・!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.1//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml11/DTD/xhtml11.dtd">" お月様
お月様にお願い! 

2 私、狼になります!

 洗濯を終えたシェリーは、濡れた服の入ったカゴを抱えて、小走りに村へと駆け戻った。水を含んだ洗濯物は通常の衣服より遙かに重い。だが、心は、そんな重さなどモノともしないほどにうきうきと弾んでいた。
 足取りも軽い。ついつい、気持ちが急いて、小走りになってしまう。
 早く、村に帰って。
 ルロイに会いたい。
 知らず知らずのうちに、笑みまでがこぼれる。シェリーは晴れやかな気持ちがあふれ出るのを隠しきれず、声を上げて笑った。ルロイが狩りに出かけていたのは、ほんの数日間のことだ。なのに、こんなに逢えるのが嬉しく思えるだなんて。
 ともすれば不注意で転びそうになるのも構わずに、いそいそと帰り路をたどる。
 村へ帰り着く。
 中央の広場には、大きな櫓が組まれていた。
 狩りに出て仕留めてきたらしい、さまざまな種類の獲物が山と積み上げられている。中にはもう既に半分以上食われて、骨だけになっているものもあった。
 着飾って出迎えるバルバロの女たち、はしゃぐ子どもたち、滾り荒ぶるオスの匂いをただよわせた若者、血祭りの余韻に酔いしれている者。
 人いきれの立ちこめた広場は、むせかえりそうなほどの騒擾に満ちていた。持ち帰った獲物が醸す血の匂いと、バルバロたちの気炎とが混ざり合って、ますます熱気が高まっている。
「シェリー!」
 声が響く。
「シェリーーーー!」
 通せんぼする邪魔な仲間を蹴っ飛ばして、ルロイが駆け寄ってきた。
「シェリー、会いたかったぞーーーーー!」
「ルロイさん……っ!?」
 駆け寄ってきたかと思うと、いきなりシェリーの前に立ちふさがって、両手を広げる。
「そ、そ、その荷物は、何だ?」
 今にも抱きしめたそうにしているのを我慢しているらしい。うずうずした様子で地団太を踏みながらルロイは尋ねる。
「はい、洗濯物です」
 シェリーはにっこりして答える。
「ルロイさんがお出かけの間に、おうちにある服を、全部、キレイに洗っておこうと思いまして」
「そーーかーーー! 俺のために洗ってくれたのかーーー!?」
「はい」
「優しいなーー! シェリーは何て気が利く優しい人間なんだ!」
「そ、そうですか? ありがとうございます……」
 シェリーはぽうっと頬を桃色に染めた。
「じゃあ、あの、わたし、これを干してきますね……」
「干すのか? 干せば良いんだな? 俺も手伝うぞ! 終わったらその後さっそく……」
「おい、ルロイ、お前、また発情してんのかよ。いったいいつからだ?」
「色ぼけてんじゃねえぞ。取り分の分配がまだだろうが」
 ルロイの背後から粗野な声がかかる。
「はあ?」
 ルロイはいい加減なうなり声をあげた。
「そんなもんテキトーに取り置いててくれりゃいいよ……」
「てめえのカワイイ嫁に柔らかくてうまい肉を食わせたくねえんならな?」
 げらげらと笑いが浴びせかけられる。
「顔出さねえんなら、イイトコ全部食っちまうぜ」
「それはダメだ!」
 ルロイはぎろりと仲間を睨み付けた。かと思うと、しまりのない笑顔をシェリーに向けて愛想良く笑う。
「シェリー、先に家で待ってて。とろけるほどうまいところ全部ぶんどって来るから!」
「じゃんけん頑張ってくださいね」
 シェリーは微笑んで手を振った。
「じゃ、わたしはこれで」
「ちょっと待った!」
 ルロイは息を切らして駆け戻ってきて、シェリーの前に回り込んだ。
「やっぱ我慢できない」
「えっ?」
「それ、洗濯したばっかりだよな?」
「はい」
「じゃあ、ちょっと下に置いてくれる?」
「……はい?」
 戸惑いながらも、洗濯物をいれたカゴを地面に置く。待ちきれない様子で足踏みし続けていたルロイは、汚れた手を服のすそでぬぐってから、いきなりシェリーを抱きしめた。
「きゃっ!?」
「好きだーー!」
「なっ、何ですか、突然?」
「発情したいーー!」
「あっ、あっ……でも、その、みなさんの前で……そんな……突然っ……!」
 シェリーは、わずかに身をのけぞらせた。
「シェリー、好きだ。どうしよう、マジでお前のこと、好きで好きでたまんねえんだけど。ああ、本気でこういう時、人間は何て言うんだ? 分かんねえよ、どう言えば俺の気持ちが伝わるんだ? ああ、もう、マジ好きすぎてたまんねえよ、シェリー! 好きだーー発情したいーーー!」
「ぁっ……あっ……ああん、ルロイさんったら!」
 ほぼ手加減無しに力いっぱい、抱きしめられる。
「う、うん、あんっ、苦しいです……」
