お月様にお願い! バレンタイン番外編

恋の赤ずきんちゃん

「……え」
 笑みの形にはりついた表情がこわばる。シェリーは、自分が手にしているカップをこわごわと見下ろした。
 青い海の模様が目に入る。もやもやとした違和感がこみ上げた。
「ん?」
 確か、ルロイのコップは”青色”だったはず。だがしかし……これは……どういうこと……? 
 ふいに、記憶の突風が吹きつけた。シェリーは、あっ、と声を上げて足元をふらつかせた。万華鏡を覗いたような光景が見えた。記憶の断片が、巻き上げられては離れ、また、片隅に寄せ集められる。
 逆回しにカタカタと動く人形が、おもしろおかしく踊っていた。
 ブランデーの小瓶。手を滑らせて、落としてしまう。ぽちゃんと音を立てて沈む。ぷくぷくとマーブル模様が広がって、やがて泡になって溶け混じってゆく──ルロイの青いカップに。

(……青いコップ?)

 頭が混乱してきた。手に持っているカップの色と、記憶にある色が、同じ……?
 なまぬるい汗がこめかみを伝わった。
(……何で、わたしが……青いコップを持ってるんでしょうか……!?)
 さすがに、たちどころには現実を直視しかねた。ごくりと喉が上下する。
 ルロイに”大量のお酒入りリンゴジュース”を飲ませて眠らせる、という、【恋の逆白雪姫計画】は……ルロイに飲ませてこそ発動するはずだ……でも……そのお酒入りジュースのコップは今、なぜか、自分の手元にあって……?
(ええと……ということは……つまり……?)
 どっと冷や汗が吹きだした。やにわに胸の鼓動が高鳴り始める。立ちくらみがした。
 背筋に寒気が走る──いや、どちらかというと、薄ら寒いと言うよりは、むしろやたらと蒸し暑くなっているような心地がする。
 さっきから妙に変な汗をかいているし……喉の奥がじりじりと熱い。呼吸するたび胸がきゅっと締めつけられるみたいに苦しい気がする。それに、何だか、おなかの中に行火あんかを抱いているみたいな……。
(……頭が、ぼんやりして……何だか訳が分からなくなってきました……まさか……えへへ……? うふ? もしかして、わたし……あはっ……?)
 はふん、と熱い吐息をもらす。
 頭がほわほわと湯気の立つ温泉みたいな心地になってくる。
 目の前がくらっとなった。
(……えっと……? あれぇ? どういうことでしょう……? あははは……?)
 ぽうっとして、熱っぽくて、眼がかすんで。目の前に、光る星くずがはらはらと降りしきっているような気がした。
(どうしましょ……まぼろしが見えてきました……)
 メリーゴーラウンドの回りを、ひょこひょこ上下に動くチョコレート色の木馬が回転している。
 くすくす笑う声が聞こえた。ぼんやりと光り輝く何かが、木馬と一緒にくるくる回っている。
(……あは……? あれは何でしょう……? 何か飛んでますよ……? えへへへぇ……?)
 何やら手に持った笛を吹き鳴らしている。
 ぷうと笛を吹くたびに、ぶどうの房みたいな豊穣のかがやきがこぼれおちた。まるで天井にぶらさがった赤ちゃんメリーみたいだ。ぽろん、ぽろん、音を立てて、色とりどりに跳ねて、光って、けらけらと無邪気に笑って……
(うふふふ、かわいいですねえ……? なんだか……まるで……まるで……!)

