お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

塔の上のシェリー

 結わえつけられていたおどろおどろしい魔女の仮面がはずれた。空虚な音を立てて地面に跳ねる。
 仮面の下から現れた顔。それは。
「ええええーーーーっ!」
 二人そろって目玉が吹っ飛ぶほどにぶったまげる。
「シェリーちゃんじゃない!!」
「ななななな何で? どーして!? マジックか!? 手品か!? イリュージョンか!?」
「ど、ど、どどこ行った? 本物は!?」
 逃げるに逃げられず、シェリーとは似ても似つかない少女を腕に抱えたまま、あわあわと二人でその場で右往左往する。
「わけ分かんねー! いいいいったい何がどーなって……」
「エマを返せ」
 銃を持った先ほどの青年が追いかけてくる。
「うわっ、しまった、さっきの奴がまた来る!」
 グリーズリーが潰れたカエルみたいな声を上げた。ルロイの腕を掴んで後ずさろうとする。
「と、と、とにかくこの場は逃げ……」
 そのとき。
「あ……」
 ちいさな声が聞こえた。青年の背後に、黒いフードの少女が立ちつくしている。
 時間が止まったような気がした。
 心臓が音を立てて跳ねる。
「あれは……!」
 ルロイはぎくりとして目を押し開いた。涙に濡れた大きな青い瞳が、呆然とルロイを見つめている。
 ほつれた金の髪。立ちのぼる白い吐息。胸元を掻き合わせる手に、牙の形をした金色のチョーカーが握られている。
 間違いない。
 やっと。
 やっと。
 やっと、逢えた……
 声もなく、互いの瞳に姿を映して見つめ合う。熱い思いが胸にこみ上げた。目をしばたたかせる。
「シェリー」
 それ以上は声にならない。根雪のように重く積もった不安が、温い長い安堵の吐息となって吐き出される。思わず頬が弛む。良かった。無事でいてくれて、本当に、本当に良かっ──
「ほわ?」
 グリーズリーがせっかくの感動に水を差す間抜け声を上げた。シェリーを指差し、ルロイの手の中の少女と見比べ、訳が分からない、といった顔できょとんとする。
「何でシェリーちゃんがそっちにいるんだ?」
「えっ……」
 ルロイは我に返った。自分一人が盛り上がって落涙しそうになっていたのを悟られまいとして、わざとしかめっつらを作り、ごほんごほん咳払いしてみせる。
「ふ、ふん、何を今さら。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。これぞまさしく不可能を可能にする大胆不敵な救出作戦である!」
 グリーズリーが呆れて首を振る。
「嘘つけ、むしろこれは藪蛇だろ。余計な騒ぎばっかり起こしやがって」
「うっせー! バルバロ万事サイオウが馬、スリスリするのも何かの縁だ!」
 照れ隠しに鼻をこすり、赤くなった顔を邪険にそむける。
「てなわけで、この人のことは任せた」
 勘違いでさらってしまった少女をひょいとグリーズリーにゆだねる。
「えーーー!?」
 グリーズリーは抗議の声を上げた。
「何で!」
「何でもクソもない! 別人ですかハイそーですかじゃあポイってわけにはいかねーだろ」
「だからってなぜ俺が!」
「いいから黙って言う通りにしろ! しょうがねえだろ、俺はバルバロ五つの誓いを立てた身なんだから」
「五つの誓い? 何だそりゃ」
「んなことも知らねーのかよ。バルバロ五つの誓いとは、健全なるバルバロ男子が己を律すべく課す神聖なる義務である!」
 喋っているうちにこみ上げる嬉しさを抑えきれなくなってきた。
「一つ、シェリー以外の女の子にはハアハアしない! 二つ、シェリー以外の女の子にはむにゅむにゅしない! 三つ、シェリー以外の女の子にはすりすりしない以下同文につき省略!」
「……五つある意味が全くねーよ……」
 グリーズリーの猛抗議など意も介さず、ルロイはくるりと振り向いた。
 改めて黒いフードの少女を見つめる。少女は驚きと不安の色を濃くして立ちつくしている。硬い表情だ。それでも全身を覆う黒いフードの下から、ふわふわのひつじみたいに輝く金髪が隠しきれないほどこぼれて、光って──
 見間違えるはずがない。
 シェリーだ。
 押さえきれない笑みがこぼれる。
「やっと逢えた」
 ルロイは両手をいっぱいに広げた。嬉しさのあまり、まだらハゲのシッポがぶるんぶるん猛回転する。
「やっと逢えた……ホント逢いたかった……逢いたかったぞシェリー!」
 喜色満面でお尻ごとシッポをふりふり、歓喜にぷるぷるうちふるえて両手を広げ。
「マイスイートハーーーーート! 愛しのシェリーーーーー! はうううーーーん!」
 喜びの遠吠えをあげ、一直線にぴょーん! 再会を祝す情熱のキッスを交わすべくシェリーめがけて飛び込んだ──はずだったのだが。
 なぜか、抱きしめるはずの手がむなしく空を切った。
「え……?」
 思いっきり空振りし、顔面から地面に激突する。
「ぐは!?」
 目の前に火花が散る。
「な、何で……」
 半分地面にめり込んだ状態でピクピク痙攣する。訳が分からない。予定では今頃、お姫様だっこで抱き上げてむぎゅうって頬ずりして、きゃっきゃうふふ♪ と手に手を取り合って笑い交わしているはずだった。なのに。
 なぜこんなことに……?
