お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

世界で一番しあわせな王女様は、だあれ?

「フーヴェル!」
 扉を激しく叩く音がした。誰かが店の外で叫んでいる。
「いるのかい? 大変だよ、広場に来ておくれ」
「エマちゃんが……!」
 フーヴェルはぎくりとして振り返った。握りしめた手が白く震える。よろめきながら壁を這うようにして裏口から外へ出る。庭を回って表へと出ると、知り合いの女たちが一カ所に集まっていた。青い顔で一斉にこちらを見やる。
「大変なことになっちまった」
 ばらけるように駆け寄ってきて取り巻く。女たちは口々に言った。
「気を落ち着けて聞いておくれ。今さっき真っ黒な帽子を被った男が広場に来てさ」
「高札を立てていったんだ」
「エマちゃんが大変なんだよ」
「早く見に行った方がいいよ」
 心臓が、どきり、と、破れそうに跳ねた。
「エマが」
 かすれ声でフーヴェルは繰り返した。
「どうかしたのかい」
 女たちは急にそこで口をつぐんだ。突然、口がきけなくなったみたいにそれぞれ顔を見合わせる。今の今まで口さがなく言い交わしていたはずだ、皆、高札を見て、エマに科された内容も知っているはずだ。
 なのに、誰も何も言わない。互いに目配せをし、あんたが言いなよ、いいやあんたこそ、とばかりにひそひそと肘で小突いて押しつけ合っている。
 視線で促せば目をそらされる。なのに、背中からの視線がまとわりつく。付きまとう。
 フーヴェルを取り巻く目はどれも深海の魚のようだった。

