クロイツェル2 石造りの奇蹟と薔薇のソロール

2 告白コンフェッシオ

 シャワーを浴び、香水で身体を浄めたあと。ロゼルは腰にタオルを一枚巻き付けただけのだらしない格好でうろついていた。
「いつまで素っ裸でいるつもりだ。原始人か。シャツを着ろ、はやく。疲れてたんじゃないのか」
 リヒトは夜着のナイトシャツを手に持ってロゼルを追いかけた。ロゼルは素知らぬ顔だった。濡れた金髪をくしゃくしゃとタオルで拭いて、首にひっかける。
「どうせ脱ぐんだからわざわざ着る必要ないだろ。二度手間は嫌いだ」
「はしたない真似をするな。貴族のくせに。それともわざわざ着せてやらないと着ないのか?」
 子供じみた反論をされ、つい声を尖らせる。
「ああ? 着ないから着ないと言ってるんだ。むしろ貴様こそ脱げ」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。断る」
「馬鹿とはなんだ。俺がわざわざ脱げと言ってるのに、脱がないっていうならそれこそ強引に脱がしてやろうか?」
「冗談はやめろ。眼が怖いぞ」
「決めた。脱がす」
「ばか、近づくな……!」
「あはははリヒトくぅ~ん逃がさないぞぉ~~?」
「寄るな変態! あ、うわっ……!」
「ふっ、捕まえた。ちょろいな。そんなもの着てるからだ。さっさと脱げ。さもないと……ふふふふふふふ……!」
 逃げ道を断たれ、壁に押しつけられる。
 カーテンも、窓も、すべて開け放してあった。窓辺には青白く弦月の影が落ちている。
 燭台の火はとうに冷たく落ちている。
 手回しバイオリンハーディ・ガーディの陽気な調べが伝わってくる。弾き語りの歌が響き、笑い声が続く。月が半天にかかる時分になっても、まだ飽きたらず歌い踊っているのか。
 ロゼルはわずかに肩をそびやかせた。うっすらと嬉しそうに笑う。
「今夜は久々に”リヒト狩り”が楽しめそうだな……?」
 リヒトの顔の横に手を付いて、物憂げにもたれかかる。
 ねずみをつつき回してもてあそぶ猫のようだ。リヒトは嘆息した。
 もしかしたら、ロゼルには”逃げる者を追う性癖”があるのかもしれない。厄介な趣味だ。本人だけが他愛ないと思っている嫌がらせの数々にも、それで合点が行く。
「全裸で私を追い回す前に少しは自制心を持て。この変質者。自分の生き様を鑑みようという気はないのか」
「ないね。俺のたまわく、おっぱいを前に自らを省みる、すなわち男に非ず」
「そんな慣用句はない」
 言葉ですり抜けようとしたリヒトのシャツのボタンを、ロゼルは片手で器用にはずした。胸元がはだけられる。
 ロレイア人特有の肌色──銀砂を散らしたような、なまめかしい艶があらわになる。リヒトはちいさく喘いだ。追いつめられる。
「口ではそう言ってても、どうせ逆らう気はないんだろ?」
 腰を抱かれる。肌が触れ合った。青い瞳が微笑混じりにのぞき込んでくる。胸の奥の深いところが、細い金属糸をよじり震わせたように鳴り響いた。
 さやかに白く月風がなびいて、裸になったロゼルを斜め上からなめらかに照らす。
 心が吸い寄せられる。揺れ動く。今の自分にはもう、傍若無人なロゼルの振る舞いをかわす余裕がない。
「お前はいつもそうだ。いつだって私の都合などおかまいなしに、我が儘で、自分勝手なことばかり言って……好き放題に私を翻弄する」
「分かってるじゃないか。伊達に長年腐れ縁をやってないな」
 ロゼルは鼻先で笑った。断られるわけがないと思っているらしい。
「性悪聖職者め。いい加減にその性格を直せ」
「無理だね」
「甘えてるだけだ」
「貴様にしか我が儘は言ってない」
 リヒトは、ぞくりとこみ上げてきた気持ちを殺した。わざと小馬鹿にしたような眼でロゼルを見やり、冷たい笑みを浮かべる。
「そんなにがっつくな。青二才じゃあるまいし。突っ込める穴さえあれば誰が相手でも良いのか」
 ロゼルは笑ったような困ったような歪んだ顔をした。
「さすがに聞き捨てならないな。侮辱のつもりか?」
「悪いが、私はお前ほど性欲を持て余しているわけではないんだ。身体の大半が女だからって、心まで女になっているとは限らない。こんな身体では他の女を抱くわけにはいかない、っていうだけのことだ。やりたければ他の女の所へ行け。ここは娼館だ、すぐそこにいくらでも抱かせてくれる女がいるだろう」
