
 取り戻すんだよ……お前の身体も……心も……命も……
 全部……俺のものだ……!

 ”涼真”の声が、私の頭の中で、未だにグルグル回り続けている。
 私の身体に突き立てられた涼真のおぞましい欲望のかたちが、まだ下腹部に残っているような残像感がある。
 今でもこみ上げてくる。私の中で狂ったように滾っていた”あの子”の感触。私の身体に、穴という穴に白いねばつく悲鳴を流し込んでいた”あの子”の感触だけが、なぜか消えない。

 私は、私の身体は、あの子の欲望だけを受け入れていたのかもしれない、と思う。
 思うけれど、本当のことは分からない。
 でも、それでいい。もう、過ぎたことだから。
 私は、戻ってきた。

 ――人間の世界に。



 田舎の父が、縁切りと引き替えにいろいろなものを買っていてくれたらしい。私名義になっている新品の携帯と、着替えと、ほんの少しの心付け。相当な残高の記された通帳と印鑑、キャッシュカード。住所を記載したメモと、私の名前が書かれた玄関の鍵。
 携帯にはメールが一通残っている。
 両親からのメッセージだ。改めて読む必要もない。内容は分かっている。

 二度と家の敷居は跨がせない。だ。

 今、私は、メモに書かれていた場所にいる。エントランスロビーもシンプルで機能的なオートロックのマンションだ。ポストには名前を書く欄すらなかった。そっけなくも部屋番号のみ。いかにも女性が独り暮らしするには相応しい雰囲気である。
 鍵を開けて中に入る。押しピンの跡ひとつない、真っ白な壁紙がまぶしい。私は部屋を見て回った。
 すでに幾通か封筒がとどいている。住民票の異動、光熱費の引き落としなど、生活を始めるのあたっての手続きはだいたい終わっているらしかった。テーブルやソファ、そのほかの家具やベッド、PCにテレビにレンジに冷蔵庫、コンロや照明器具まできちんとそろっている。
 無いのは、生活感だけ。
 ダイニングのカウンターに、母の字のメモが残されていた。

 これからは人間として恥のない暮らしをするように。

 人間として恥じない?
 私はまた、笑った。
 弟に強姦されて二度と子どもがつくれない身体にさせられたような姉は、恥ずかしくて世間に顔見せできないとでも?
 まあ、普通はそうかもしれない。私だって、そう思う。

 当然、できの悪い姉よりも有望な弟のほうが大事に決まっている。
 父の仕事を継ぎ、いずれは代議士になるべき、大切な弟なのだから。

 病院に閉じこめられていた間、世間では何が起こっていたのか全然分からない。
 私たちが――いや、私が問題を起こしたことがもし公になっていないとすれば、それはひとえに父の政治力によるものだろう。だが、もしそれが事実だとしても、私という恥の存在が伏せられるだけですんでいることには逆に新鮮な驚きを感じずにはいられない。
 傲慢なあの父に、それだけの奔走をさせる力は、私にはない。
 涼真のためだ。

 父が、動くのは――弟のために他ならない。

 私も、もう、二度とあの子に逢うつもりはなかった。すべてにおいて完璧だった、私の弟。
 もう、これ以上、あの子の人生を――あの子の未来を踏みにじりたくなかったから。

 しばらく、ぼんやりとソファに座って窓から外の景色を眺める。
 灰色のビル。灰色の屋根。聞こえるのはバイパスを通る車の音だけだ。クラクションと、振動。
 緑も、川の音も、山の遠景もない。
 知らない街並みだった。
 でも私は一人で生きてゆくし、生きて行けるだろう、と思った。明日になったら、仕事も見つけにハローワークを探して登録してこよう。
 通帳の残高を見れば、数年単位、下手すれば十数年は急ぐ必要などないことは分かっていたけれど、いずれ手持無沙汰になると分かっていたし、何もしないでいるのは恥ずかしかった。
 このお金に手を付けるのは最後のとき。
 あの子に居場所が知られたとき。どこか遠くへゆくために必要なお金だ。

 もう二度と逢わないと誓った――私の、弟。

 今、どこにいて何をしているのかも知らない。
 私に縁談が持ち上がったとき、涼真は、まだ大学生だった。あれから何年たったのだろう? 今はもうとっくに就職しているか、他の代議士か銀行家の娘と婚約でもしているに違いない。
 私のことは、過去の汚点として抹消されているはずだった。日々流れる小さなニュースの一つのようなもの。見知らぬ誰かが、どこかに消えた。それと同じ。
 私は、もう、誰の心にも存在しない。

