" お月様
お月様にお願い! バレンタイン番外編

恋の赤ずきんちゃん

 ルロイはにやりと笑った。指を舐め、指と指の間を舐め、手首をちろり、と舐めては、わざと首筋にソースをついたふりをして、唇を寄せる。
「やれやれ、困ったな。こんなとこにもついちまった」
「んっ……」
 シェリーは身体をびくっ……とちぢこまらせた。耳まで火照りそうになる。声がうわずる。
「……ルロイ……さ……ん……あ、あの……」
 真っ赤な顔でぎごちなく首をねじる。物言いたげな視線で、ベッドのある部屋を何度も見やる。
「あの、ここでは、その……あっちで……」
 ますます恥ずかしい。ほっぺたが茹でたりんごみたいにかぁっと赤くなる。
「ん?」
 ルロイは欲望の金色にゆらめく狼の眼をぱちくりとさせた。ふと理性を取り戻して、黒く穏やかに鎮まった目を瞬かせる。
「あ、そうそう。そうだった。こんなことしてたらせっかくのスープが冷めちまうよな。お楽しみはまた後ほどってことだな!?」
 言うが早いか、素知らぬ顔でテーブルへと戻ってゆく。
「えっ……?」
 シェリーは虚を突かれて口ごもった。必死に身をよじらせ、しなをつくって、しどろもどろに媚びを売ってみせる。
「あ、あの、いえ、そうではなくて……ですね……あっちでえっち……」
 冷や汗をかきかき、へたくそなウィンクをぱちんぱちんして誘うものの、ルロイはもう目の前の料理に夢中だった。
「何? 鼻の先がかゆいの?」
「ああんっ、もう、違いますって!」
 肉の塊をフォークで突き刺してほおばっては、ごっくんと飲み込み、シェリーの作ったスープを皿ごとくわえ込むようにしてぐびぐび飲み干し、また肉に戻って、骨までがつがつと食い散らかしている。
「……もう、ルロイさんたら」
 呆然とルロイが食べる様子を見つめる。そこで再びはっと我に返った。
「そうだ、油断していてはいけないのでした……」
 また、おなかがきゅうっと痛くなってくる。
 シェリーは緊張のあまり、微妙に気持ち悪くなりそうになるのをぐっとこらえた。吐息をつく。
 期限は明日までだ。壁のカレンダーにちらっと目をやる。それまでに、何とかしてルロイを──
 心臓がどきん、と大きな音を立てた。
 間違えて、大量のお酒を混入させてしまったジュースのことを思い出す。
(頑張るのよ、シェリー! ちょっとぐらい失敗したって大丈夫!)
 心の中で眼をつむり、どきどきと鼓動を早くさせて思いを募らせる。いろいろ手順を間違えはしたものの、大筋としては計画通りに事がすすんでいると見ていいだろう。
(まだルロイさんは、明日が何の日かってことにまでは気付いていません! だから何とかして、ゆ、ゆ、ゆうわくして……)
 【逆赤ずきんちゃん計画】の筋書きは以下の通り。

 一、酔っぱらったルロイを誘惑する
 二、シェリー好きだー!
 三、うふふ☆ お品書きは、わ・た・し♪
 四、食べちゃいたい! がおー!
 五、……ぁぁんっ♪ きゃぁんっ♪ 食べられちゃったぁ♪
 六、はー満足。寝よ!
 七、よし、今のうちにこっそりパーティの準備を……!
 八、次の日の朝、ルロイがびっくり!
 九、何て素敵なプレゼントなんだー! 大好きだーシェリーー!

