お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

狼の夜は終わらない

 身じろぎするたび、鎖の音が鳴る。心臓をえぐる、冷酷な音。かつて、嫌と言うほど聞かされた屈辱の音だ。
 金属が肌に直接当たった。
「冷たっ!」
 思わず変な声を上げて首をちぢこめる。ルロイはしぶしぶ片眼を開けた。体調は最悪。やたら悪寒と吐き気がして、眼がぐるぐると回り、何より全身がズキズキする。
 できるなら、つらい現実は極力直視したくない。というよりなるべく全力で目をそらしたい気分だったのだが、目が覚めてしまった以上は致し方ない。あの世のお花畑へ船をこぎ出すのは取りあえず後回しにして、まずはクンクンと鼻をうごめかす。
 泥と黴と石と水の入り交じった臭いがした。
「最悪だな」
 改めて再認識する。この臭いは、まるで──
「墓の下かよ……」
 げんなりして、頭上を振り仰ぐ。底冷えのする空気は暗く濡れて、いかにも陰鬱な牢獄といった様相をおびている。
 通路の天井はふるめかしいアーチ。明かりらしきものは通路の角にぽつんと一つ。壁は悪趣味な彫像で埋め尽くされている。
 手首にはめられた鉄の輪は壁の枷につながっている。吊り下げられた手を動かすと、耳障りな鎖の音が壁にぶつかって反響した。ルロイは苦笑いを浮かべた。
 どうやら囚われの身に陥ったらしい。うんざりと首を振る。
「また捕まっちまったか」
 息が白く立ちのぼった。壁にもたれ、一瞬、眼を閉じる。
「弱ったなぁ……けど、まあ、死んで埋められるよりはまだ生きながら埋葬されたほうがマシってもんだよな!」
 減らず口でうそぶいて見せながら、こめかみに滲む冷たい汗の感触に耐える。シェリーを連れ去られたあげく、アドルファーに打ち負かされ、シルヴィには裏切られ……この先どうなるか、正直さっぱり分からない。
 とはいえ、不安を並べ上げても現状の打開には役に立つまい。よって、都合の悪い事実には敢えて蓋をし、鍵を掛け、念入りに頭の奥へとしまいこむ。囚われの身になろうがどうしようが、ここは生きているだけでも御の字とせねば。
「うむ、自己解決」
 あっさりと気を取り直す。
「俺のことはとにかく、まずはシェリーを助けに行かないと。うーん……でも、ここはいったいどこだ?」
 見上げた石組みの壁に、いつ、誰が刻んだものか分からない削った跡が無数に残っていた。十字をふたつ組み合わせた図形に円がひとつ。見上げれば、ぞっとするほど大量の図形が、壁一面にぎっしりと刻み込まれている。
「ずいぶんと薄気味の悪い所だな……」
 そう続けようとして、ルロイは言葉を呑み込んだ。耳をぴくりと動かす。
 遠くで檻の開く音がした。
 靴の音が上から降ってくる。かなり遠いが、反響の具合からして複数と分かる。大股に歩く二人と、足音を忍ばせて付き従う二人。おそらく三人目以降は泥棒の仲間に違いない。
 ルロイは左右に視線を走らせた。いまいち足りてない脳みそを猛転させ、如何に対処すべきかを考える。繋がれている以上、逃げ隠れはできない。何をされても即応できるよう身構えるべきか、それとも。
 足音が階段を降りきった。ランプの明かりが上下に揺れて近づいてくる。
「お目覚めかな」
 貴族が姿を現した。槍を手にした看守を供に従えている。絞首台の上にいた、あの、えんじ色のコートを着た貴族だ。気の置けない笑みを見せて歩み寄ってくる。
 ルロイはわざと唸ってみせた。手首の枷を荒々しく引きちぎる真似をしてみせる。
「ぐふー! がるるるるるるーーー!」
「元気そうで何よりだ」
 貴族は取りすました笑顔を浮かべた。看守が威嚇の槍を突きつけ、怒鳴りつける。
「うるさい、静かにしろ!、この怪物め」
「うがー! がうがう!」
 ルロイは耳を伏せて牙を剥きつつ、横目でこっそりと舌を出した。凶暴な野獣のふりをして侮らせ、隙をうかがうのも悪くはない。
「案内ありがとう」
 貴族はそっけなく看守を追いやった。
「お前は入り口を見張っていろ。誰も地下に通すな」
「しかし、閣下お一人では危険です」
「構わない。それよりもう一人の囚人に注意しろ」
「承知しました」
 貴族が命じると看守はおとなしく引き下がった。
「さてと、これでよし」
 体よく看守を追い払ったのち、貴族は表情を和らげた。手にしたランプをまずは傍らの台へと置き、壁際に片づけられていた木製の折りたたみスツールを運んできて、座面にこびり付いた土をハンカチで払う。
「おくつろぎのところ申し訳ないが、」
 気障な仕草でコートの裾を跳ね上げ、腰を下ろし、高く膝を組む。
「がうがう! ぐうるるるるーーー!」
 ルロイは獰猛に唸った。がつがつと目の前のブーツに噛みつく素振りをしてみせる。
「靴なんか囓ったってさほど美味くはないぞ」
 貴族はあきれたふうに肩をすくめた。悠然と姿勢を変え、ランプを手にとって顔の間近に差しつけてくる。隅々まであぶり出そうとするかのようだった。
 ゆらめくランプの光がちりちりと射し込む。ルロイははれぼったく目を細めた。貴族の顔に微妙な陰影の変化が表れる。薄笑いとも違う、侮蔑の笑みとも違う、不思議な微笑。
「随分と長いお昼寝だったね」
 ずいぶん長く……?
