お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

塔の上のシェリー


 湾曲した刃に血の色の炎が映り込む。熔けるように赤い。
 アドルファーは鎌を傾けた。刃にゆらりと冷気が添い漂う。鋼の音が風に混じる。
「グリーズ」
 ルロイは声を押し殺した。ゆっくりと手を横に伸ばしてグリーズリーとエマを背後にかばう。
「その人を連れて逃げろ」
「いや、しかし、大丈夫か」
 グリーズリーは声を呑んだ。ルロイはわざと余裕のある態度でへらりと笑い、胸を叩いてみせた。
「あったりめーよ。ここは大船に乗ったつもりで、この俺様にどーんと任せとけ。それに、せっかく助け出したってのにこんなとこで見捨てたら、次期村長の名が激しくすたっちまうぜ?」
 グリーズリーは冷や汗の滲んだ顔をこわばった笑いの形にゆがめた。
「ハゲてんのはお前だろ。誰が見捨てるかよ」
「だーかーらー、ここはひとつ、てめーに華を持たせてやろうっつってんだよ。良いトコ見せろよ、グリーズ。その人を助けられるのはお前だけだ」
 にやっと笑って親指を立て、合図を送る。
「な?」
「あ、ああ……分かった」
 グリーズリーは汗をぬぐってうなずいた。
「死ぬなよ、ルロイ」
 じりじりと後ずさったかと思うと、身をひるがえして人込みの中へと駆け込む。
「バカ抜かしてんじゃねーよ。誰がやられるかっての」
 グリーズリーの後ろ姿を見送りつつ、ルロイはふん、と鼻を鳴らした。拳の背中で鼻をこすり上げる。
 おもむろにアドルファーへと視線を向ける。
「……こんなコスプレ変態仮面なんかに」
「遺言は伝え終わったか」
 アドルファーは鎌を振り上げた。柄に巻き付けられた黒布が、まがまがしく横風に吹き流される。
 ひらひらとたなびく布の動きに気を取られる。視線がそれた瞬間、アドルファーはいきなり深く踏み込んで斬りかかってきた。
 喉すれすれの空間を鎌の先端がかっさばく。ルロイはとんぼを切って跳ねた。だが着地の瞬間をねらい澄ましたかのように、第二撃が頭上から降ってきた。地面に突き立つ。石畳が砕けた。
 横に転がって逃れたところを、続けざまに斬り込まれる。
 息もつかせぬ斬撃を間一髪で交わす。白い息が気迫とともに吐き散らされた。
「悪いが明日はシェリー奪回のお祝いとして宴会の予約が入ってるんでね。てめーも一緒にどうだ? コスプレ一発芸人として呼んでやるよ!」
 ルロイは荒れた呼吸を笑い声に変えて余裕を見せながら、精一杯の大口を叩いた。アドルファーがにやりと笑う。
「悪くない趣向だな。ならば、手みやげに貴様の生首を提げて行ってやろう」
「うへえ……」
 想像してルロイは片目をつぶり、冷や汗をぬぐった。
「お断りだね! スイカ割りにはいささか時季はずれだ」
 ルロイは狼の笑みを返して見せた。使い慣れた山刀を抜き払う。
「これ以上ひん剥かれてたまるかっての」
 打ち込んできた一撃を山刀で受け止める。耳元でしのぎを削る火花が散った。金属音が軋む。
 鎌の刃の向こうに見えたアドルファーの口元が冷ややかにゆるんだ。
 片手で巨大な鎌を操っている。受け止めるだけで肘から先が砕けそうだ。衝撃が全身に伝わる。みしみしと音を立てて骨がたわんだ。重い。
「くっ……!」
 ねじ伏せられる寸前、ルロイはあやうく飛びすさった。
「逃げてばかりでは倒せまい」
 アドルファーは肩をそびやかせた。鎌を振って構え直す。
「けっ、ほざけ。ゴチャゴチャうっせーんだよ。何だよテメーは、アレか? わざわざ近寄ってきては窓のホコリなぞってフッて飛ばしてネチネチ嫌みかます小姑か?」
 強気を装って口汚く言い返しながらも、内心ひそかに歯がみする。
 弾かれた腕がびりびりとまだ痺れていた。骨がへし折れそうだ。
 不敵に笑って汗をぬぐう。なぜか、ぬぐってもぬぐっても嫌な汗が流れて止まらない気がした。
 舌打ちする。
「ちっ……」
 内心の焦りを噛み殺す。
「こっちはあの野郎の攻撃を受け流すだけで精いっぱいだってのに……」
 聞こえないように吐き捨てる。問題はあの鎌だ。どうしても巨大な鎌の間合いに踏み込めない。
「月の民の王ともあろうものが一族の悲願を捨て、命をも捨てようというのか」
 アドルファーは冷淡につぶやいた。髑髏の面の下、黒い瞳が無慈悲に光る。
「たかが人間の牝一匹のために」
 ひゅん、ひゅん、と。
 風を切る刃の音が聞こえた。まるで風車の羽だ。ぬめるように光る三日月型の刃が目に入る。
 縦横無尽に舞う刃の旋風。弧を描く死の旋風だ。あの刃が描く弧の内側に取り込まれたらまず無事ではすまない。
 ……内側? 弧の、内側──
 息が乱れた。冷や汗が滲む。どうすればあの鎌の攻撃を避けられる……?
