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「ルロイさん、お食事の用意ができましたよー? って、あれっ、いない」
シェリーは両手にミトンをはめ、スープの大きなお鍋をよろよろと運んできた。よいしょ、とばかりにテーブルの上へ持ち上げる。
「うーん」
かすかに眉をひそめ、おなかをさする。
「……ちょっと作りすぎてしまったかもです。それにしてもルロイさんはどちらに?」
姿の見えないルロイを探して、きょろきょろとダイニングを見回す。
「もしかして、まだ野外キッチンでしょうか?」
食台には、赤と白のチェック模様になったテーブルクロスがかかっていた。
一輪挿しの花びんには可愛らしい白い花。その隣にはオレンジ色のポット。おそろいの模様が入った食器。木を削った手作りのカトラリー。四角いかごには素朴なねじりパンが盛られ、小皿入りのジャムが添えられている。
「遅いですねえ……」
シェリーは、赤い花模様の付いたコップのとなりに並べた、青い海の模様のコップを見つめた。思いを巡らせる。
テーブルを照らし出すのは、小さな獣油のランプがひとつ。シェリーが日々噛みしめている小さな幸せそのもののような、暖かみのある、ほんのりとした色合いの明かりだ。
しかし今日は風のせいか、どこかしら不穏に揺らめいている。
壁に映し出された影が、吹き消される寸前のように、大きくふいに揺れ動いて見えた。窓の外から地鳴りのような風の音が聞こえてくる。
「では、今のうちに……?」
……だが、果たして可能だろうか?
シェリーは緊張のあまり、ごくっ、と喉を上下させた。
何とかしてルロイの目を盗み、秘密の計画を遂行しなければならない。
(大丈夫、やればできます)
(ルロイさんを……【恋の”逆赤ずきんちゃん計画”】に……!)
ぎゅっと握りしめた手のひらが、じりじりするようなぬるい汗をかいているのが分かった。心臓がはやる音をたてている。
シェリーは緊張の面持ちでテーブルの向こう側へと回り込んだ。戸棚へと向かう。
「……まさか、”これ”を使う日が来るとは……思いもしませんでした……」
戸棚をそうっと開け、琥珀色の液体がちゃぷんと揺れる小瓶を取り出す。シェリーは、ぽん、と音をさせて栓を抜いた。
瓶の中身をまじまじと見つめる。ガラスに、伸び縮みする面白い顔が映っていた。
まずはこれを一滴、二滴、入れて、様子を見よう……そんなことを考えつつ、震える手でルロイの飲み物にこっそりと酒を混ぜ──
「おおおお、今日もうまそうだなあ!」
「きゃああああっ!?」
いきなり声がして、シェリーは仰天した。飛び上がる。手が滑って、ブランデーの小瓶が飛び跳ねた。
「……あっ……!」
小瓶はルロイのコップにぼちゃんと落ちた。あわてて持ち上げるも時既に遅かりし。中身はすべてコップの中へ。
深い琥珀色の液体がゆらゆらとジュースに溶けてゆく。
「はわわ、大変! どうしましょ……!」
泡を食って右往左往する。
顔をてらてらと赤くさせたルロイが、行儀悪く足でキッチンの戸を蹴って入ってきた。両手に焼き肉の鉄板を抱えている。
てかてかに熱せられた脂が、じゅうじゅうとそこらじゅうに跳ねていた。
「熱くて危ねえから、ちょっと横に退いててくれる?」
ルロイは鉄板を傍らのワゴンへと置いた。シェリーは眼を白黒させながら口をぱくぱくとさせた。あわてふためいて口走る。
「ど、どうしましょ、なんと言うことでしょう……!」
「旨そうだろ?」
ルロイはにやりと自慢げに鼻をこすり上げた。肩をそびやかせる。
「で、そっちのメニューはどうなってる?」
「あの、その、お酒……」
「お酒? お酒なんてどこにあるんだ?」
「はうう……! そりゃもちろん、このお酒でルロイさんを眠らせ……げふんげふん!」
あわてて横を向いて咳払いする。
「いいえ、何でもありません、ええと、ちょうど良くワインがありましたので、おいしくお肉をいただいてもらうために、ほら、こんなふうに……うふふふふふ!」
シェリーは狼狽の冷や汗を素っ頓狂な笑いでごまかしながら、あわてて小瓶をコップの中から拾い上げた。ぽたぽたとジュースの滴る瓶を、焼き肉大盛り鉄板の上で逆さまに振る。酒の濃い香りが一瞬で揮発して広がった。
「おおおおお!?」
ルロイが鼻をくんくんとうごめかせる。
「何か急にあまったるい匂いに変わったぞ!?」
どうやらルロイは気付いていないらしい。シェリーはほっと胸をなで下ろした。緊張でこわばった顔をほぐし、ぎごちなく微笑む。
「本日のメニューは、どんぐりの蒸しパンにはちみつ、おいもさんとひよこ豆たっぷりスープにたんぽぽサラダ、ベーコンときのこのやぎさんチーズクリームパスタ、食後にひまわりカフェオレです」
