" お月様
お月様にお願い! 

1 お月様にお願い!

 少女は、顔を上げた。息を呑んでルロイを見つめる。ルロイは、引きつった笑顔を少女へと向けた。
 笑ってみせる。
 暗闇の中だ。その笑顔と真意がどれほどの確かさで伝わったのか、ルロイには分からない。
 だが。
 少女は、おずおずと手を差し出した。
 ふるえている。
 ルロイは即座に少女の手を取った。力を込めて壁の上の横穴へと吊り上げる。
 少女の身体を横穴へ引きずり入れ、しっかりと抱きしめるのと。
 荒々しい怒鳴り声とともに、光が差し込んできたのとが、ほぼ同時だった。
「探せ!」
「もっと奥を探すんだ!」
 声に怯えた少女が、がたがたと身体を震わせている。止まらない。
 大丈夫。
 ルロイは少女の冷え切った身体を強く抱きしめた。腕で。足で。胸全部で。
 ちぢこまった少女を全身で暖めるようにして、強く抱く。
 ふるえが、おさまってくる。揺れる光があちらこちらの壁をを照らしながら乱高下していた。
「逃がすな。とらえろ!」
「横道があるかもしれん。見逃すな!」
「……っ!」
 少女が震える。
「!」
 ルロイは、少女の口を押さえようとしてできず、とっさに、唇で息をふさいだ。少女がちぎれんばかりに眼を押し開き、身体をこわばらせる。
「……んっ!」
「しずかに」
 くちびるをかさねたまま、ささやく。
「……!」
 少女の身体を、半ば力ずくで押さえ込み、抱きしめる。
 吐息だけが、ひそやかに散る。
「ぁ……っ……!」
 長い、身体がしびれきるほどの長い時間。
 唇を重ねたまま。
 微動だにせず、全身で時が過ぎるのを待ち続ける。
 少女の身体から紅潮した心臓の鼓動が伝わってきた。
 足音が近づいてくる。
 ますます鼓動が早まる。
 ルロイは、なおいっそう強く少女の身体を抱いた。腕の中の少女が苦しげにうめく。
「動かないで」
 声を押し殺す。
「ん……」
 そういう自分の心臓もまた早鐘のように乱れていた。息が詰まりそうだ。
 砂利を踏み荒らす足音が近づいた。声が響き渡る。
「よく探せ! どこかにいるはずだ!」
「はっ!」
 光の線が横穴の天井部分をかすめた。鼻先が光に照らし出される。
 少女がびくりと身体を震わせる。心臓の音が耳を圧する。
 真っ白な軍服を着た人間の男が横柄な仕草で兵士を追い立てている。顔は他の兵たちと同様、仮面に隠されて見えない。
 兵士たちは軍服の男に命じられるまま、さらに奥へと進んでいった。だが、この先は行き止まりだ。突き当たったことに気づいた軍服の男が、無駄な行程を選んだことに対して口汚く怒鳴り散らしている。
 息を詰めた。
 通り過ぎてゆく。
 ルロイは、軍人の胸に光る黒い紋章に気付いた。
 黒い百合の花の模様──
 一瞬、嫌悪に全身が振るい上がった。押さえつけた少女の身体がひきつる。はっとした。
 どうにか激しい破壊衝動を噛み殺す。
 兵士の一団は、武具を荒々しく鳴らし、鉄と革と火薬の臭いをさせながら通り過ぎてゆく。
 その声が聞こえなくなり。
 誰の、気配もしなくなり。
 真っ暗の、ひやりとした空気だけが。
 残る。
「……」
 ルロイと少女が潜む頭上の横道に気づかないまま、洞窟の外へと出て行ったらしい。ルロイは、耳をくるりと回して周囲を探った。
 ゆっくりと唇をはなす。
「んっ……」
 少女は、身体をよじらせた。息苦しげに、ためいきをつく。
「……もう……大丈夫みたいだ」
「……はい」
 少女はふいに力を失い、よろめいてルロイにもたれかかった。息をながながと漏らす。
「苦しかった……」
 ルロイはどきりとして、少女を押しやろうとした。
「……あ、あの、その……!」
「痛っ……! その、そんなに強く押さないでください……!」
「ご、ごめん……」
 冷や汗だくだくで謝る。狭い横穴にむりやり二人分の身体を押し込めたせいか、身体の置き場所がない。
 動くに動けない。
 全裸の少女とぴったり全身を密着させたままであることに気づいて、ルロイは焦り、顔を真っ赤にした。
「そ、その、あのっ……緊急事態……って思ったから……」
「……いいえ」
 少女は、かすかに首を振った。
「ありがとう。あなたのおかげで助かりました」
「えっと、いや、その……それは、ともかくとして……! とっ、とにかく、ここから出よう!」
「はい」
「……俺、ルロイって言うんだ」
 少女ははにかんでうなずいた。
ルロイは横穴からはい出ようとして身体の位置を変えようとした。
「あっ」
 少女が、ちいさな声を上げる。
「ごめんなさい……何か……棒みたいなものが……あの……足に引っかかって……ちょっと……何……? きゃっ……!」
 少女がもじもじと恥ずかしげに身体を揺らす。
「うわ!?」
 ルロイは、いきなり赤面した。
 引っかかったものとは、もしかして……いや、まさか……と言い逃れするには、あまりにも自分自身の身に覚えがありすぎる……!