「たかが、だと……?」
 刃の動きを予測する光の軌跡が脳裏に閃く。
「たかがじゃねえッ!」
 ルロイは足に全推力をためてバネのように襲いかかった。地面を這う疾風のように突進する。
「シェリーは俺の全部だ!」
 両手に山刀を握り、アドルファーの心臓を狙って身体ごとぶつかってゆく。アドルファーの鎌が斜めの弧を描いてなぎ払われる。
 見えた!
 攻撃を受ける瞬間、地面を蹴って身体を反らす。三日月の形をした鎌の刃が視界の横に見えた。
 振り抜いた直後、側面から迫る敵に対して、鎌は完全に無力。
「ここだ!」
 全身の力を込めて、鎌の側面にナイフを叩きつける。
 鎌の刃が根本から折れる。
 同時にルロイが手にした山刀もまた、根本から砕けて折れた。甲高い音が飛び跳ねる。
「しまった……!」
「笑止」
 アドルファーの口元が吊り上がった。
 砕けた鎌の柄が∞の字を描いて山刀の刀身にからみつく。さながら手首に蛇が巻き付いたようだった。
 アドルファーは使い物にならなくなった山刀ごと、ためらいなく鎌を振り捨てた。
「わっ……!」
 ルロイは力の加減を失って前のめりにつんのめった。狼狽える間もなく胸の懐内に潜り込まれる。
 胸ぐらを掴まれ、投げ飛ばされる。
 視界が一転した。背中から地面に叩きつけられる。振り上げたこぶしが見えた。
「くそっ!」
 とどめの一撃をかろうじてかわし、跳ね起きる。
「ど、どこだ? どこに……!」
 一瞬、アドルファーの姿を見失って狼狽する。
「ここだ」
 かちり、と。剣の鍔を押し上げる音。
 真横だ。心臓が止まりそうになる。逃げられない。
 アドルファーは剣を抜き払うと同時に、その動きを利用してルロイのこめかみに剣首を叩きつけた。
 鈍い音が頭蓋骨内で響いた。身体ごと真横に吹っ飛ばされる。
 首から上がまるで折れたように思った。目の前が暗くなる。耐えきれず、膝から崩れ落ちた。
「終わったな」
「くっ……」
 折れた山刀も、いつの間にか手の内から消えている。
「……くそ、どこだ……?」
 垂れてくる血をぬぐって周りを見回す。
 きらめきの残骸が目に留まった。あった。だがアドルファーの足元だ。
「残念だったな」
 アドルファーはすかさずナイフを遠くへ蹴った。刃のきらめきが視界から消える。
 力が抜ける。膝が萎えた。ルロイは息をついてへたり込んだ。片手を地面につく。目が眩んだ。焦点が合わない。
 髑髏の面だけが二重にぼやけて、赤く闇に浮かび上がる。
「まだ生きているのか」
「うっせえ、石頭をなめんな」
 ルロイは血の混じった唾を吐いた。口の端をこぶしでぬぐう。
 取りあえず武器が必要だ。何でもいい。棒でも、ハンマーでも、とにかく戦えるものなら、何でも。
「後でキョーレツな頭突きをぶちかましてやるからな、吠え面かくなよ」
 時間稼ぎも兼ねて、ふてぶてしく吐き捨てる。
「負け犬に相応しい捨てぜりふだ」
 降りかかる声に嘲笑が混じる。
 視界がぐらりとした。ルロイはかすむ眼を周囲へと配った。
 アドルファーの背後に、他の兵士が落としたのか、槍が何本も転がっている。
(あれは……)
 息を整え、体勢を立て直す。ルロイはひきつった薄笑いを浮かべた。
 注意だけはアドルファーから離さないまま、ゆっくりと目線をそらす。
 槍はあまり得意ではない。だが、他に適当な武器が見あたらない以上、とりあえず目に付いたものは何でも拾って対抗するしかない。
 とはいうものの、使い慣れぬ槍で果たしてアドルファーの猛攻をしのぎきれるだろうか……?
