" お月様
お月様にお願い! バレンタイン番外編

恋の赤ずきんちゃん

「どこ見てんだよ。とぼけなくたっていいよ。分かってるんだろ?」
 ルロイはくすくす笑った。肩をすくめる。
「……満月ってことぐらい」
 月の満ち欠けは、バルバロの本能周期に強烈な影響を及ぼす。満月はバルバロにとって特別な夜だ。
「満月……?」
 しばし、きょとんとしてから、ようやく腑に落ちる。シェリーはぽんと手を打った。
「そう言えばそうでした! 全然気付き……うぐっ!?」
 ぺらぺら口軽にしゃべりそうになって、あわててげふんげふん咳き込む。ここで知らなかったと言えば、じゃあ『あの赤い印は何のため?』だの何だのと追求され、話がややこしくなる。こう言うときはとことん知らんぷりをするに限る。シェリーはカレンダーをこっそりと横目で見やった。
 明日が満月なのは分かった。でも……
「どうして明日じゃ駄目なんですか?」
 率直な疑問を口にする。
「そりゃあ、満月の日に村へ行ったって、まともに応対できる奴なんているわけないだろ」
 ルロイは肩をすくめた。やれやれ、と苦笑いする。
「アルマは年中発情してるか年中子ども産んでるかどっちかだし、グリーズリーはアルマとガキどもの食い扶持稼ぐのに必死だっていうのに、一週間も前からアルマに取っ捕まっちまってるし、春が来たら本格的に繁殖期だ。間違いなくまたガキが増えるな。あはは、いったい何人目だろうな、十人めかな? また三つ子とか四つ子生まれたらすげえな。いいよなあ……子だくさんって。幸せそうで」
「シルヴィさんは?」
「えっ……えっと……シルヴィ?」
 ルロイは用心深く目をそらした。
「あいつはねえ……そうだな、最近しばらく会ってないな……どこかでデートでもしてんじゃないかな……?」
「デート? 誰と?」
「知らねえよ。シルヴィがどうかした?」
「いいえ……何でもありませんわ」
 シェリーはゴシップに興味があると思われたくなくて素知らぬふうを装った。顔をうつむかせ、用心深く考えをめぐらせる。
(つまり、今夜も、明日も、お出かけの予定はない、ということですね……)
 ということはやはり、当初の予定通り、”逆赤ずきんちゃん計画”を決行するしか──
「う、うん、そうですね、そうするより他に人知れず”あれ”を手に入れる方法はありませ……」
 考えをまとめようと我知らずぶつぶつと独り言を言う。
「あれって何?」
 すかさずルロイが聞きとがめる。耳がくるりと前を向いた。
「ひゃんっ!?」
 シェリーはびくっとし、顔を真っ赤にした。おろおろと手を振り動かす。
「あ、あ、あれですよ、赤ずきんちゃん的にアレと言えば由緒正しきアレのことに決まっているではないですかっ……!」
「アレって何だ?」
「はうう……!」
 シェリーは狼狽え、手で顔を覆った。指の隙間から横目でルロイをちらちらと盗み見る。
「そ、そ、それは……その……つまり、ルロイさんのアレ……」
「ええっ、俺の……アレ!?」
 ルロイはぎょっとした顔をした。眼をひん剥いてシェリーを見つめる。
 シェリーはいっそうはにかんでうつむいた。手をよじり合わせ、もじもじと小声で言う。
「えっと……その、すごく……大きくて……ぴんってとんがってて」
 ぽうっと頬を染める。
「とっても……素敵です……」
「えっ……い、いや、その、そんなに面と向かって言われるとさすがに俺も、ちょっと……う、うううう、うおーーーーーー!」
 ルロイは真っ赤になった。ぐるんと後ろを向いて、背中を丸めてこっそり力の入ったガッツポーズを決め、ぼひゅんぼひゅんと頭のてっぺんから盛大な湯気を吹き上げる。
「遠吠えしたいぃぃぃーーー! 盛り上がってきたぁぁぁーーー!」
「お耳が」
 シェリーはほれぼれとしたまなざしを、ルロイの耳へと向けた。
「へ?」
 ルロイはぴたっと遠吠えをやめた。首だけをねじって、ぎごちなく振り返る。シェリーはうっとりとうなずく。
「はい。ルロイさんのお耳、くるくるして、大きくって……とっても素敵です。どうしてそんなに大きいのかなって……」
「……な、なるほどね、ああ、何だ、耳か……あはははは! そうだよな! 耳に決まってるよな!? わははは!」
 ルロイはひくひくと目元を引きつらせ、思いっきりぎごちなくごまかし笑った。
「何だ、勘違いか、焦った……ふう、びっくりした……」
 胸を押さえ、こっそりと冷や汗を拭う。
「え?」
 シェリーはきょとんとした。
「何と勘違いされたのですか」
「い、いや、別に……あはははははは! シェリーは気にしなくて良いんだよ! あはははは……!」
 ひとしきり笑った後、ルロイはもじもじと耳の後ろを指で掻いた。頬をあからめる。
「そりゃ、もちろん……俺の耳が大きいのは、可愛いシェリーの声をもっと良く聞けるように、だよ」
 シェリーはどきん、として胸に手を当てた。眼を大きく瞠る。
「ほんとに……?」
 心臓がどきどきと大きな音を立てはずみ始める。
「も、も、もちろんだよ! シェリーの声ならいくらでも聞きたい。もっともっと聞きたいし、それに……」
 ルロイは照れ隠しにわざとシェリーをまっすぐに見つめた。
「……それに……?」
 今までで一番、どきんっ……と、心臓が大きな音を立てる。
 ルロイは悪戯っぽく微笑んだ。
「それに、もっと、もっとシェリーを見つめていたいよ」
「ぁっ……」
 シェリーはみるみる耳の先まで真っ赤に染めた。ルロイの情熱的な視線に、眼の奥底まで焦がされそうになってしまって、恥ずかしさのあまり、思わず手で顔を覆ってしまう。
「あの、あのですね……耳だけじゃなくってルロイさんの眼も……素敵ですよ……? 優しそうで、夜の宝石みたいに黒くて、きらきらしてて……そんな眼で見つめられたら……わたし、胸がその、あの……きゅんって……」
「そりゃあ、可愛いシェリーをもっともっと近くで良く見つめたいからに決まってるだろ……?」
「えっと、だったら、あの、その……!」
 シェリーはぎゅっと眼を閉じた。勇気を全部振り絞って、両手を胸の前で結び合わせて、唇を、あひるのおちょぼ口みたいに突き出してみせる。
「えっと、その、ルロイさんのお口も……大好きです……あの、その……ちゅってしてくださるときとか……その、つまり、狼さんと言えば大きなお口で、あの……あのっ……あーーんってされちゃったりなんか……したり?」
 ちらっ、と薄目を開けてルロイの様子をうかがい見る。
 ルロイはふいににやりと笑った。
「大きな口ねえ……そりゃもちろん、食べちゃいたいから、だろ? シェリーの”アレ”を……?」
 餓えた仕草で、ぺろりと唇を舌でなめずる。