 そのとき、テーブルに放り出してあった携帯が、ぶるっと振動した。
 非通知の着信。
 私は、携帯を握りしめた。
 携帯が光っている。いつまでも光り続けている。
 留守番サービスに繋がる。
 唐突に通話が切れる。
 そして、再び、振動し始める。
 非通知。
 いつまでも携帯は動き続けている。
 止まらない。

 私は、光る携帯のディスプレイを見つめた。
 出ない、という選択肢もあった。
 出れば、きっと。

 二度と戻れぬ過ちと分かっていて、犯した――
 かつてと同じ罪を。
「はい」

 また、犯す。

 震える携帯を握りしめ、耳に押し当てる。

 ――レン。

 あまりにも唐突だった。
 携帯の向こうから、聞き慣れない男の声がする。
 冷たい響きだった。

 ――今、どこにいる。

 私は、携帯を握りしめた。身体が震え始める。変わり果てた声。

「涼真」

 携帯の向こうで、相手が大きく深呼吸するのが聞こえた。

 ――答えろ。レン。迎えに行く。

 久し振りに聞いた涼真の声は、まるで残酷な王のようだった。



 そのまま待っていろ、レン。今から行く。

 問われるがまま、私はここの住所を教える。
 ほんの数分前まで、教えるどころか、逢うつもりもなかったはず、なのに。
 なのに、私の口は。
 涼真に命じられるがまま、抑揚もなく真実を答えている。
 携帯の電源を切れば、よかった。
 嘘の住所を告げれば、よかったのだ。
 そうすれば、二度と逢うこともなかったのに。

 何もせず、一時間。
 二時間。
 陽射しが傾き、空が赤くなる。
 茜色と金色の入り混じった夕日が、壁紙を深紅に染めている。
 そのとき私ははじめて、この部屋にはまだカーテンがない、ということに気が付いた。

 明かりを付ければ、外から家の中が見える――

 明かりを付けることもできず、かといってカーテンを買いに出かけるわけにもゆかず。
 ただ、次第に薄暗くなってゆく部屋の中で、私は、待っている。
 テレビを点けて見る。首相が替わっていることに気が付く。与党の名すら昔と違う。何もかもが変わっている。テレビをにぎわせているタレントも知らない顔ばかりだ。
 私は、ひとり、過去に取り残されている。
 私と、世界を繋ぐ絆は、もう、ない。
 まるで、この時代の人間ではないかのようだった。
 いや――かのようだった、という言い方は、正しくない。両親にとって、私は、”人間”ですらない、だろうから。

 三時間。
 四時間。
 外は、とっぷりと暮れている。

 来るはずがなかった。

 私は、何を待っているのだろう――
 何もせず。
 何も考えず。
 座って、ただ、待っている。

 食事すら、朝からずっと取っていない。
 病院にいたときは、日に三度、定期的に食事が出されていた。食べなければ叱られた。私は皿に盛ってあるそれらを口へと運ぶ。それが食事。
 何かを食べたい、などと思うことはない。
 身体が空腹感を訴えることも、ない。
 感じるのは――ただ、ひとつ。

 飢餓感。

 緑のランプが闇に光った。インターホンがふたつ鳴る。マンションの外から押されている。
 モニタに映っているのは、映りきらない白と黒の男の影。
 暗くて、よく、見えない。