「そんな声出すなよ……可愛すぎて、ああ、シェリー……俺、やべえ、マジ……あっ……どうしよう……ヤバイ、ヤバイ、あ、こんなとこで発情したら、お、おい、誰か、止めて……!」
 ルロイの手が、餓えたように腰をまさぐり始める。
「あんっ、あ、あっ……ルロイさん、ああんっ、だめです、待って、やだ、あの、みんな見てます……!」
 あやうく巻きスカートをめくり上げられそうになって、焦ってルロイの手を押さえる。
「う、うっ、分かってるって。でも、その、あの、腰が当たって、あっ……やべ……も、も、我慢できね……!」
「あぁんっ……! や、やっ……あぁ……だめ、入っちゃ……いやあ……あっ……!」
「いい加減にしろ、ルロイ」
 仲間のバルバロたちがあわてて駆け寄ってきた。ほぼつながりかけたシェリーの腰からルロイを引っこ抜く。
「馬鹿、何で腰振ってんだ。ここどこだと思ってんだよ!」
「わ、分かってるよ、でも……おいこら、そこ、シェリーに触るんじゃない。俺のシェリーだぞ!」
「何言ってんだ、このエロ狼。触ってねーよ!」
「うそつけ、今、お尻触っただろ。尻泥棒! シェリーの尻触った分の肌の感触を返せ! 俺だけのもんだぞ!」
「おい待てなんだその尻泥棒って。どこまで頭の中が末期なんだよコイツは。まったく、このエロ狼が。頭の中、ヨメのことしかないのか! そんなにいいのかそのメス?」
「メスっていうな。俺のシェリーだぞ!」
「もうっ!」
 シェリーは真っ赤な顔でルロイを遮った。
「何言ってるんですか、ルロイさん! そんな訳の分からないこと言って、みなさんにご迷惑をかけないでください」
 言いながら回りのバルバロたちにも頭を下げてまわる。
「本当にすみません、お手数をおかけしまして……ごめんなさい」
「あ、いや、別にヨメさんに謝ってもらうことじゃ……」
 ルロイの友人たちは恐縮の冷や汗をかきながら頭に手を置いた。
「だいたい悪いのはルロイのほうだ」
「そうだそうだ」
「お、俺は悪くないぞ……」
「年中盛りっぱなしはヨメの身体に悪いんだぞ! 水ぶっかけてやろうか?」
「うっせえ! 俺だってそんなに年がら年中発情してるわけ……」
 ルロイは、ばつの悪そうな顔をした。
「……あ……?」
「やっぱしてんじゃねーかよ」
「そ、そ、そんなわけあるかー! 俺にだって理性ぐらいある! って……身体に悪いのか?」
「当たり前……」
 バルバロたちは、はっ、とした顔でシェリーを見た。全員で一斉にルロイを取り囲み、耳をぎゅーっとつねって引っ張りながらひそひそ耳打ちする。
「イテテ、何すんだてめーら!」
「馬鹿、まず話を聞け。……いいか、やりすぎは悪いに決まってんだろ! 考えてもみろ、毎晩毎晩……」
 さらに声が低くなって、何を言っているのか聞こえなくなる。
「……お前みたいなケダモノ……」
「……一晩中やりたい放題やりまくったら、ロクに眠れねえで身体壊すに決まってんだろうが……」
「えっ……?」
 ルロイは、気後れした顔をした。
「そうなのか……?」
「あの、ルロイさん……?」
「う」
 ルロイはひきつった表情をシェリーに向けた。取り囲んだバルバロたちをかき分けて出てくると、申し訳なさそうな頼りない笑顔で頭をかく。
「何でもないよ。ごめん。ちょっと話してただけ。あ、これ、洗濯したんだ?」
 そそくさと背中を向けて、地面に置いたカゴを片手で持ち上げる。
「これ、シェリーには重いだろ? 運ぶの手伝うよ」
「えっ、でも、ルロイさんには分配のお仕事が」
「いいんだよ、そんなの。足りなきゃあとで勝手に狩りに行くからさ」
「でも、それは……危ないって」
「大丈夫だ。狩りぐらいしょっちゅう行ってるから。そんなことより、干すの、俺も手伝うよ」
「いいえ、それには及びません」
「でも」
「ルロイさんは、先にお風呂に行ってください」
「……えー、それは」
「汗くさいです。せっけんでキレイに洗ってきてください」
「え、くさい? 臭う? どうしよう? シェリーに嫌われる?」
「嫌いにはなりません」
「じゃ、いい」
「だめです」
「でも俺、フロ、そんなに好きじゃ……」
「あとで、お背中を流しに行きますから、ね?」
「分かった!」
 ルロイはもう一方の手でシェリーの手を掴んだ。いきなり歩き出す。
「早く家に帰ろう!」
 大股で歩いてゆくルロイに引っ張られ、つんのめりそうになる。
「きゃっ!?」
 屈託のないルロイの笑顔を見ていると、ひそかに感じている不安すらまぎれてゆくように思えた。強い風がたれ込めた雲を吹き散らすように。たとえ目の前が暗闇に覆い尽くされても、ルロイを追いかけてさえゆけば、いずれ明るくひらけた世界へ飛び出せそうな──そんな気がした。
「ああん、待ってください、ルロイさん、そんなに急いだらわたし、転んでしまいます……」
 シェリーは早足でルロイの後を追いかける。
 大丈夫。追い掛けていれば、いつかは追いつける。
 きっと大丈夫。きっと。