クロイツェル2 石造りの奇蹟と薔薇のソロール

2 告白コンフェッシオ

 ロゼルは後ろから腰を鷲掴んだ。股間を粗暴にまさぐる。
「こっちは出すな。最後まで女として抱かれろ」
 先走りのぬめりが滴る性器の根本を、強く圧迫する。
「いや……ぁ、ああ……出させて……ロゼル……!」
「いたぶればいたぶるほど、ぞくぞくする声で泣くよな、貴様は。でも駄目だ。白状するまでは許さない。もう一度聞くぞ」
 耳朶をぎりっと噛まれた。従属の疵痕をつけられている、と思った。ロゼルに身も心も支配されてゆく印。
「大逆王リドウェルの死の真相を知って、貴様はそれをどうする気だ」
 よがり、悶える声の背後から、身の毛もよだつ声が忍ぶ。
「ロレイアの秘密を、兄の死を、国の滅亡を、自分自身の真実さえ父上にゆだねて、それで満足か。父にとって俺がそうであったように、自らが誰かの目的を果たすためだけに使われる存在であればそれでいいのか。貴様は、何だ?」
「ううん……ぁ、あっ……もっと……!」
 冷然とした吐息が背筋をつめたく這う。リヒトは呻いて甘え、無意識に快楽をねだった。
 嵐の中、次々に吹き飛ばされてゆく木の葉のなかで、最後に一枚だけ残された理性。それすらも快楽の突風に吹きあおられ、剥ぎ取られてゆく。
「答えろ。貴様は、何のために、誰のために生きる?」
 支配されてゆく。頭の中で光が飛び散った。悲鳴が響き渡る。
 快楽のため……?
 ロゼルが身体の中を突き上げた。目がくらんだ。奥の、その奥にまで犯され、腰が浮くほどかき回される。そのたびに自制心が崩壊した。
 愛のため……?
 汗ばんだ二匹の獣のように、互いにもつれ合う。こすりあげられて、喘いで、発情した雌そのままの姿で尻を振る。
「ぁっ、ううぅんっ……すごい……」
 みだらな格好で、後ろから突き立てられる。充血した陰部をぐちょぐちょに濡らし、快楽にのけぞる。ロゼルに犯され続ける自分の姿に、歓喜の声を上げる。
「あふぅん……、あ、あ……」
 乳房が狂ったように揺れる。悲鳴が飛び散る。
 押さえつけられ、股を強引に開かされて、腰を使われる。首の据わらない赤ん坊のように、全身が卑猥に揺れ動く。
「して、もっとして……ぁっ、いやっ、ああ……!」
 息も絶え絶えに喘ぐ。悶える。
 白い光が目の前を埋め尽くす。
 子宮を突き上げられるたび、歓喜に泣きうめく。悦びに全身が紅潮する。自分が、自分ではなくなる。
 自分のため……?
「じゃあ、俺の問いに答えろ」
「いや……それは……言いたくない……」
 ロゼルの荒々しい吐息が首筋に吹きかかった。
「強情な奴だな。いったい何に囚われている。過去か。自分自身か。運命とやらか」
「うう、ん……もっと……ぁっ、あ、中で動いてる……ぐちゅぐちゅ言って……すごい、ぁぁ……ううん……!」
 身体が、破裂しそうに熱い。
「ぅうん気持ちいい、もっと……突いて……奥まで挿れて……ぁ、あっ……!」
 男に抱かれたらこうなることは分かっていた。両性具有の──男と女の、背徳と淫乱の毒が崩壊して、沸騰したように全身をのたうちまわっている。
 とろとろに濡れた熱い快楽があふれ出る。
 あえぎ声が揺れ動く。悲鳴がほとばしる。押し広げられた部分に、欲望を突き入れられる。
「ああ……出して……全部……ぁ、あっ……!」
 ”溶け混じりたい”。”ひとつになりたい”。”自分でなくなってしまいたい”。
 なぐさめは身体だけでいい。もし身体以上の関係になってしまえば、この身体を浸す闇の冷たさでロゼルを苦しめることになる。
 幼い頃に見た記憶が、自我をがんじがらめに縛り上げている。
 ──あれは、何──
 横たわっている。無造作に積み重ねられている。闇の奥で、ぶらり、ぶらり、揺れている。想像を絶する異臭を放ち、どろどろと溶け崩れている。
 ──こわい──
 誰かが微笑んでいる。鏡の向こうから手招きしている。
 ──どうして、殺すの──