ルロイは調子を合わせた。
「トッピングにいのししの丸焼き! 大蛇の塩焼き! 地底湖で取ってきた巨大ロブスターのバター焼き! よし、シェリー、早く食おうぜ? ほら、座ろう」
ルロイが笑って声を掛ける。シェリーは浮き腰でそわそわとうなずいた。
「は、はい、ただいま……」
何食わぬ顔を装って、エプロンをはずし、席に着こうとする。
ルロイが陽気な廷臣のように近づいてきた。微笑みかける。
「お手をどうぞ、プリンセス・シェリー」
手を取ってかるく甲にキスし、正しい位置に導きながら、椅子をひいて座らせてくれる。
「我が食卓へようこそ。こちらへお座りください」
「ありがとう、ロード・ネメド。ご親切に感謝します」
シェリーは王女であったころを思い出し、典雅に微笑んだ。勝手につけた”月の民の王”を意味する称号で呼んで、くすっと肩を揺らす。
互いの気取った仕草に、ルロイとシェリーは吹き出した。
「さあ、食おうぜ!」
ルロイは跳ねるように自分の席に戻った。
「はい。では、お祈りを」
シェリーは眼を閉じ、手を結び合わせて胸に押し当てた。ゆっくりと息をつく。
「今日も一日、無事に過ごせましたことに感謝いたします。明日も今日とおなじように、平和で、幸せな一日でありますように。ルロイさんとずっと──」
眼を閉じると、ほっぺたに暖かな暖炉の熱を感じた。まるで、家族みたいだ、と思った。暖かさを求めて、みんなが微笑む場所。そんな優しい心象が頭をよぎる。
「いつまでもいっしょにいられますように。わたしたちみんなが、争い合うことなく、いつまでもしあわせでいられますように」
「わたしたちみんな?」
ルロイはシェリーがお祈りして終わるのを素直に待っていた。
「俺たちだけじゃなくて?」
「もちろん、村のみんなです」
あわてて言い足す。シェリーは何だかもう匂いだけでおなか一杯になったような気がして、思わず微笑んだ。
「はい、お祈りはこれでおしまいです。それでは、いただきます」
「うん、食え食え! めっちゃうまいぞ、この毒蛇!」
「ええええ毒蛇ですか!?」
「うまいぞ! 食うか?」
こんがり焼けた大蛇の頭がにゅっと突き出される。かぱ、とあごが開いて、牙がぎらっと光った。
シェリーは青くなった。
「い、いえ……結構です……毒蛇なんて食べたらおなか壊しちゃいます……」
ひきつった微苦笑を浮かべ、慇懃に辞退する。
ルロイはまずは最初に、やわらかく、甘く、そしてもっとも安全であろうと思われる部位を薄目にナイフで切り取り、シェリーの皿に取り分けた。
「えーと、一枚、二枚、三枚……十五枚じゃ足りない?」
薄切りのはずがいつの間にか段々に積み重なって丸いかたまりになりつつあるのを、シェリーはあわてて押しとどめた。
「……いいえ、もう少し減らして……半分……いえ、その三分の一。ありがとうございます」
「シェリーは小食だな。最近、りんごとかサラダぐらいしか食ってねえことない?」
「そんなことありませんわ。むしろ、ルロイさんが召し上がるのを見てるだけでこっちまで胸焼けしそうです」
ほんの少しずつ、小鳥が食べるような量のパンをちぎって、口へ運ぶ。
「心配だな」
ルロイはほっぺたにソースをくっつけたまま、もぐもぐしつつシェリーの顔をのぞき込んだ。
「もしかして、どこか具合悪いとか?」
「まさか」
シェリーは微笑んで頭を振った。
「ルロイさんと一緒にしないでください。すぐにおなかいっぱいになるだけですよ。それよりも、何ですか、ルロイさんったら。そのお顔」
シェリーは笑って顔をしかめ、ルロイのほっぺたに指先を伸ばした。
「そんなの後でぺろん、って舐めとけばいいよ……」
「いいえ、いけません。お行儀悪い。えっと、タオルタオル……」
いそいそと立ち上がって、タオルを取りに向かう。
ルロイはすかさずシェリーを追いかけた。背後から、ぱっと手首を掴む。
「って、きゃっ!?」
「舐めとけばいいって」
指先についたソースをぺろりと舌で舐める。シェリーはくすくす笑って身をよじらせた。
「きゃっ!? あっ、ああんっ、もうっ!」
「シェリーの指が一番おいしいかも」
手首を掴んでぺろり、ぺろりと舐め続ける。
「やぁんっ! もう、舐めちゃだめです、ルロイさんの手、ソースでべとべとじゃないですかあ……!」
ルロイは、シェリーに上から覆い被さるようにして、小指の先をくわえた。音を立てて吸うようにしゃぶる。
「大丈夫、一本ずつ、全部きれいに舐め取ってやるから」
「……ああんっ……ちょっ……いやぁんっ……! そんな、はしたない……」