「はい」

 ――レン。開けろ。

 解錠のボタンへと伸ばした手が、なぜか、押すのをためらう。
 最後の砦。
 最後の理性。

 ――レン。

 その声が。私をうずめてゆく。
 私は、ボタンを押した。
 インターホン越しに、機械的な音――オートロックの解除されるモーターの音が聞こえた。



 エレベータが上がってくる間。私はずっとインターホンの受話器を握りしめたまま立っていた。
 暗い部屋の中、誰も映さないモニターだけが灰色に光っている。

 何の予告もなく、ドアが開く。
 私は、振り返る。

 恐ろしいほど背が高いスーツ姿の男の影が、ドアのすぐ外、オレンジ色の明かりを切り取って浮かび上がっている。
 私は無言でインターホンの受話器を戻す。

 私と、外の世界とを繋ぐ唯一の絆――モニタ画面が、消える。

 影だけでは、誰か分からなかった。
 男もまた、無言。
 鍵を掛ける金属の堅い音が高く響く。

 男は玄関を上がり、私に近づいてくる。私は窓辺に立つ。
 足音が近づく。影が、近づく。男は部屋の明かりがついていないことに対して何の躊躇もしない。

 私が見えているのか。

「涼真」

 私の記憶にあるのは学生のときの、”あの子”。

 背が高くて、誰にでも愛されていた。
 私と違って聡明で、中学から大学まで一貫教育を行う有名な私立校に通い、多彩な才能を発揮した。

 母に似て、甘く、優しい顔立ちをし。
 父に似て、時に激しかった。

 母に似て、流されやすく。
 父に似て、愚かな私とは――何もかも違っていて。

「レン」

 窓から差し込む月の光が、濡れたような青灰色の光をフローリングに反射させている。
 遠くに見える高架道路を走る車が残すテールランプの軌跡が、無数に赤い。
 闇に鮮血が流されたかのようだった。
 けたたましいダンプのブレーキ音。続けざまに叩き鳴らされるクラクション。我が物顔に走る巨大な鉄の塊。

「レン」

 男の低い声が、私の名を呼ぶ。
 私は、窓を背に、後退る。
 知らない声。
 知らない男。
 乱暴にネクタイをゆるめ、黒いスーツを脱ぎ捨て、理性も激情もまとめてソファへと叩きつけながら窓際にまで一気に踏み込んでくる。
 かすかな夜の光に浮かび上がった男の顔。
 それは、涼真であって涼真では、もう――私の記憶にある”あの子”ではなかった。

 涼真の手が、私の肩を、冷たい硝子窓へと押し付ける。
 挨拶も、笑みすらも、ない。
 久し振りに逢った弟は、大人の男に変わっていた。

 優しい、甘い顔立ちは。
 完璧すぎる、酷薄さすら漂わせる美しさへ。
 ときに頑なだった一途な眼は。
 突き刺すようなするどさへと。

 その眼が私を見つめる。
 私の目を。私の髪を。私の唇を。私の身体を。
 見つめている。
「……久し振りね。涼ちゃん」
 涼真の顔が、虚をつかれたような表情に変わる。
「その言い方はやめろ」
 肩に、手を置かれる。

 びくり、と。
 身体の奥底がすくんだ。
 ――子宮が。

 涼真の手が、私の頬へと触れる。
 そのぬくもりが、ひどく懐かしく。
 そして、怖い。

 抱かれ、犯され続けた記憶が、ぼんやりと甦る。

 目隠しされ、手足を縛られて。
 すべてを、涼真に奪われた。

 心も。身体も。理性も。

 私の身体のどこにも、涼真の知らない場所はない。

 涼真が。
 私を、壊した。
 私を、狂わせた。
 私を、つなぎ止めた。

 今もなお残る、私自身をつらぬいたあの、狂わんばかりの感覚に。

 忘れられるはずがない――

 手が、私の顔を乱暴に上向かせてゆく。月の光、罪の光を浴びた涼真の、冷ややかな激情が私を見下ろしている。
 心の欠けた眼。
 二度と、笑わない眼。
「触らないで」
 私は、どうにかそれだけをうそぶく。

 それ以上言ったら。
 それ以上、近づかれたら。
 気付かれる――

「レン」
 手首を取られ、冷たい硝子に身体ごと強く押し付けられる。
 私の手を見つめる涼真の瞳の中に、獰猛な憎悪にも似た赤い光が映り込んでいる。
 それは過去に似た、夜景。どこまでも連なるテールランプの色。赤い、赤い、血のように赤く反射して、流れてゆく、赤い光。

 唇が近づく。
 眼が、近づく。
 吐息が、近づく。
 涼真の指が、私の髪に差し入れられる。色気も何もなく、そっけなく束ねていただけの髪を乱暴にほどかれる。乱れ髪が黒く艶やかに肩へと散る。
 いつの間に、こんなに、伸びていたのだろう。
 肩につくか、つかないかぐらいの長さだったのに。

 こんなにも。
 狂おしく。
 黒々と、伸びている。
 女の髪となって。

 いきなりの唇が私を奪う。
 何の、甘やかさもなく。
 ただ、激しく。
 そのするどい眼差しで食い入るように私を睨み据えたまま、深く、深く、唇を重ねてくる。
 強引に口蓋を割って、舌を差し入れ、喘ぐ声を呑み込ませる。
 吐息が私を支配してゆく。
 からめた舌が、濡れた音を立てる。男の味を、思い出させられる。いつも、いつも、こうだった……