 蔑みの黒い光が差す。微笑みが見下ろしている。生きるためだよ、とささやく。
 さあ、おいで。赤い手が差し伸べられる。黒い瞳の奥に、したたるような罪の光がまたたいている。鏡に映る漆黒の紋章。
 ──あなたは誰?──
 忘れたのかい? ぼくだよ、クロイツェル。大丈夫、怖がらないで。優しい声が語りかけてきてくれる。ねっとりと甘くしたたる何かを、舐めさせてくれる。赤いしずく。甘いしずく。おいしい──
「……イく、イかせて、ロゼル、頼む、イかせてくれ……ああ、もうだめ……!」
 抱え込んだ重圧も、背負い込んだ罪もすべて投げ出して、逃げだしたい。意識がなくなるまで狂いたい。壊れたい。孤独を忘れたい。
 何も考えられない。リヒトは火照った喘ぎを漏らした。
「……全部中に出して……! ああ、早く、中が、いやああ、ぐちゃぐちゃ……お前の、ぁぁ、もっとして、嫌だ、こんな身体は嫌……ぅぅんっ……!」
 泥沼の自分自身から目を背けようとして、快楽に溺れる。
 罪のすべてを明かし、死の慈悲を請いたい。愛されたくない。愛したくない。失うから。愛しているから。
「……あああ、そこ、もっと……もっと、ぁぁ、あっ、あ、あっ……!」
 快楽のくびきに繋がれたまま、身体が跳ねるほど突かれ続ける。
「自分を否定するな、リヒト」
 荒ぶる吐息が吹きかかる。
 互いに揺れ動く悲鳴が、絶頂の喘ぎに飲み込まれてゆく。
「感じてるなら声に出せ。俺に身をゆだねろ。抗うな」
「ぁ、あ、いい……ひくっ……も、う……だめ……ぁぁ……!」
 声がうわずった。
 深入りしてはいけない。巻き込んではいけない。罪にまみれたこの身体に潜む闇に触れさせてはいけない。さもないと──
「馬鹿。俺が言ってる声は、そんな”泣き声”なんかじゃない」
 ロゼルは深い吐息をついてリヒトを抱き寄せた。柔らかすぎる身体の向きを変えて、ふたたび、見つめ合う形で覆い被さってくる。
「そんなにつらいか、リヒト。俺に抱かれるのが」
「……ううん……イキそう……」
 身体と身体がぴったりと寄り添う。熱い。触れる肌が溶けてしまいそうだった。
「イかせてやろうか?」
 からかうような、甘い吐息が唇をふさぐ。リヒトはうっすらと眼を開けた。ロゼルを探す。やわらかな金の髪が頬をかすめた。
「……う……ん……ロゼル……いかせて……」
 充足しきった吐息をもらす。鼻にかかった、甘ったるい声がかすれる。
「その代わり俺と一緒にイくんだぞ?」
「……それは……嫌だ……私は……」
 リヒトはいやいやをするかのように身をよじらせた。さもないと──いつかこの身に宿した毒で、ロゼルを苦しめることになる。
「いい加減、素直になれよ」
 ロゼルは薄暗く笑った。
「過去に囚われるのもいい加減にしろ。そんなに俺に捨てられるのが怖いか? 本当の自分を知られるのが怖いか?」
「……ロゼル……!」
 身体が、びくりと震える。
「あんまり俺を見くびってくれるなよ。たとえ神が許さなくてもこの俺が赦す。貴様の血も、肉も、すべて受け止めてやる。”告白コンフェッシオ”しろ。真実の名のもとに」
 氷を宿したロゼルの声が命じた。冷徹な宣託のように響く。
「恐れるな。あるがままの己を受け入れろ。自己を否定するな。痛みも苦しみも欲望も、愛さえも、それが貴様を苦しめる毒杯となるなら、今、ここで俺が全部飲み干してやる。俺が、貴様を愛してやる。俺を、信じろ──リヒト!」

 扉が外からノックされた。控えめな音だ。ドアを開けた取り次ぎが来訪者の名を告げる。
「通してくれ」
 取り次ぎが下がる間もなく、廊下に立っていた黒い衣の男が部屋に滑り込んできた。
「こんな遅くに申し訳ない」
「いや、来てくれて嬉しいよ。久方ぶりだなトルツィオーネ。こっちに来ているとは知らなかった」
 執務机に向かっていたアルトーニ枢機卿は、突然の来訪者に眼をほそめた。