「ご、ごめん、すぐひっこめるから……!」
 といってすぐに収まるような荒ぶりではないのが困りものだ。
「これですね? 少し横に倒せば大丈夫です」
「う、う、うわっ、いいよ、触らなくても、そのっ……あっ……!」
 きゅっ……、と。
 服越しとはいえ、直接、少女にその”棒”なるものを握られて。
 ルロイは、びくん、と身体を反らした。
「うっ……!」
「ごめんなさい」
 自分が何を握ったのか、どうやら少女は気づいていないらしかった。おどおどと顔を赤らめながら、身体のどこかにひっかかったという”棒”を何とかして抜きはずそうとして、右に左にと動かしている。
「もう少しで……はずれますから……あっ……ぁっ……うまくいかないわ……ごめんなさ……!」
「あ、う、はうう!」
「もう少しですから……」
「うううううう!」
 こともあろうに密着した全裸の少女に大切なところを右に左に弄ばれて、ルロイは身体をよじらせた。
「も、もういいよ、俺、さ、先に、出てるからっ……!」
「は、はい、おねがいしますわ……あらっ?」
「わあっ!」
「まあ、たいへん」
 ルロイが身体の位置をずらしたせいで、下半身がちょうど少女の顔の真横に移動している。
「飛び出していますわ、この棒……ちょっと動きづらくありません? すこし、横にずらしておくといいんじゃありません……?」
 少女はそう言うと、ルロイの服のベルトをいきなりほどいて、直接下半身に手を入れた。まさぐるようにして触れる。
「あら?」
 ごそごそとしながら困惑の声を上げる。
「おかしいわ?」
 完全に。
 生の手で。
 ルロイは、もう、声もない。
「うっ」
 逃げようにも逃げられず……できることと言えば、変なうめき声ひとつをあげて、逆さづり状態で横穴から上半身だけをはみ出させるだけだ。
「うっ、うっ……!」
「取れませんね」
 少女は、さらに、きゅ、っと”棒”を握る手に力を入れた。止せばいいのに何度も何度も、根本から引っ張っては抜こうとしてみる。
「この棒、くっついたまま抜けないんですけれど……? ええと、どうしましょう……? とりあえず、横に倒してみればいいのかしら? こう? それとも、こう?」
「うっ、うっ、ううっ……そんなに……動かさないで……あ、うっ……ひゃあっ……でちゃう……!」
「困りましたわ」
 少女は、”棒”を握りしめたまま、どうしたものかと考え込んだ。
「どうしましょう?」
「も、も、もういいから、そのままで……」
「そうですか?」
 少女は申し訳なさそうに”棒”から手を離した。ルロイはあわてて横穴から転げ落ちた。
「大丈夫ですか?」
「どうってことないよ、これぐらい!」
 真っ赤な顔でルロイは前を隠した。
 どう考えても、隠すべきは相手であって、自分ではないはずなのに! と思うが……
 完全に、やばいぐらい、勃ってしまっている。もちろん少女に悪意はないのだろうけれど……いくらなんでもこれは……
 そこで現実に立ち返る。
 少女が度を超した世間知らずであろうがなかろうが、追われているという事実は間違いない。のんびりしている暇はない。ルロイはかぶりを振った。
「ほら、降りてきて。受け止めるから」
「……無理です……」
 少女は顔を覆った。
「こんな高いところ……降りられません」
「大丈夫だって。受け止めるから。ほら。飛んで」
「……はい」
 少女は手を伸ばした。ルロイは真っ赤な顔をそむけ、何も見ずに済むようにしながら、少女を抱き下ろそうとした。
 少女が飛び降りてくる。
 全身に、少女のやわらかな肌の感触が重みとなってのしかかった。受け止めかね、思わず姿勢を崩す。
「わ!」
「きゃっ……!」
 勢いがつきすぎて抱き合ったまま、よろよろよろめく。
「きゃあっ……!」
 そのまま、二人同時にひっくり返った。完全に下敷きになりながらもルロイは少女を怪我させないよう、しっかりと腕に抱きとめる。
 何とか受け止められた、とばかりにルロイはようやく薄眼を開けた。ルロイが身を挺して守ったおかげで、少女は無事だったらしい。
「……ごめんなさい。大丈夫ですか……?」
「うっ……うん……」
 起きあがろうとすると、腰のあたりで何かがひっかかった。ずる、とズボンが下がる。上から覆い被さっていた少女が、あっ、と声を上げた。
「あっ……!」
 ずるり、と。
「ぁ……?」
 ズボンが下がった瞬間。
 押さえ込まれていた枷がはずれたかのように、それが持ち上がった。