 ふと。
 アドルファーの背後に忍び寄る人影が見えた。
 兵士だろうか。いや、違う──
(ほょえええええーーーーーッ!?)
 己が目を疑う。一応、兵士の体裁を取ってはいる──つもりらしい、が。
 ばよよよーん! とおっぱいが揺れている。
(ち、ち、痴女……ッ!?)
 ごくりと固唾を呑む。
 怪し過ぎることこの上もない女兵士が、アドルファーの背後にじりじりと忍び寄ってゆく。
 服の内側に収まりきらない爆乳がこぼれ出している。上着のボタンはぱっつんぱっつんに張りつめ、かろうじてひとつふたつ、それもほとんど糸がほつれて取れかかった状態で繋がっている。
 そのくせ、帽子を目深にかぶり、黒く墨を塗ったゴーグル眼鏡をかけ、首から口元にかけて布をぐるぐる巻きにしたマスクで覆っている。
 まさに頭隠しておっぱい隠さず。
(いかがわしい! あまりにもいかがわしい……!)
 全力で叫びたくなる気持ちを必死で押し殺す。
 ゴーグルの下の眼が光ったような気がした。
 いったいどういうことなのか。股間がもっこもっこと動き始めた。
 もーと持ち上がっては、もっこもっこ蠢いて、また持ち上がる。もっこり、もわわわ、もっこり……
(ひぃぃぃッ! 何だあの女はーーッ! あまりにも怪しすぎるーーッ!! どうしようヘンタイが出没した……!)
 ルロイはたじろいだ。もっこりしたり凹んだりをリズミカルに繰り返す股間を凝視する。精力絶倫を主張したいのか、それとも……?
(ん?)
 ヘンタイ仮面兵士は身振り手振りで何やら必死に合図を送っている。頭の中でバルバロの遠吠えが聞こえたような気がした。
 ウォーウ、ォン、ォウ……
 はっとひらめく。このリズムは狩りの時に仲間内で使う遠吠えの合図と同じだ。遠吠えに当てはめてみる。
 ま・か・せ・ろ……任せろ、だ!
(そうか! なるほど!)
 腑に落ちる。あの怪しすぎるもっこりはきっとシッポをズボンに押し込んだ結果に違いない。ということはすなわち。
(……あいつか!)
 へべれけに酔っぱらって姿を消していたのかと思いきや、まさかちゃっかり敵の中に紛れ込んでいたとは。
 ルロイは知らず知らず笑みがこぼれそうになるのを噛み殺した。にやにやしすぎてアドルファーに計略を気付かれでもしたら、せっかく機転を効かせて痴女に──ではなく兵士に化けて侵入したのがバレて、元も子もなくなくなってしまう。
(さすがはシルヴィ、抜け目ねーな!)
 ルロイは拳で頬をこすり上げた。わざと悔しげに顔をゆがめてみせる。
 背後を取りさえすればこっちのものだ。いくら相手が手練れのアドルファーであっても、二人がかりなら、きっと。
(……勝てる!)
 けしからんおっぱいの揺れと同時に、勝利の光明が差し初めたように思えた。