 心を押し殺し、にべもなく言う。
「何も好きこのんで、私のような異形を相手にすることはない。何度も言うが、私は男なんだぞ」
 リヒトは興ざめした青白い微笑を浮かべた。感情を殺すのには慣れている。
 本当の気持ちは、胸の奥底に閉じこめて、二度と外へ出てこないよう厳重に鍵を掛けた。こんな異形の身体をしていながら、恋する女みたいにふらふらと男によろめくなどもってのほかだ。女々しいにもほどがある。
 触れられて、抱かれて、ぬくもりを感じた。だがそれは愚かな身体が性行為と愛を取り違えただけのことだ。そんなものは愛でもなんでもない。ただのまやかし。ただの肉体的欲求。ただの快楽だ。
 ロゼルは眉間に険しいしわを寄せてリヒトを睨んだ。
「他の女って……何でわざわざ他の女を抱く必要がある?」
「ヤるだけなら別に誰でも良いんだろ」
「そうやって、当たり障りのない、気のない素振りをして俺を苛立たせるのが貴様のやり口か?」
 リヒトは金色にちらちら光る眼でロゼルを見上げた。こんな不毛な言い合いをしたいわけではない。さすがにうんざりしてくる。
「むかつくのは勝手だが、心配させられるこっちの身にもなれ。さっきまでベンチから転がり落ちそうだったくせに、何ですっかり目が冴えたような顔をしてるんだ。とにかく、さっさと寝ろ。子供じゃ有るまいし、寝かしつけるのに苦労させられるとか……」
 ロゼルはむすりと唇を尖らせた。
「せっかく膝枕で良い気持ちだったのに、貴様がおやすみのキスをしてくれないからだ」
 リヒトはぎくりと首をちぢめた。たちまち見とがめられる。
「あれ? 何だその顔。ホントにキスしようとしてたのか?」
 ロゼルはふいに破顔した。
「あれはてっきり、夢だとばっかり思ってたぞ。良い気持ちで寝てたら貴様がこう、上から……覆い被さってきて、耳元でフンフンと愛をささやいてきてだな……せっかく天にも昇る気持ちだったのに、いきなりぴしゃんと頬をひっぱたきやがって」
「そんな事実はない」
 リヒトは今にも蒸気が噴き出しそうになった赤い顔をそむけた。ロゼルはわくわくと舌なめずりしかねない表情を浮かべた。まとわりつくようにして顔をのぞき込んでくる。
「ん? どうした? 図星か?」
「うるさい。そんなことどっちでもいい。とにかく寝ろ。明日に差し支える」
 何かにかこつけ、すり寄ってこようとするロゼルをつっけんどんに押しやる。
「分かったよ」
 ロゼルはぶすりとむくれた声を上げた。くるりと背を向け、ベッドへとすたすた歩いて行く。
「フン。寝るよ。寝りゃあいいんだろ」
 そっけなく吐き捨てられて、内心リヒトは狼狽えた。だが、ほっと安堵したのも事実だった。拗ねられようが何しようがとにかく寝てくれさえすればいい。そうすればロゼルは疲れをいやせるし、自分は──身体の奥に点いた欲望の存在に気付かれずに済む。
「……最初からそうやって素直に従ってくれれば、いちいち喧嘩せずに済むんだ」
「それはこっちのせりふだよ」
 ロゼルはぴったりと二つ寄せてあった枕をわざと引き離した。振り返りもせずに不機嫌な声で尋ねてくる。
「今夜はどっちがベッドで寝るんだ? 俺か? 貴様か?」
 声に潜んだ冷ややかさに、リヒトは首をちぢめた。
「私は寝ずの番をする。ベッドはお前が使え」
「分かった。じゃあ、貴様の枕はいらないな。持って行け」
 振り返りざまに、ひょいと羽枕を放り投げられる。
「いきなり投げるな、馬鹿……」
 受け止めようとあわてて手を出す。ロゼルが不意打ちのように傍らへ動いた。
「隙あり!」
 腕を掴まれ、ベッドへと引きずり込まれる。身体が傾いた。勢い余って二人一緒に倒れ込む。
「っ……!?」
「捕まえた」
 ロゼルは肉食獣のように跳ね起き、リヒトを強引に組み敷いた。
「何をする!」
 反射的に足を蹴上げる。
「反応が鈍いぞ」
 あっさりと攻撃をかわされる。ロゼルはからかうように笑った。ベッドに身体が沈んだ。スプリングが甲高く軋む。息が詰まった。蹴り伸ばした足を膝の所でがっちりと抱えられ、上から体重をかけられる。重みに耐えかね、リヒトはうめき声をあげた。
「くっ……!」
 動けない。影が覆い被さってくる。
「良い格好だ」
 青い眼が、にんまりと悪辣にほそめられた。

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