クロイツェル2 石造りの奇蹟と薔薇のソロール

2 告白コンフェッシオ

 帝国国境にほど近い小さな街、セラヴィル。
 北方諸国へ向かう軍道沿いにある街だ。広大な森、良質の石切場を有することから、軍道や聖堂の補修を請け負う石工が多く住む職人の街として知られている。
 リヒトとロゼルは、ラルフの案内で下水道づたいに帝都を脱出したのち、帝都と前線基地間を日々往来する駅馬車に乗り込んでいた。
 ラルフには、アルトーニの紋章を入れたロザリンドの香り袋を持たせてやった。今はアルトーニ家の管理下にあるであろうモルフォスの主教館へ向かわせるためだ。
 手先が器用なら、貴族相手の仕事は引く手あまただ。カントリーハウスの大広間にはかならず時計があるし、金銀に宝飾をちりばめた懐中時計を壊して困っている愛人もいるにちがいない。文字通り、アルトーニの良き”指先”となれるはずだった。
 さすがに帝都の外までは手配書も回っていないらしく、連日連夜、ひたすら馬車に揺られる強行軍がつづく。
 乗客は外国の商人ばかりで、全員が全員ともぶしつけなほど陽気だった。
 深夜、馬車が駅に着くたび、全員が疲れ果てた泥のような顔で馬車を降りる。体力がある者はさらに飲み、食い、気力をなくした者はただただマントにくるまって眠る。
 異郷の神へ祈る者もいた。あふれんばかりの財宝、珍しい異国の商品を満載した巨大な帆船を操り、大陸を半周してやってくる外国商人だ。彼らには特例として信教の自由が認められている。帝国の威光に押された周辺国が、言語も宗教も文化も奪われ、なしくずしに属国化されてゆくのとは訳が違う。雲泥の差だ。
 セラヴィルに到着したのは、日暮れ間近な夕刻頃だった。
 南国の日差しに近いエルフェヴァインと比べると、灰色の街並みは陰気で薄暗い。毛の抜けたブラシを並べたような街路樹が街の半分を包んでいる。それでも、日の入り前の空は熔け落ちるようにまばゆかった。金色から紅へ、そして藍色へと移り変わってゆく。
「キョロキョロしてんな。姉ちゃん、セラヴィルは初めてか」
 浅黒い肌をした、赤毛の南国人が声を掛けてきた。
「聞きたいことがあったら聞きな。何でも教えてやるよ、このハイラムのローロ様がなァ? この街には石工のギルドがあるんだぜ? 石工だけじゃねえけどな?」
 きらめく黒い目が陽気にまたたく。だが今はその陽気なきらめきもいささかかすみがちだった。数日前から、左目の上に青あざができている。
「その眼はどうした」
「……何で一番聞いて欲しくないことをずばり聞くかな」
 ハイラムは南洋を支配する強大な海洋国だ。帝国が暗黒の内陸にどれほど版図を広げようとも、世界の航路図のほとんどは、ハイラムに牛耳られている。海を制する国は世界を制する。今はまだ兆しもないが、やがていつかは帝国もさらなる富を求め、黄金を求めて、外洋へとこぎ出してゆくことになるだろう。
 ローロは命知らずの冒険商人らしく、誰にでも愛想が良い男だった。のべつまくなしに話し掛けてきて、うんざりするほど空気を読まない。
 リヒトは素知らぬ顔で小首をかしげた。
「何でも聞けと言ったのはお前だ」
「くぅっ~! そのつれない仏頂面がまたたまんねえな……おっと、女扱いは御法度だったんだっけ」
 ローロはおどけたふうに口を手で塞ぐ。
 軍人の格好をした女など、傍目には異様に映るはずだった。だが、全員があえて口をつぐみ、内情に触れようとしてこないところを見ると、娼婦を変装させて都から連れ出し、こっそり身請けして田舎町に囲う聖職者など、案外珍しくもないのかもしれない。
「さてと」
 ローロは足下に置いていた巨大な荷物を担いだ。
「商売、商売、だ」
「市場に行くのか」
「ああ、噂によると、とんでもない代物を売ってるらしいからな、ここの市場は」
「おい」
 背後から暗い影がぬっと近づいてローロの背中を小突いた。巨体に突き飛ばされ、ローロは簡単につんのめった。
「滅多なことを口にするんじゃない」