(キタキタキターー来ましたぁッーーーーッッッ!)

 内心、拍手喝采し、歓声を上げる。
(ルロイさんは今、わたしのセクシー小悪魔ちゃん的な魅力のとりことなっているはずです……!)
 腰をくねくねさせながら、ルロイが近づいてくるのを今か今かと待ち受ける。
(……ああ、でも自分から殿方を誘惑するなんて、はしたないって思われたりしないでしょうか……?)
 顔を真っ赤にし、そわそわと眼を閉じる。
 キスをしてくれさえしたら、あとはもういつもどおりの展開になるはずだ。
(ううん、ここでくじけてはだめ! 宮廷は女の戦場、殿方とのスキャンダラスな恋の駆け引きこそが華やかなる野望うずまく宮廷に生まれた娘のさだめ! 何とかしてルロイさんを疲れさせ眠らせるほかにバレンタインの贈り物を準備する時間を捻出する方法はないのです……)
 真っ赤な顔でキスを催促しながら、んむむむ……と唇を突き出す。ルロイがくすっと笑う声が聞こえた。
(そう、そこでチュウ……! わたしはいつでもおっけーなのです……いつもみたいに……笑って、ちゅって……優しくしてくださいませ! そうすれば”恋の逆赤ずきんちゃん計画”第一段階は見事クリアですっ!)
 手を揉み合わせ、眼をうっとりと閉じて待ち受ける。
(ささ、キッスなさいませ、ルロイさん……ずずいと!)
 緊張のあまり息が切れ、ぞくぞくしてくる。身体がぶるっと震えた。
(はやく、ほら、チュウですチュウ……ずっと待ってますのに……さあ!)
 今にもルロイが迫ってきて、甘く、熱く、優しく抱きしめてくれるのではないかと思うと、高まる期待を押さえきれなくなる。
 どきどきして、胸がきゅううぅんっと締めつけられて、待ちきれなさに、全身がうずうずと焦れ始めて。
(ぁぁんっ……チュウしてほしいです……!)
 キスされる瞬間を思って、じれじれと地団駄を踏む。
(うううん……早くっ! もう……我慢できませんっ……!)