 唖然として空っぽの手を見つめる。目の錯覚? 距離の目算を誤った? それとも、シッポが半分ハゲたスネ毛みたいにちょろりとなってるのがイヤだった?
 頭の中が堂々めぐりする。何が何だか分からない。
「と、とにかく……シェリー、む、迎えに来たよ……」
 どうにか気を奮い起こし、全身をふるって身を起こす。ところがシェリーは近づいてこようとしないばかりか、逆に怯えた声を上げて青年の背後に逃げ込んだ。顔を伏せる。
「近づくな、化け物」
 青年がとっさに間に割って入った。
「危ないから君は下がっていろ」
 シェリーを背後にかばい、じりじりと後ずさる。その間も銃口はぴたりとルロイに向けられたままだ。
「へ?」
 ルロイはあっけにとられた。避けられた……?
「どういうことだ、ルロイ?」
 同じくグリーズリーもぽかんとしている。
「ど、ど、どういうことって……いや、その、えっと……?」
 へどもどと挙動不審に口ごもる。
「思いっきり避けられてたように見えたぞ」
「ははは、まさか、そんな馬鹿な。気のせいですよ、ははは……だよな、シェリー?」
 ルロイはそらぞらしい笑い声を上げ、その場を取りなそうとした。だがシェリーは変わらず顔を伏せたままだ。ルロイは青くなった。
「えっ……ちょっ……無反応って、どーゆーこと? 俺、無視されてる?」
「おい、ルロイお前、まさか」
 グリーズリーは突然真顔になって、汚物を見るような眼をルロイへと向けた。脅しつけるような低い声で尋ねる。
「さては……シェリーちゃんに嫌われるようなことしたんじゃないだろうな?」
「えええええええええしてねーよ!」
 ルロイは泡を食って必死に否定した。濡れた犬みたいにぶるんぶるん頭を振るう。
「んなことするわけねーじゃん!! 何もしてないってば! っていうかしてないと思うけど……あの」
 なぜか急にちょっぴり不安になって、目をそらし、ボソッと言い訳する。
「……たぶん」
「したのかーーっ!」
 ルロイはあわてて撤回した。
「し、し、してないしてない! マジでホントしてないってば! 誤解だ。何でこうなってんの? どうして!?」
「それはこっちの台詞だ」
 青年はルロイに銃を突きつけたまま口を開いた。険しい表情を変えもせずシェリーに尋ねる。
「どういうことだ。君はあのバルバロと知り合いなのか」
 シェリーは血の気の失せた顔で、呆然とルロイを青年を見返した。手をむすび、胸に押し当てる。
「知り合い……?」
 白い息があえぐように立ちのぼる。霞が掛かったような口振りに、ルロイは唐突に心許なさが募るのを感じた。身を乗り出し、誤解を解こうと語気を強め、言いつのる。
「どうしたんだよ、シェリー。俺だ。ルロイだ。シッポ禿げちゃって別人みたいだけど間違いなく本人だから……!」

 ルロイ。
 シェリーは声を無くし、シッポについて力説するバルバロをまじまじと見つめた。
「ルロイ……」
 その声に。その存在に。心がざわめく。かき乱される。
「ルロイ、さん……?」
 金のチョーカー。ルロイ。バルバロ。そうだ。確かに知っている。その名前。その声──
 固く閉ざされ、隙間から垣間見ることしかできずにいた記憶の扉が、ふいに開け放たれた。意識が過去に引き戻される。あのとき、いったい何を見たのだろう。何を聞いたのだろう。轟音と同時に、身の毛もよだつ冷たさがよみがえった。
(うそ、いやだ、ルロイさんやめて……!)
