「でもさ、この間から──」
ルロイはシェリーの顔をのぞき込んだ。心配そうに眉をひそめる。
「気になってたんだ。飯のとき、あんまり食ってねえなあって思ってた。今日だって、人間の村まで行って来たって言うのに、疲れた顔も見せないでご飯の用意してくれてさ……なのに、小指の先ぐらいしか食ってねえじゃん」
ルロイの手がシェリーの腰に触れた。そろそろと前に回り込んできて、いとおしむように、おなかを撫でさすってくれる。
「もちろん俺はシェリーの作ってくれたご飯も、シェリーに触るのも、シェリーの声聞くのも……比べようがないぐらい、全部好きだよ? でも、シェリーには、無理はさせたくないんだよ。俺は平気でもシェリーには……森で冬越すのは、さすがにちょっときついんじゃないかってさ……」
頬を寄せて、ぬくもりで包み込むようにして、シェリーを抱き寄せる。
「俺、その、がさつだからさ、シェリーが病気しないようにってどうやって労ればいいのかよく分かんなくて……だからとりあえず飯食えって言うことぐらいしか、思いつかなくってさ」
「……ルロイさんがそんなにわたしのこと……心配してくださってたなんて」
胸の奥がじんと熱くなった。眼がうるんでくる。
「それほどでもないよ。っていうか、当然だし」
ルロイは照れくさそうに鼻をこすり上げた。柔和に眼を細める。
「いいえ……わたしにはもったいないお言葉すぎます……うれしい」
シェリーは感極まり、声を震わせた。ルロイの肩に頭をもたせかける。
撫でられるだけで、幸せが満ち足りてゆく。頬に触れるルロイの唇が、優しく、暖かい吐息交じりの愛をささやく。
もっと触れたくて、もっと近づきたくて。互いに絡めあわせた指が、もどかしくもつれる。
身も心も溶けてしまいそうだった。うっとりと眼をつむる。低めた声で耳元にささやかれるたびに、胸の奥からルロイへの思いがあふれ、こみ上げてくる。
「大好きです、ルロイさん……」
身をゆだねられる安心感に、ほうっと吐息をつく。
「俺も、シェリーのこと、大好きだ」
「……あの……その……じゃあチュウ……して」
頬を真っ赤に染め、何度もうつむいては上目遣いになって、すがるように見つめる。シェリーの表情に気付いたのか、ルロイは苦笑いを浮かべた。
「おねだりしても駄目。これでも相当にやせ我慢してんだぜ? 最後まで格好つけさせてくれよ、な?」
ちゅっ、と軽く、小さな子にしてやるみたいに頬に軽くキスされる。
「……やだ、もっといっぱい……」
身をよじって甘え、ぐずぐずとだだをこねてみせる。
「約束したろ? 今夜は、ここまでだって」
微笑み交じりの怖い顔で睨まれる。
それでも、ルロイの腕の中はどこよりも心地よかった。
ゆりかごのように優しい手。子守歌のように優しい声。ゆらゆら、そろそろとあやすように撫でられて、いつの間にか身も心も恋の魔法にかけられてしまう。ルロイの前にすべてを投げ出したくなってしまう。
「ううん……もうちょっとだけ……」
甘えて、身をよじる。
「シェリー、もう、そんな可愛い声出すなよ……我慢できなくなっちまうだろ……?」
しないと言っているにもかかわらず、耳朶に何度もキスされ、手を握られ、揉み寄せられ、ささやかれる。
「今夜は……まだ満月じゃないから……あと一日だ。どうしても我慢しなきゃならないんだよ……丸一日以上も我を失うわけにはいかないんだ」
ルロイの心臓の音が聞こえてくるようだった。シェリーはほんわりと笑みを浮かべた。愛撫の手にいざなわれ、うとうとと眼を閉じる。
(催眠術にかかったみたい……)
ゆったりと抗いがたいまどろみが、薄霧のように身体を包み込む。
長いためいきがもれる。
ああ、いい気持ち……
心地よい睡魔が襲ってくる。心の奥の方で本能が警鐘を鳴らした。
(わたしがルロイさんを眠らせる……計画だったのに…………これじゃ完全に逆効果です……ミイラ取りがミイラになっては意味がありません……)
こっくり、こっくり、頭が船をこぎはじめる。
(……ああ……いけない……眠っちゃだめ……)
ふっ、と意識がうすれる。心地よい誘惑に、瞼が重くなる。引きずり込まれる。
