お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

世界で一番しあわせな王女様は、だあれ?

 怪訝に思って見下ろす。
 いつの間にか左手に黒い棒状の物体を所持している。
 いや、棒というにはあまりにもずっしりと重く、明らかに取り扱い危険──
「銃ーーーッ!?」
 気付いた瞬間、驚愕のあまり、手にしたブツを高々と放り投げる。
「わあああああ何てことを俺ーーっ!!」
 我を忘れ、泡を食って右往左往する。
「ど、ど、どうしたら……って」
 はっと我に返る。銃は錐揉みしながら落下してくる。もし落下した衝撃で銃が暴発しでもしたら……? 大爆発! するかもしれない!
「わああやべぇええーーーっっ!」
 猛ダッシュで追いかけ、頭から土手の斜面に飛び込む。手を伸ばし、あちこちごつんごつんぶつけながら、地面に台尻がぶつかる前に、かろうじて受け止める。
「ひいい……! 爆発するなっ耐えるんだ銃! 暴発したらお前も死んじまうんだぞ……!」
 目を硬く瞑って幸運を祈る。
 頬を風が撫でた。
 ぱたぱたと鳥が飛んでいく。
「……大丈夫だった……か?」
 草に埋もれ、くったりと脱力する。
「よかった……!」
 どうやら無事だったらしい。ルロイは大きく肩を上下させ、起きあがった。
 だが、安心するにはまだ早い。気持ちを落ち着かせるため、何度も深呼吸する。眼を閉じて息を整え、三つ数えて、片眼だけを薄く開ける。
 そもそもこれが銃であること自体がゆゆしき事態である。
 どうか銃ではありませんように。いやいや、きっと何かの間違いに違いない。よくあることだ、単なる枝を銃と勘違いするとか、単なる鉄パイプを銃と勘違いするとか、そういうたぐいの……。
 ……。
 …………。
 祈るような心地で、ちらっと横目に確認する。
 銃だ。
「わああやっぱ本物だっ! 何で俺がこんな凶悪なものをっーーーーーーッ!!!?」
 軍衣に身を包んだ人間の兵士が、ざざっと土煙を蹴立てて取り囲んでくる光景が脳裏に浮かんだ。
(犯人は銃を強奪し、逃走中!)
(猟銃強盗および連続婦女恐喝の凶悪犯だ、絶対に取り逃がすな!)
(我が軍の威信にかけても!)
 呼子の笛が鳴り渡る。
(おい……いたぞ、そこだ!)
(し、しまった……!)
 崖を背に追いつめられ、立ちすくむ。後ずさろうにも、それ以上下がればかかとが宙に浮く。
 石ころが崖を転がり落ちる。
 冷や汗が滲む。どこにも逃げ場はない。まさに絶体絶命……!
 無数の銃口が突きつけられる。
(ま、待て、違う、これは誤解であって……!)
(問答無用ーー! 変態死すべし! 撃てーいっ!)
(ぎゃぁぁぁぁ……!)
 一斉に銃口が火を噴く。撃たれた衝撃で足を踏み外して崖から転がり落ち──
「ってことになっちまうよなあ、何で持ってきちまったんだよ、足踏み外す前に人の道を踏み外してどうすんだよ俺。って、そもそも人間じゃねえだろ! あははははは!」
 ルロイは頭を抱え、悶絶した。
「……笑ってる場合じゃなかった……。どうしよう、こともあろうに泥棒しちまうとは、うぐぐぐ一生の不覚!」
 これは、いったい……どうすればいいというのだろう?
 手にした銃を声もなく見下ろす。
 強すぎる衝撃が通り過ぎると、逆に冷静になった。
「マジでヤベえ」
 冷や汗がこめかみの脇を流れた。
「返しに行こうにもこのていたらくじゃ無理だし。そもそも、シェリーに会う前に俺がとっ捕まっちまったら問題外だし。人間に見つからずに、シェリーだけを……って、いったいどうやって探し出せばいいんだ」
 抱えていた頭から手を離して、疲れた吐息をもらす。ルロイはしょんぼりと膝を抱えた。
「……どこだよ、シェリー……」
 力なく膝に顔を埋める。
 ため息が洩れた。
「まさか怪我とかしてねえだろうなあ……」
 心配でたまらなくなる。ルロイは眼を閉じた。
 あのとき目を離さなければ。
 あのとき喧嘩しなければ。
 最初からシェリーの気持ちをちゃんと聞いていれば。
 ずっと引きずってきた心残りが堂々巡りとなって頭の中を渦巻く。だが、いつまでも膝を抱えているわけにはゆかない。
「こんなことしてる場合じゃねえよ。俺が見つけてやらなきゃ誰がシェリーを見つけてやれるってんだ? そうだよ、シェリーは無事だ。俺が助けに行くのを、きっとどこかで待ってる。そうに決まってるんだ……!」
 あの崖周辺にはシェリーとアドルファーの臭いが残っていた。シェリーが一人で沢に下りてゆけるはずがないのだ。だとすると、シェリーの行く先には必ずアドルファーが関わっている。
 シェリーを探すのと同時に、アドルファーの企みをも暴かねばならない。うつむいている暇はない。
「とはいうものの、何からどう動きゃあいいんだか……」
 重いためいきをつく。まったく見当も付かない。
 しおれた肩を落とす。こんなとき、あれこれと頭の回るグリーズリーが協力してくれれば、どんなにか頼りになるだろうに。でも。
「俺が勝手にしでかしたことだもんな、構ってくれる暇も理由もねえよな……あーあ」
 思うようにいかないもどかしさに、三度目のため息をつく。
 気鬱を振り払うように、足元の枯れ草を指にからみつけ、いらいらと無為に引きちぎる。
 視線を川縁へと向ける。
 上流から押し流されてきたらしい、大量のがれきや枯れ枝が打ち上げられている。濡れた草いきれがじっとりと立ちこめていた。泥、草、雑多な堆積物の臭い。
 もやもやとした記憶が寄り集まる。何かが記憶の底をつついた。
「ん? 待てよ? この臭い、どこかで……?」
 そのとき、頭上の橋を誰かが走ってくる足音が聞こえた。
 石橋から土手の地面に人影がさしかかる。ルロイは息を殺した。橋桁の隙間に身をひそめる。
「追っ手か……?」
 手に汗が滲んだ。もしかしたら後をつけられたのかもしれない。だとすると最初から居場所を気付かれている可能性がある。
 今すぐ逃げるか、それともこの場にしばらくとどまって様子を見るか、それとも。
「こっちから、先手を打つか」
 どうする? どうすればいい……?
  足音はますます迫ってくる。
 逃げるなら今のうちだ。だが、下手に動いて居場所を悟られては元も子もない。
 どうする……?
 心臓が早鐘を打った。