「……生きてる……」
 ぷよんぷよんするアルマのおっぱいの間から情けない声が漏れ出る。グリーズリーの頭部は完全にアルマのおっぱいに飲み込まれていた。手足やしっぽがぴくぴくしているところを見ると、どうやら挟まれたまま動けないらしい。
「ルロイ、助けて……頼む」
「せっかく犬どもを追い払ったって言うのに。全くしょうがねえ奴だ」
 ルロイはシルヴィと力を合わせ、グリーズリーの足首や手をそれぞれ掴んだ。ぐっと力を入れる。
「せーの、で引っ張るぞ。せーの!」
「うぐっ、首が、首が首がもげーーーー……!」
「あぁん♪ いやぁん♪ 感じちゃう♪♪」
「痛い痛い痛いーーー!」
「我慢しろ、そーれ!」
「はぁぁ~~~ん♪」
 泣きわめくのも構わず、渾身の力を込めてぐいぐい引っ張る。
「もう少しだ、えーんやこーら!」
 ずぼん、と引っこ抜く。勢い余って三人まとめて地面にひっくり返った。
「……た、助かった……!」
 グリーズリーは首に手を添え、よろめき立ち上がった。安堵のため息をつく。
「首が抜けるかと思った」
 左右に何度か首を振って、筋の具合を確かめる。
「あれ、グリーズ、腰は?」
 ルロイは怪訝に思って訊ねた。グリーズリーは目をまるくした。腰に手を当て、かくんかくん揺り動かしてみる。
「痛くねえ! 直ってる!」
 目が輝く。
「さっきアルマにボキボキやられたから?」
「無理矢理足を引っ張ったから?」
「そ、そうか! あれで運良く腰の骨が元の位置に納まったってことだな!」
「うむ、終わりよければすべてよしだ。感謝しよう、友よ!」
 何だかよく分からないながら、ルロイはグリーズリーと手を取り合い、がっしと握った。
「で、それは良いとして。さっきの骨はなんだったんだ?」
「うふふ、あれはねー?」
 アルマは指で髪の毛をくるんと巻いてしなを作った。たぷたぷとおなかの脂肪を波打たせて歌い出す。
「女の子は♪ うっふん♪ 毎日が特別♪ ふふふん♪♪」
「何だよその腰砕けな歌は」
 げっそりして見やる。
「……それ聞いたことある」
 グリーズリーは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「思い出した。先週シェリーちゃんが家に来ててさ。アルマと二人で一緒に歌を歌いながら、キッチンでこそこそ何かやってたんだよな……」
「シェリーがアルマと? いつの間にそんなこと」
 ルロイは言いかけてはたと思い当たった。言われてみれば確かにここ最近、ご機嫌なときにそんな感じの鼻歌を歌っていたような……
「そ、そう言えば……シェリーも歌ってたかも。で?」
「で、シェリーちゃんが帰ったあと、そのあと『ちょっと早いけど味見♪』とか言って妙に甘ったるいもの食わされた気が……そしたら急に頭がくらくらして」
 そこまで言って、グリーズリーの顔色が青くなった。血の気の失せた顔で、ちらっとアルマを見やる。
「あれはいったい何だったんだ?」
「うふふふ……♪」
 アルマはぬけぬけと笑って、目を細めた。柔らかいソーセージみたいな指先でぷにゅ、とグリーズリーのほっぺたをつつく。
「ひ・み・つ♪」
 腰をくねらせ、にんまりと耳元でささやく。思わず、ずぞぞぞ……! と背筋が寒くなった。グリーズリーと二人して後ずさる。
「さては一服盛ったな!」
「ぁぁん♪ ダーリンったら、込められた愛を疑っちゃイヤ♪」
「変なもの仕込むんじゃない!」
「仕込むだなんてぇ♪ ダーリンの子種なら、いっぱいいっぱい仕込まれちゃったけどぉ~~♪」
「ちょっ、ちょっと待て」
 ルロイは顔を引きつらせた。おそるおそる、たずねる。
「ということは、さっきの骨にも……もしかして?」
「ううん♪」
 アルマは指をくわえ、くねくねと濃密なウィンクをした。
「さっきの骨だけじゃないから。ここに来る途中、森じゅうに恋の罠を仕掛けてきちゃった♪ アハ~ン♪」
 嬉しそうに舌なめずりする。
 ルロイは頭を抱えてぶるぶる震えた。想像するのも恐ろしい……! 何という屈辱的な罠であることか。フェロモンの掛かった枯れ木に情熱のポエムを囁いてしまったり、フェロモンの掛かった巨岩を抱きしめて愛の重さに恍惚となったり、フェロモンの掛かった仲間を追い回して舐め回したり──
 顔面蒼白になる。
「お、おそろしい……!」
「……やるとは思ってたけどマジでやるとは!」
「歩くフェロモン兵器!」
 アルマは嬉しそうに身をよじった。
「うふふ、そんなに褒めないで♪ 照れちゃう♪ あはん♪」
「アルマの交尾好きもたまには役に立つってことね」
 シルヴィは半分怒ったような、意地っ張りな赤い顔でそっぽを向いた。ぷいと唇を尖らせる。
「ふん、言っておくけどあたしにだってそれぐらい、やろうと思えばやれるんだから。そんなはしたないこと普通思いつかないってだけ」
「あぁん、シルヴィったら照れちゃって。エロフェロモンの出し方、教えてあげよっか?」
「何それ。嫌よ、そんなもの、別に誰も頼んでなんか……」
 シルヴィは目尻を真っ赤にして声を尖らせる。ルロイはにやにやと思い出し笑いしながらからかった。
「そりゃそうだ。シルヴィがにおわせてるのって、エロいフェロモンじゃなくてバトルオーラだもんな」
「馬鹿!」
「ぐぼぁっ!」
 ぶん殴られた。げんこつ一発で粉砕され、ぐしゃりと地面に沈む。シルヴィはぷいと目をそらした。
「知らない!」
 ルロイは涙目で起きあがろうとした。
「う、うぐぐ、馬鹿って、何で……!」
「あんたが馬鹿だからよ」
「お前が馬鹿だからだよ」
「お馬鹿さんねぇ……♪」
 全員が声をそろえる。ルロイは憤然とした。殴られた上に三人がかりで責め立てられては納得がいかない。
「お前ら息ぴったりかよ! 俺はただ、思ってることを正直に言っただけで……ひっ!?」
 すかさず振り向いたシルヴィの目がぎろりと怒りに燃え上がっている。ルロイは頭を抱えて縮こまった。
「それを余計な一言っていうんだ、分かったか」
「うぅ、こいつら鬼だよ……」
 グリーズリーは泣きっ面に蜂なルロイを枯れ木の棒でしっしっと追い払った。
「はいはい黙って。そこを退いてもらおうか。今からこの後どうするかを説明するんだから」
 気持ちを切り替え、鋭い目つきを周囲へと走らせる。
「名付けて、『塔の上のシェリーちゃん救出作戦』だ」