 そうやって、少しずつ私の理性を奪っ――

 胸元へと這う指がためらいもなく、ブラウスを引きちぎる。
 ボタンが、床にこぼれ落ちる。
 左の手首を持ち上げられ、硝子窓に押さえつけられたまま。ゆっくりと前をはだけられ、反対側の肩だけを、露出させられる。
 素肌が硝子に触れる。
 背中が凍りつくように冷たい。全身が総毛立つ。
「どうして」
 涼真の手がキャミソールの下を這う。震えが、走った。
「逃げない」
 欲情にふるえる身体をきつく縛り上げていたブラが、嘲笑するかのように巧妙にはずされる。私は、吐息をもらす。乳房が、揺れる。
 もう、抑えてくれるものはない。
 私の足下に広がるのは、薄い、薄い氷。その不安定な感触が、たまらなく恐ろしい。
 恥、という言葉を知らない乳首がキャミソールの薄い生地にすら擦れて、つ、と持ち上がっている。

 見られている。
 それ以上、見られたら。
 触れられたら、この、身体に……
 気付かれ……

 親指が、布越しに快楽の乳首を転がす。
 丸く円を描くようにして、私の胸を、男そのものの骨張った手をした涼真の手が、憎むように掴み、揺らし、握り潰す。
 揉み寄せられる力を、次第に強められて。
 男の手にすら余るほどのふくらみが、キャミソールの胸元から強引に掴み出され、強く、強く、揉みつぶされる。
 こんな、ものが、私の身体にあるから。
 こんな、重く揺れる、けがらわしい、肉ですらない狂った感覚器官が。
 からだに、あるから。
 弄ばれる。転がされる。
 胸が、乳房が、私の意志に反して、揺れ動く。
 白く、赤く染まり、残像のような欲情を吸い込んで、揺れ、ふるえ、潰される。吊られた左手を高々と押し付けられたまま。
 硝子窓のサッシが軋んでいる。

 冷たい……はずなのに……
 ……ぁ……
 あっ……

 浅ましい声が、洩れる。
 身体全体が、乳房のように揺れて、たわんで、揺れて、揺さぶられる。揉み絞られる。喘ぎ声をキスに呑み込まれる。
 いつ、どうやって、つけていた他の何もかもを脱がされていたのか、それすら記憶にない。
 分からないまま。
 半ばめくりあげられたキャミソールに隠れている部分以外、ほとんどすべての肌を剥き出しにされて、カーテンも何もない窓硝子にあられもなく押し付けられている。

 外から、見られ……

 指が、無様に痩せて浮き上がった私の肋骨をたどっている。
 残酷な指。
 乳房に飽きた指が。
 ひそかに熟れた下半身へと伸びてゆく。
 そこにいきなり触れられそうになって、私は、思わず身をよじらせる。

 知られたく、ない……

 涼真の眼が、ふと、下へ落ちた。
「レン、忘れたのか」
 いざなうような。
 何の感情も交えない声が。

 耳朶をかすめた。

「……俺に、逆らうな」



 涼真の手が、私の下半身を這いずり回っている。

 ……もう、中が、充血して、ふるえそうに腫れている……

「ベッドに行くのも待てないのか」
 耳元に吐息が吹きかかる。
 あっ……あ……こんな……ところで……
「連れていって欲しいのなら」

 動けないのを……知っているくせに……

「言え」
 涼真の声が私に命じる。私は、答えられない。
 情けない……
 声に、ならない……あえぎをもらす……ことしか……できない。
 いや……違う……ちが……

 指が、そこに、触れている。

 ぁ……あっ……
 や……

「言わないと、このまま、嬲る」

 いや……イヤ……ぁ、あっ……

 涼真がハンカチを取り出して私の目を隠した。視界が完全な闇に覆われる。夜景も、もう見えない。頭の後ろで、ハンカチをきゅっと縛られる。
 何も、見えない。
 自分も。涼真も。部屋の中も。
 聞こえる、だけ。
 感じる、だけ。

 涼真の指。
 かすかな息遣い。
 触れてくる頬。整髪料の香り。男の臭いを。

 感じさせられる……

 私は力なく首を振る。目隠しされているせいか、自分の髪が肩から流れ落ちて胸元をかすめる、そんなわずかな感触さえもがまざまざと感じ取れる。
「レン」
 耳元に低く涼真の声が聞こえる。吐息が耳朶から首筋を伝う。熱い。
「答えろ」
 なのに、氷のような指が。