(ここで眠っては……へいはひゅが……あひゃ……でもきもちいいほにょら……)
眠りの波に揺られて、ゆうらり、ゆらり。赤ちゃんみたいに、大好きな人に抱かれて。すう、すうと、幸せな寝息をたて──
ふいに、ごとん、と。大きな音がした。
シェリーは、びくっと身を縮めた。現実に引き戻される。
「今、変な音がしませんでしたか……?」
風のせいか、窓枠が小刻みに揺れ動いている。建て付けの悪い音が鳴っていた。不安になって、すがるようにルロイを見上げる。
ぎくりとする。
ルロイは切迫の表情を浮かべていた。カーテンを引いた窓の向こう側を睨み据えている。射るようなまなざしだった。シェリーを抱く腕に、不穏な力がこもってゆく。
ぐっと抱き絞られる。息が苦しくなる。シェリーはわずかに身をよじってあえいだ。
「っ……ルロイさん……?」
「あ、ごめん、つい」
ルロイはこわばった表情のまま、シェリーをぎごちなく見下ろした。
「何でもないよ。気にしないで。大丈夫だ。きっと北風だよ」
隙間風がカーテンのすそをゆらめかせる。まるで、誰かが──急いで立ち去った後のようだった。
「誰かが……覗いてた?」
「気のせいだよ。誰もいない」
ルロイは確かめもせずに断言した。安心させるような手つきでシェリーの手をまさぐり、握りしめる。
「それなら……安心です。良かった」
シェリーは素直にうなずいた。バルバロの聴覚は人間より遙かにすぐれている。ルロイがそういうなら、たぶん間違いないのだろう。信頼して、気を取り直す。
「ルロイさんがあんまり優しく撫でてくださるものだから、つい寝入ってしまうところでした。すごく気持ちよかったのに」
ぷうと頬をふくらませた。唇を尖らせる。
「……意地悪な北風さんのせいで目が覚めちゃいました」
「まったく、ろくでもない風だよ。そんなことしたってこっちは余計に反発するだけなのにな」
ルロイは奇妙に語尾を強めた。風にまで憤慨しているような口ぶりだ。
「……?」
「ああ、何でもない。こっちのこと。さ、もういいだろ」
切りよくシェリーの頬にキスし、からめた手をほどいて動き出そうとする。
「食事の続きをしよう。ほら、立って」
「ううん、やだあ……」
シェリーは、ルロイの険しさに気付かないふりをした。ルロイの肩に頭をもたせかけ、おでこを押しつけて、鼻にかかった声をあげる。
「もう少し……こうしていたいです」
「だめだ」
ルロイはいつになく厳しい声音でつぶやく。
シェリーは押しのけられるのが怖くてよけいにルロイに寄り添った。ぎゅっと顔をうずめる。
「わがままって思われても良いですから、もう少しだけ、こうさせてください。あとちょっとだけ……」
ルロイはためいきをついた。
「良い子だから、俺の言うこと聞いて。君のためなんだぞ」
シェリーの頭をぽんぽんし、髪を撫でる。
シェリーはしゅんとなった。しおらしくうなずく。
「はい……そうします」
「うんうん、分かってくれたらそれでいいんだ。俺だって我慢してるんだからな? これでほんとのおあいこだぞ?」
ルロイは申し訳なさそうに笑って手を取ってくれた。
シェリーは気弱にうなずいた。言われたとおり、元通りおとなしく食事の席に戻る。
──と見せかけて。シェリーはにんまりとした。
くるりと背を向ける。
(ふふふふふふふふ……!)
口元を手で隠し、ククククク……と不気味にほくそ笑む。
(甘い、甘いですよ、ルロイさん! これしきのことでわたしがあきらめるとでもお思いですか? ……いいえ、まさか! 滅相もない!!)
ひそかにテーブルへと眼を走らせ、”あれ”に目を留める。
(誰があきらめたりするものですか! ルロイさんの優しさは本物です! 立ちはだかるこの優しさを乗り越えてプレゼントをお渡しするには、わたしが……わたしが、心を鬼にしないとだめなのです!)
腹に一物を抱いた含み笑いを浮かべ、用心深くルロイへと視線を戻す。
(恋する乙女は決してくじけたりしないのです! なぜなら……”あれ”があるから!)
恋のどんでん返し。
乾坤一擲の勝利をもたらす、起死回生の”あれ”。
”あれ”さえあれば、勝利は約束されたも同然だ。眼をきらりと輝かせる。
(そう……とっておきの”秘策”が!!)