 大男はじろりとリヒトを睨んだ。赤ら顔のいかつい顔立ち、肩に甲羅でも入っているのかと思うほど、ごつい体型をしている。ローロの連れらしい。不思議なことに、この男の口元近くにも青いあざがある。
 確か、昨夜眠りにつく前にはまだ、青あざなどなかった気がするのだが。
 いったいどうしたことだろう。リヒトは不審に思った。眉をひそめる。
 なぜか夜ごと、青あざを作った男の数が増えてゆく。それも判で押したように一人ずつ。
 まさか、青あざのできる奇病でもはやっているのか、と不安にかられたとき。
「そこで何やってる」
 ロゼルが駅馬車の事務室から出てきた。立ち話をしているリヒトを認め、大股に近づいてくる。
「あ、ロゼル……の旦那」
 奇妙に怯えた顔をしたローロが、揉み手摺り手でお追従の声を上げた。頬に緊張した笑いの仮面が貼り付いている。
「フラター・ロゼルと呼べ。下品な呼び方をするな。盗賊じゃ有るまいし。それとも”まだ”何か用か?」
 ロゼルがなじる。威嚇まじりの、つけつけとした言い方だ。疑り深いまなざしでローロを睨む。
 ローロは連れの大男を肘で突っついた。赤ら顔の大男までもがロゼルに怯えた目を向ける。
「い、いえ、別に何も。おい、早く行こうぜ」
「そ、そうだな」
 逃げるように後じさる。商人たちはあっという間に姿をくらましてしまった。
 去ってゆく商人たちを見送りながら、ロゼルは苦々しい表情で手袋を外した。
「あのちびと何を話してた」
 不機嫌な声音で問い糺される。なぜだか知らないがロゼルは腹を立てているらしい。リヒトは困惑の眼をロゼルへ向けた。もしかして、ロゼルの機嫌を逆撫でするような何かをしてしまったのだろうか? やましい覚えは全くないが……。リヒトは肩をすくめた。
「別に。ここの市場の話をしただけだ。何でも、ハイラムの商人が噂を聞きつけて見に来るような名産品があるらしい」
「聞いたことないな、そんなもの。セラヴィルは石工の街だ」
 ロゼルははずした手袋の下の拳をこすった。冷たい空気が肌に触れ、息が白く立ちのぼる。
「まったく、油断も隙もない」
「どうかしたのか?」
「あいつらは虫が好かん。こそこそと探り回っているような目つきが良くない。ハイラム商人だとか自称していたが、本当はどうだか。怪しいものだ。もしあいつらが商人の皮をかぶった海賊だとしても、全然驚かんぞ」
 商人たちが去っていった方角を睨んで、苛立たしげに言う。
「考えすぎだろう」
 リヒトはロゼルの心配性を笑い飛ばした。ロゼルは嘆息する振りをした。手袋をはめ直す。
「呑気でいいよな、貴様は。こっちはエルフェヴァインを後にしてからというもの、からきし眠れていないというのに」
「なぜだ? 寝られなかったのか?」
 リヒトは少し心配になってロゼルを振り返った。ロゼルは明らかに眼の下に黒いくまをつくった顔で苦笑いする。
「三日三晩どころか五日間ずっと寝ずの番をさせられて眠れるわけないだろ」
「何の見張りだ?」
 リヒトはきょとんとして聞き返す。
 ロゼルは睡眠不足で今にも上の瞼と下の瞼がくっつきそうな顔をしながら、長躯をさらに伸ばして、背伸びとあくびを同時にした。よほど眠いらしい。
「いいよ、別に。貴様には関係ない。それよりセラヴィルに来るのは初めてだろう。案内してやる」
 ぽんと肩を叩かれる。
 関係ないと突き放されては、うなずくほかなかった。あくびをするロゼルの背中を、ぼんやりと見送る。
 この先もずっと、こんなふうに手袋越しでしか触れ合えないのか、と思った。相手が壁の向こう側にいると分かっているのに、声も上げず黙って膝を抱えてうずくまっている子供のようだ。そのくせ、意地に曲がって、自分は迷子などではないと思いこもうとしている。
 ロゼルが振り返った。心なしか苦笑いを浮かべている。その横顔は、暮れなずむ夕暮れに照らされ、赤く染まっていた。
「何ぼんやりしてる。行くぞ、リヒト。さっさと来い」
「あ、ああ、すまない」