 残忍な手から逃れ、追われて逃げる最中。雪崩に巻き込まれて、川に落ちて、それから。
(二度とその名を呼ぶな。バルバロと人間は永遠の敵だ)
 それから……? 嫌な汗が背筋をじっとりとなまぬるく流れる。俺の名を呼べ。そう言ったのは、誰の声だった? 冷たく光る黒い瞳は。あれは誰の──
 手首にからめた金のチョーカーが傷をえぐる光を放つ。同じ声。同じ顔。シェリーは恐怖を振り払おうとした。だが、よみがえった記憶は蛇のように容赦なく絡みついて離れない。
「……らない……」
 シェリーはこめかみを押さえてよろめいた。
 バルバロは、敵。
 ちぎれそうな声で呻く。壊れて欠けた記憶のナイフが、ガラスみたいに澱む感傷を切り裂く。
 バルバロと人間は、永遠の敵。
「あなたなんて知らない……知らない!」
「えっ」
 ルロイは声を呑み込んだ。訳が分からない。動揺して、口元が変な笑いの形にゆがむ。
「な……何で急にそんなこと」
 平静を装おうにも、頭の中の鍋ぶたがかたかたと音を立てて揺れ、今にも吹きこぼれそうだ。
「来ないで」
 シェリーは首を振った。両手で耳を塞ぎ、うずくまる。金の髪が千々に乱れ、風に乱れた。
 声が吹き飛ばされる。
「嫌! 思い出したくない……!」
「シェリー」
 頑なな態度にルロイは絶句した。
「どうして……」
「足止めご苦労」
 冷ややかな声がかかった。
「良くやった、ニーノ。最高の獲物がかかったようだ」
 兵士の背後から灰色のコートを着た男が姿を現した。平然と近づいてくる。片眼鏡に白の手袋。執事の装いだ。ひどく細い、無感動な灰色の目がルロイを捉えている。
 ルロイは喉の奥から警戒の唸りを上げた。相手の気配、態度、表情。見ればそれぐらい一目で嗅ぎ分けられる。本能が告げていた。この人間は、”敵”だ。
「誰だよ、てめえは。何しに来た」
 灰色の男はルロイを無視し、演奏会の指揮者のようにすっと片手を上げた。
「構えろ」
 銃を携えた兵士たちが扇形の弧を作って周りを取り囲んだ。銃を水平に構える。何十という銃口がルロイと青年を狙っていた。
「やれやれ、その陣形はどうかなあ」
 グリーズリーが取るに足らぬふうを装って口を開く。
「いいのかよ? この距離で水平射撃なんてしたら、囲んでる他の連中にも流れ弾が当たっちまうぜ。同士討ちってやつだ。下手すりゃ無関係の一般人にまで被害が及ぶことになる」
 焦る気持ちをおくびにも出さず、挑発めいた口調で相手を抑制する。その言葉を聞いた兵士たちは明らかに動揺の色を見せ、互いに目配せを交わし合った。どよめきが広がる。
「ヨアンさん、これはいったいどういうことです」
 同じく囲まれたと気付いた青年もまた、状況を把握しかねて呻いた。四方を見回し、絶句する。
「まさか、あんた、本当に──」
「バルバロなんか撃ち殺しておしまい!」
 そのとき、勝ち誇った女の命令が響きわたった。兵士たちがぎょっとして顔を上げる。
「撃つのよ、ヨアン! いいから殺してしまって! そいつら全員、皆殺しにおし!」
 女の声だけが狂気じみて響き続ける。
「御意」
 男は胸に手を当て、慇懃な物腰で頭を垂れた。殺意を秘めた視線がルロイの傍らをすり抜け、矢のように飛びすぎる。きっちりと撫でつけた髪がぬめるように光る。
 ぎくりとして息を呑む。いったい誰を狙っているのか。その視線の先にあるのは。黒光りする銃口の先にあるものは、いったい──
 片眼鏡が白く反射した。男は手を振り下ろした。
「全員、撃て」