(ふっふっふ、我ながら何という完璧な計画!)
 シェリーは会心の笑みをもらしつつ、ぐぐう! と拳を握りしめた。あとは、実行あるのみである。
 だが、敵もさるもの。ルロイのことだ。いつ計略に気付かれるか分からない。野生の勘を甘く見てはいけない。
「あの、あのね、ルロイさん?」
 シェリーは、もじもじと照れた表情を浮かべ、ねだるような甘え声をあげた。
「ん? 何だ?」
 ルロイはほっぺたから肉がむにゅうとはみ出してこぼれおちそうになっている顔を上げた。両手にフォークとナイフを持って、もぐもぐしながら聞き返す。
「ルロイさんって……どうしてそんなにたくさん食べられるんですか?」
「どうしてって、そりゃあ、うまいもん目一杯食いたいからに決まってんだろ?」
「おいしいものを、めいっぱい……?」
「うん!」
「ということは、好きなものは、もっと食べたいってことですよね?」
「うん!」
「えっと、あの、じゃあ……」
 シェリーはうつむいてもじもじとした。時は来たれり! 今こそ逆赤ずきんちゃん計画、すなわち──狼と化したえっちなルロイさんにわたしをお持ち帰りしていただく高度な陽動作戦を実行する時だ!
「……ル・ロ・イさん……?」
 シェリーは立ち上がった。セクシーな流し目をぱちぱちさせ、頬を恥じらいに染め、もどかしげに腰をくねらせて、ルロイに近づいていく。
「良かったら、わ・た・し? も一緒に食べちゃってくださ……」
「ああん? 何言ってんだシェリー。好き嫌いしてちゃ駄目だ」
 ルロイはたちまち片眉を険しく吊り上げた。
「えっ……?」
「肉も野菜もきちんと食わないと。いつもシェリーが言ってることじゃないか。偏食は良くないぞ? シェリーはただでさえ小食なんだからさ」
 怖い顔をしてシェリーが手にしたお皿を押し返す。
「はい、良い子だからちゃんと座って。スープが冷めちまうぜ?」
 子どものように手を繋いで席へ連れ戻され、ぽんと肩を叩かれて姿勢良くまっすぐ椅子に腰掛けさせされる。
「そ、そう……ですよね……あははは……?」
 あっさり返り討ち。言い返す余地もない。シェリーはお追従の引きつり笑いを浮かべた。がくりと肩を落とす。
(さすがはルロイさんです……わたしがこんなにセクシーに誘惑しているというのに……鈍いことこの上もありませんっ……!)
 フォークでサラダをつつきながら、シェリーは冷や汗をぬぐった。ぶるぶると首を振って、気を取り直す。こんなことでへこたれてなるものか。一回ぐらい失敗したって平気。二の矢三の矢と攻撃の手を緩めず、矢継ぎ早に誘惑を繰り出すのだ……!
(次で勝負です。今度こそ負けませんからっ……!)
 無駄にやる気をまんまんにして、きっと顔を上げる。
「あのう、ルロイさん」
「ん?」
 ルロイは三角の耳をくるりと回してシェリーを注視した。シェリーはなぞめいた微笑みを浮かべてみせた。
「今度は何だ?」
 シェリーは、これから為すべき事の段取りを頭の中で何度も反芻した。この計画に失敗は許されない。が、しかし、最終的に求める結果さえ得られれば手段を問われないのも事実だ。
 ルロイの気を引いて眠らせるのはあくまでも最終手段。もしその間にルロイが自発的にどこかへ出かけて留守にしてくれる、のであれば渡りに船。空白の時間帯を有効に活用することが可能となる。
 要するに、今夜から明日にかけて、バレンタインデーのためのプレゼントを用意するのに必要な場所と時間を確保できればいいのだ。
「ルロイさん、あの、次に村に行くのって……明日でしたっけ?」
 ”明日”、というところにさりげなく力を込めて尋ねる。
「ロギおばあさんのお薬とかアルマさんのお化粧道具とかは、早く欲しいんじゃないかなって、できたら早めにお持ちした方がいいかなって」
「うーん……そうだなあ……」
 ルロイはナイフとフォークを皿に置き、考え込む素振りを見せた。椅子の背もたれに背中を預け、腕を組み、ぼんやりと視線をさまよわせる。
「明日か、明日ねえ……? そうだな、アルマはどうでもいいけど、ばあさんの薬は確かに早いほうが……」
「でしょ? ルロイさん、じゃあ、あのう、お手数ですけど明日の朝に……」
「あっ」
 ルロイはふいに短い声を上げてシェリーの言葉を遮った。苦々しい顔でテーブルの端を叩く。反動で食器ががしゃん、と音を立て、跳ね上がった。
「わっ?」
「明日は駄目だよ、シェリー」
 ルロイは奇妙に鋭い目でシェリーを見返した。難しい表情で首を横に振る。首に下がる金色のチョーカーが揺れた。
 シェリーは驚いて眼を瞠る。
「いったいどうしてです?」
「とぼけちゃって、もう」
 ルロイは極上の笑みを浮かべた。黒い瞳が炎に濡れたように輝いている。
「だって、ほら、しるし付いてるじゃん?」
 親指で背後のカレンダーを指さす。探るような口ぶりにシェリーはぎくりとした。
「えっ、あっ!? 何? しるしって、何のことでしょう? 明日って何か特別なことがありましたっけ?」
 あわてふためいて手を無駄にひらひらと揺り動かす。
「ん? ん? 分かんないです。何でしょう……?」
「……忘れたの?」
 ルロイは周到に眼をほそめた。森のどこかから狼の遠吠えが聞こえたような気がした。
「これだけ俺に期待させておいて、まさか、忘れたなんて言うつもりじゃないだろうな?」
「……ええええええ!?」
(ま、ま、まずいです非常に……!)
 あからさまに焦って、視線を斜め横にそらす。シェリーはおろおろとひそかに手を揉みしぼった。
(まさか、バレンタインデーの計画がばれて……!?)