「シェリー? どうかした?」
 夢が破られる。ルロイが困惑の面持ちでのぞき込んでいた。上下に手を振って気を引こうとする。
 ぽうっとしていたと気付いて、シェリーは顔を赤くした。もじもじとうつむく。
「いえ……何でも……ありませんけど……?」
 上気した声で応じる。息の混じった声が、弱々しくかすれた。カップをテーブルに戻す手が小刻みに震える。
「まさか、具合でも悪くなった?」
 ルロイは身を乗り出した。急いでテーブルを回り込んで近寄ってくる。
「顔赤いよ? もしかして熱でもあるんじゃ……」
 額に手のひらを押し当てる。ルロイは眼を押し開いた。
「うわ、あつっ!? どうしたんだよこれ! 大変だ、医者に連れて……!」
「ルロイさん」
 シェリーはルロイの手をぎゅっと握りしめた。眼をうるませ、ほっぺたを真っ赤にして、ルロイの胸によろけて倒れ込む。
「わっ! ど、ど、どうした!?」
 そのままくずおれそうになるのを、ルロイはあわてて抱き止めた。
「ルロイさん……あのね……わたし、あのね……?」
 シェリーは蚊の鳴くような声でささやいた。
「ひくっ!」
 顔をうつむかせる。身体が、ひくん、と動いた。
「ひくっ!」
 真っ赤な顔でしゃっくりする。
「ひくっ!?」
「わ、わ、どうしたんだ!?」
「ルロイさん……ひっく?」
 シェリーは、からみつくような、潤むまなざしでルロイを見上げた。火照った笑みをしどけなく浮かべる。
 しゃっくりが止まらない。
「あれえ……? ひっく? わたし……どうしちゃったんでしょうか……あひゃ? あひゃひゃ? ひっく?」
 シェリーはルロイにしなだれかかった。いきなり両手でルロイの頬を挟み込み、熱を帯びたキスを浴びせる。
「え、えっ……!?」
「んっ……」
 うっとりととろけた眼でルロイを見つめる。目元がほのかに赤い。
「ううん、逃げちゃいや……大好き……セクシーな赤ずきんちゃんはオオカミさんを大きなお口でぺろりと食べちゃいますよ……? うふふ? それとも真っ赤な毒リンゴのブラックシェリーちゃんはいらんかぇぇぇぇぇ……? ルロイさんの寝込みを襲ってかぼちゃ馬車に連れ込んで森に閉じこめちゃいますよぅ……うふふふふふふ……ふぇっふぇっふぇっ……?」
「ええええ!? ちょっ……シェリー、何言ってんの!?」
「はい? えへえ? いじわるな北風さんが悪いんです……どんなに迫っても脱がすことができないんですもの……うふふふ……?」
「うわああ完全にいろいろ混じっちゃってるよ!?」
「あふん……? 大変です……太陽さんが……まぶしくて……暑くなってきちゃいました……」
 シェリーは喘ぐように息をついた。手を扇代わりにぱたぱたさせ、ワンピースの胸元を揺り動かして、汗ばんだ肌に空気を送り込む。
「頭が、ぽうってしれます……はひゃぁ、これがひゃくねつの恋に酔いしれるってことなんへすね……脱いじゃって良ひですか……?」
 上体を反らすようにして、背中のホックに手をかける。
「えっ、いや、良くないってば風邪ひく……」
 はらりと、服が床に落ちた。すっと歩み出る。白い裸足のつまさきが目に入った。
「って思ったらもう脱いじゃってるーーー! あわわあああっ……!」
 ルロイは手で半分眼を覆い隠しつつ、じたばたと後ずさって逃れようとした。顔を真っ赤にさせ、絶句する。
 シェリーはメレンゲみたいな下着姿でルロイにもたれかかった。ぷるんと柔らかな感触にぶつかられる。逃げるに逃げられない。ルロイはシェリーを抱き止めた。どうっと床に押し倒される。
「うわっ!?」
 二人で上下にもつれあって倒れ込む。
「ああんっ! 痛ぁい……」
 シェリーは床にぶつけた肘を押さえた。打ち付けて赤くなった部分を抱え、わざとらしく痛がる。
「ご、ごめん、大丈夫?」
 焦ったルロイがシェリーを抱き起こす。シェリーは半ば馬乗りになってルロイにもたれかかった。子猫のようにじゃれついて甘える。
「うふふ♪ ぜんぜん大丈夫れす……うふん、熱いの……寒いの……えへへ……ルロイさんあったかーい……」
 ぴとっ、と。全身でくっつく。
「うふ? シェリーはルロイさんがだいすきなのののののの……」
 指の先をルロイの胸に押しつけ、のの字をいっぱいのののののの、と書いてゆく。ルロイはびくりと身体を震わせた。
「シェリーっ……」
「うふ? どきどきしちゃいました? まあ、いけない狼さんですねえ、えへへへへへへへ……?」
 ルロイは息詰まって喘いだ。シェリーをなんとか引き離そうとするたびに手がすべって、やわらかな熱を帯びた肌をまさぐってしまう。
「完全に酔っぱらってるじゃないか!」
「はふぅん……ルロイさぁん……ぎゅうってしてください……うぅん、もっと……優しく……ナデナデして……?」
 シェリーは馬乗りになってルロイの腰を両腿で挟み込んだ。やわらかな谷間がルロイの頬を包み込む。
「全然大丈夫じゃないよ! ちょっ……やば……わあああおっぱい当たって……シェリー!」
 やわやわと上下するおっぱいをこすりつけられ、顔を挟まれる、ルロイは顔をくしゃくしゃにした。払いのけようとして力任せにシェリーを押しやる。
「だめだって、ホントこんなことしてる場合じゃないんだって、あいつが……うわあああっ!?」
 むにゅぅ、と。
「ぁんっ……♪」
「わあああ!?」
 ルロイの手が、あられもない形でシェリーの胸を掴んでいる。
「ぁぁ……そんな……乱暴になさっちゃ……」
 押しのけようにも体重を掛けられて、ますます揉みしだくかたちに変わってゆく。シェリーは無理矢理身をゆだねようとして、腰をくねらせた。
「……身も心も……ぁぁん……♪」
「違ーーーーう!」
 ルロイは真っ赤な顔で怒鳴った。胸はしっかりと掴んだままだ。
 シェリーはびくっ、とした。肩を震わせる。ルロイは声を呑んだ。あわてて手を引っ込める。
「ぁ、っと、ごめんシェリー……怒鳴るつもりはなかっ……」
 おろおろとなだめようとする。シェリーの眼がじわりとうるんだ。みるみる涙の粒となって盛り上がる。
「ルロイさん……うっ……うっ……」
「お、おい? シェリー……ちょっと?」
 顔が紅潮する。ルロイは狼狽した。
「ちょっ……まさか……!」