 ルロイは考えを巡らせた。ここには窓がない。いったいどれぐらいの間、気を失っていたのだろう。半日か、一昼夜。あるいはもっと長い間かもしれない。どうやらここは素直に妥協して情報を仕入れた方がよさそうだ。
 顔をそむけ、不承不承、といった口を開く。
「悪いけど、そういう高圧的な脅迫行為はやめてくれないかな」
「それは失敬」
「もう一つ。捕虜なら捕虜らしく丁重な取り扱いを要求する」
 わざとらしく胸を張る。貴族は片方の眉を持ち上げ、ちらりと見た。
「君に捕虜としての価値があるならばね」
「……」
 ルロイは少し考えた。言われてみれば確かにその通りだ。納得したふうのルロイを見て、貴族は小さく吹きだした。撤回するかのように手を振る。
「すまない。冗談だ。もちろん非人道的、暴力的な尋問をするつもりはない。君たちバルバロは我々人間の天敵ではあるが、同時に最強の好敵手でもある。ちょっと確かめてみたかったことがあってね。もっとよく君の顔を見せてくれ」
 貴族は指先でルロイの顎を持ち上げた。ひゅうと口笛を吹く。
「本当に瓜二つだな。他人のそら似というには余りにも」
 まるで新発見の珍種を観察するかのように、にこやかな表情でルロイの顔を見つめている。
「あんた、アドルファーを知ってんのか」
 ルロイは用心深く訊ねた。貴族は涼しい笑みを浮かべた。答えるのかと思いきや、平然と話をそらす。
「怪我の具合はどうかな?」
「話をそらすな!」
 食えない男だ。ルロイは笑い出しそうになるのをこらえ、あわてて牙を剥いて脅しの唸りをあげてみせた。貴族は恐れる素振りも見せず、呑気に身を退いた。
「ずいぶんとご機嫌斜めだな。腹でも空いているのかい」
「おかげさまで、背中に穴が開いちまったもんでね。飯なんぞ食った端からはみ出しちまうよ」
 貴族は肩をすくめた。軽くいなす。
「大げさな。君の傷はそんなに深くないよ。治療もしてある。安心してくれ」
「分かった。じゃあ、腹減った。食い物寄こせ。肉!」
「むしろ、黒百合ノワレの毒を喰らって平然と生きていられるほうがよほど驚きなんだが」
「へ? 毒? いつの間に?」
 貴族は答えず、ルロイに背を向けた。手にしたランプを、岩を削りだした傍らの台へと戻す。映り込んだ影がゆらゆらと不安定に揺れた。
「君はどうやら女性に対する心遣いが足りないようだ。いつか刺されるだろうね」
「ハイハイご忠告どうも感謝しますよ」
 ルロイはぶんむくれて言い返した。
「……どうせなら刺される前に言ってくれ」
「痴情のもつれに口を挟むほど悪趣味ではない」
 貴族はそらとぼけて堂々としらを切った。
「それにしても面白いな。まったく同じ顔なのに、中身ときたらまるで……と」
 咳払いの後、声音が変わった。貴族は居住まいを正した。おもむろに振り向き、帽子を取って胸に当てる。
「雑談の前に、自己紹介をしておこう。私としてはどうしても初対面な気はしないのだが、ざっくばらんに腹を割って話すには互いを理解する必要があるだろうからね。お初にお目に掛かる。私はトラア・クレイド。この村の領主だ。君の名は」
 ごく普通に名前を聞かれたことに対して、少々とまどう。ルロイは反応に迷った。アドルファーの仲間ならバルバロ側の情報はすべて筒抜けのはずだ。知っていてあえて問いかけてくるということは、おそらくこちらの出方をうかがってのことだろう。利用価値があるか無いか、取引に乗ってくるか否か──利用可能かどうかも含めて、何らかの思惑があると思って間違いない。
 ルロイは鎖の絡みついた手を持ち上げた。わざとうんざりした口振りで言い返す。
「こんな下にも置かない扱いを受けて、まともに名乗るとでも思ってんのかよ?」
「これは気が利かなかった」