 リヒトはロゼルの後を追った。
 街は、石切の職人たちで賑わっていた。一日の仕事を終えた石工たちがエールのジョッキを傾け、陽気に飲んだくれている。リヒトはロゼルとともにあちらこちらと見て回った。
 緑なす森の向こうに、時を経た古城が佇んでいた。丘の袂には聖教会の小さな聖堂があり、その奥には主教の館が築かれている。白と茶煉瓦のくっきりとした色合いが美しい。
 リヒトは無言に耐えきれず、話を振った。
「セラヴィルの後任主教はもう決まったのか」
「まだだな。今は区担当の大主教であるトルツィオーネ座下が兼任している状態だと思う」
「フラター・カートスは、この街の領主も兼ねていたという話だったが」
「それはたぶん、息子が継ぐだろう。アルフレッドとか言った……若造だ」
「知り合いか」
「……直接の知り合いというわけじゃない」
 あまり答えたくなさそうにぼそぼそと言う。ロゼルは話を切り上げた。
「そんなことより、宿を取ろう。やっぱり眠くて死にそうだ」
 駅馬車の事務所で在処を尋ねた宿は、すでに満室だった。代わりにと紹介してもらった安宿にも空きはない。聞けば、切り出した石材の買い付けに商人が集まっているのだという。領主不在のため、なかなか石を切り出す許可がもらえずにずっと足止めされている状態とのことだ。
「……くそ、巡りが悪いな。どこでもいいから泊まれる場所はないのか」
 ロゼルは足元の石を蹴飛ばした。
「聖堂の宿坊を借りるというのはどうだ?」
「借りられるものか」
 ロゼルは一笑に付した。
「一歩聖域内に入った瞬間、神の怒りに打たれて倒れるに決まってるだろう」
「どこかあてはないのか?」
「分からないやつだな。あてがあっても、おいそれとは顔を出せないんだよ」
「なるほど。女を連れ歩くのは体裁が悪いというわけだな。分かった。さっさと売春婦を相手に男らしく欲望を発散させてこよう。そうすればまた男の身体に戻れるかもしれない。以前の私に。お前に抱かれる前の、ただのヴェルファーに」
「できもしないくせに」
 ロゼルは確信犯的に油断したあくびをした。リヒトは肩をすくめた。図星だ。
 目の前に広場が見えた。もう日が暮れかかっている。水の流れ出る音が聞こえた。噴水の蛇口を抱く人魚の石像が影絵となって夜に浮かび上がる。
 街の明かりが、ちらちらとゆらめきはじめた。
「私が部屋を借りてこよう。その間、そうだな、あの噴水の縁で待っていてくれないか」
「いいよもう野宿で」
 ロゼルは拗ねたような口ぶりで言った。
「疲れてるんだろう、無理するな。ちょっと待ってろ」
「別に疲れてなんかない」
「いいから黙ってそこに座れ。そんなこと言って、眠すぎて全然眼が開いてないじゃないか。前見えてないだろ」
「そんなことはない」
 ロゼルはくわっと白目を剥いた。そのままとろとろと瞼が下がってゆく。
「俺から勝手に離れるな。またにょばい掛けにゃれたら困るだろ……」
「何を言ってるんだ? いいから、ほら、こっちに来い。もうぐだぐだだな。放っておいたら噴水に頭突っ込みそうだ」
「うむ、大丈夫ら」
「ろれつ回ってないぞ」
 リヒトは千鳥足で歩くロゼルの大柄な身体を抱きかかえた。噴水縁のベンチに座らせる。
「大丈夫か?」
「大丈夫ひゃあ!」
 裏返った笑い声とともに、リヒトはぐいと引き寄せられた。くずおれるように二人一緒にベンチへ倒れ込む。
「うわあっ!」
 リヒトは冷や汗まじりにロゼルを抱きとめた。重みがぐっとのしかかってくる。ロゼルがベンチから転がり落ちないよう支えるだけで精一杯だ。
「重い!」
「あれえ、このベンチ、やたら柔らかいなあ」
「私はベンチじゃない! こっ、こら、寝ぼけるな。重い!」
 ロゼルは強がりながら大あくびをした。瞼が下がってゆく。
「寝てなんかないからな……リヒト……むふふふ……!」

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