 ……ぁ、あ……

 掻き分けて。進む。
 必死に足を閉じ、少しでも秘め隠そうとしている”それ”を、あからさまに押し開いて。
 濡れた内部を、掻き分けて。あらわに、してゆく。
 それを、感じる。

 ゃ……あっ……

 薄く、覆ったところを、指の先で押しのけられ、剥きだしに――されて。
 触れるか、触れないか……まだ、きっと、本気で触れられてすらいない、はずなのに。ほんの少しだけかすめるその感触に、全身が、がたがたとふるえて止まらない。
 ろくに立ってすらいられない。膝が力を失って、無様に震える。
 私は、闇の中にいる。
 なのに、何かがもう、熱く染み出して。
 ぬめり、したたる。

 ……いや……ぁっ……

 誰が泣いているのだろう。
 歓喜のうめきを、惨めにも洩らして。
 誰の目にも見えるはずがないのに。部屋の中は、真っ暗――差し込むのは外からの光だけ。私の身体も、涼真からは影になって見えないはず……。
 何も、見えない。
 わからない。真っ暗……
 何を……されるのか……と……思うと……
 ……こわ……くて……
 たまらない……

 違う。
 鮮明な意識が唐突な光の矢となって舞い戻ってくる。後悔にも似た痛みが私の理性に突き立つ。分かっている。私が怖れているのは私の身体だ。いまここにいる私、肉体の闇に閉じこめられた私。涼真の眼にいやらしくも浅ましい姿を晒しているであろう、私の、身体。
 だが、分かっている。どうせすぐに、何もかも怖くなくなってゆく。
 私は、私でなくなってゆく。

 その、手に。
 その、指に。
 ――狂わされて。

 ばらばらに、壊れる。

 怖い……
 なのに身体は動かない。あらがいもせず、ただふるえるだけ、ただ喘ぐだけで、涙を、こぼす。

 ふと。
「泣くな」
 頬に、涼真のくちびるが当たった。心に伝い入るような、優しすぎる、痛いぐらいに愛おしい感触が、冷たく頬をぬらしていた涙をぬぐう。
 押し殺されたささやき。ふるえが、とまらない。
「泣かなくていい」
 後はもう声もなく、唇だけが、私の名をいつまでも繰り返している。

 その、声を、聞いただけで。

 自分が、例えようもなくおぞましいものに変わってしまうのを感じる。身体から流れ出るのはそこに存在してはならない何か。引きずり堕とされる赤い血。糸を引いて粘る赤い血。水面をどす黒く染めてゆく夥しい罪のゆらめき。私の残骸。
 愛してなど、いない。できるはずがない。
 私は決して、涼真を、弟を愛しなどしない。そのすべては否定される。愛されることも、愛することも、何もかも。私は姉だ。血の繋がりを越えた何かなど望んでもいないし望むことも許されない。そんな、感情は、弟を傷つける。弟を、苦しめる。涼真を、窮地へ追い込む。それだけは誰も絶対に望まない。父も、母も、社会規範のすべてが倫理が道徳が理性が絶対に、そんなものの存在を許さない。私も、だ。もしそんな感情を一瞬でも持とうものなら、いっそ――

 ぁ……

 指が。
 私を、つらぬく。
 声が。
 私を、つらぬく。

 身体の中から、支配……され……

「レン」
 指が、私の中をまさぐる。
 指と肉が、互いにむさぼるような音を立ててぬるぬるとこすれあっている。糸を引く濡れたいやらしい音が耳を打つ。
 膣の内壁の、奥の、奥の、ざらついたところを、くちゅ、くちゅ、と、指で擦り上げられて……

 くちゅ、ちゅ、る、じゅる、と、音を立てて。
 指が、くねり、入る。また、入る。出ては、入る。
 指の本数が増える。増えてゆく。突っ込まれ、押し広げられ、もう一方の手で胸を強く揉みしだかれ、掴まれ、乳首を倒し回され、耳朶を首筋を強く噛まれ、唇をかさねられる。身体すべての自由を奪われてゆきながら、なのに、そのすべてが闇の中に取り残されている。私は、ここにいるのに。

 音が……
 ひどい……音が……してる……
 ……ぁ……
 いやらしい……音……

 悲鳴……まで……濡れて……  


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