 クレイドは声を立てて笑った。
「ではそれ相応の饗応にて賓客をもてなすとしよう。焼きごて、耳削ぎ、串刺し……どれがお望みかな。何でも好みのメニューを選んでくれて構わないよ?」
 さわやかに腹黒なせりふを並べ立てる。ルロイは冷水を浴びせられた心地になって首をちぢこめた。下手に怒らせては元も子もない。
「……ルロイです」
 しおれた態度を装って下手に出る。クレイドは満足げにうなずいた。
「ルロイ君か。結構。最初から素直に答えてもらえれば、こちらとしても余計な処置をせずに済むというものだ」
「異議あり! どこが人道的なんだよ。拷問する気まんまんじゃねーかよ!」
 鎖を鳴らして抗議する。クレイドは白々しく聞きとがめた。
「ただの尋問だが? 何か問題でも?」
「別に!」
「ならば話を続けよう。君の仲間についてだ」
 にこやかに話を続ける。
 ルロイは無反応を装って相手の顔を見やった。仲間と言った。グリーズリーのことだろうか。それとも。
 尻尾でいらいらと地面を叩く。
「何のことやら。さっぱり分からねえな」
「仲間を売れとは言っていない。単なる情報交換だよ。君だって、どうしても知りたいことの一つや二つぐらいあるだろう。たとえば」
 誘い出すような笑みを浮かべる。
「”彼女”のこととか、ね」
 あからさまな脅迫に、ルロイは喉の奥から低い唸り声を発した。
「知るか」
 そのとき、棘のあるヒールの音が響いた。気付いたクレイドが苦々しく舌打ちする。
「もう嗅ぎ付けたか」
 廊下の向こう側から女物のヒール靴の音が近づいてくる。
 ルロイは顔を上げた。甘い毒の芳香がした。揺れるランプの明かりに照らされ、壁に影が映り込んだ。ドレス姿の女だ。むせかえるような香水の匂いが鼻を突く。
「トラア。ここで何をやってるの。ひとりで勝手なことをしないで」
 クレイドはすばやくルロイの傍らに身をかがめた。指を立てて静かにするよう合図し、耳打ちする。
「まだ毒が残っている振りをしていろ」
 ルロイはきょとんとして息をつめた。意図をはかりかねて見上げる。
「はい?」
「彼女に何を言われても反応してはいけない。いいね」
「えっ?」
「言ったとおりにしろ。話は後だ」
 したたかにみぞおちを蹴飛ばされる。ルロイはうめいて首を折った。
「大山鳴動して野良犬一匹とは。大立ち回りを演じたわりには随分と安い戦果ね」
「誰が野良ほげブッ!」
 ルロイは反射的に噛みつこうとして、すかさず振り返ったクレイドの剣の鞘でしこたま後頭部をぶん殴られた。ひどい音がした。眼から火花が飛び出す。
「言葉には気をつけていただこう、マール大公妃」
 クレイドはわざとらしくすり足でざらつかせた音を立て、ルロイの呻き声をかき消した。
 マール大公妃……?
 ルロイは我に返り、あわてて怒気を含む唸り声を噛み殺した。誰だ?
 こんな地下の墓地にやってくるとは、いったいどんな女だろう。片眼をうすく開けて様子をうかがう。
 全身黒のドレスをまとった、妖艶な女だった。ぬめるような黒いまなざしがルロイへと注がれている。
「王女がバルバロどもと結託していたという報告は、どうやら本当だったみたいね」
 バルバロども、だと?
 かちんと来た。高慢な言葉尻一つとっただけでむかむかと頭に来る。よほど脅かしてやろうかと思ったが、抗議の唸り声を上げかけた寸前、余計なことは喋るなと口止めされていたことをかろうじて思い出す。
「彼は”凶暴”だよ。不用意に近づいては危険だ」
 クレイドが説明している。どうやら”人間側”の結束も盤石というわけではないらしい。ここは忠告通りにしておいたほうが良さそうだ。
 女は不信のまなざしをクレイドへと向けた。
「あの子の居場所は? とっくに白状させたんでしょうね?」