 大聖堂の数ある部屋の中で、もっとも後ろ暗い虚聞に取り巻かれた一室。鉄と血の臭いがするとささやかれる”ロザリンドの間”。奥の間に隠された扉の向こう、壁の狭間には人知れず作られた隠し通路があり、異端の罪を犯した咎人が堕とされる永遠の牢獄”象の檻”へと繋がっているという──
「パーレは今頃忙しいんじゃないかね。そろそろ羊毛市の立つ季節だろう」
「それどころじゃない。”あれ”以来、もう何度呼ばれたか分からないぐらい来ているよ」
「まだ片が付かないのか」
「付くわけがない。貴公が何もかも埋めてしまったのだから」
 黒い外套をまとった男は、肩に着いた湿り気を払い落とした。上着を脱いで、腕にかける。黒衣の下から現れたのは金の縁取りがされた深紅の聖衣だった。白く曇った眼鏡をかけている。
 アルトーニは書きかけの手紙を傍らへと押しやった。ペンを置き、如才ない笑みを浮かべる。
「早々に埋めなければ間違いなく広がっていたぞ。噂も、”奇蹟”も。今のところまだ次の犠牲者は出ていないのだろう」
「私の耳には届いていないな」
 トルツィオーネはかすかに震えた。眼鏡を外し、神経質な指先で曇りを拭って、再びかける。眼鏡の下の眼は糸のように細かった。
「だが、もし、”誰かの口”からあれが漏れれば……」
「漏れることはない」
 アルトーニが断定する。トルツィオーネは疲れた表情を浮かべて古い友を見やった。探るような視線が行き交う。
「国家の名の下に人を殺すのも神の名の下に人を殺すのも貴公にとっては同じ栄光、同じ勲章、というわけか」
「勘違いされては困るな、トルツィオーネ」
 アルトーニは白い手袋をはめた手を優雅に舞わせた。
「神が、神を信じる者に対して、”人を殺す”ことなどお許しになるわけがないだろう。私は人を殺さない。私は人を裁かない。裁かれているのは”背教の異端者”。人に非ざる者だよ。あれらは罪を犯して罰せられるのではない。”生”そのものが”罪”であるのだからね。まあ座ってくれ。ゆっくりと話がしたい。メゾネアからの返事はどうだったかな?」
「まだ来ない。あいつらは臆病者だ。期待できそうもないな」
 寒々とした笑みが取り交わされる。
 壁に掛けられた銀のタペストリには、聖刻文字が刺繍されていた。きらめくビーズが祈りの句を彩り、神の栄光に華を添える。
「珍しい明かりだな」
 トルツィオーネは勧められた長いすに腰掛けた。机の上には、変わった形の明かりが置かれていた。丸いガラス球に閉じこめられた不思議な七色の光が、あわいさざなみの陰影を描き出している。ゆらり、ゆらり、実態のない光だけが揺れる。
「光る石だ。ロレイアの特産品だよ。普段は倉庫の奥深くに仕舞ってあって、めったに表へ出すことはないんだがね」
「貴公の推薦状を見た」
 トルツィオーネは余計なことを言わず用件だけを切り出した。行動のすべてを監視されていたと分かってなお、無駄な社交に時間を費やす必要はない。不思議な光がトルツィオーネの頬を青く照らす。
「信用できるのか、あの男」
「名前を書いた覚えはないが」
 アルトーニは手に握りしめていた絹の香り袋を机に転がした。ロザリンドの香りがほのかに立つ。匂いはほどんどしなかった。それどころか下水の臭いが混じっている。
「確かに貴公が手紙に名を書くことはないだろうが」
 トルツィオーネは苦々しく付け加えた。
「だが、ぬぐいようもない生臭さだけはごまかし切れん。あれぞまさしく貴公の手になることの証だろう。”狐”の血は争えん」
「人聞きの悪いことを。異端は公開の火あぶりか絞首刑と決まっている。血の臭いなどするわけがない。それとも、貴公は、それほどまでに私の手が血に汚れていると言いたいのかな」
 大聖堂の地下に広がる闇は、獄死する罪人の目からこぼれる血で足が滑るほどだというのに。
 トルツィオーネは口を閉ざした。揺らぐ青い光を見つめる。アルトーニは光に染まったトルツィオーネの横顔から視線を床へと落とした。
「確かに、ろくでなしだと聞いている。”父親”に似て、救いようのないクズだと」
 机に肘を突いて指を組み合わせ、改まって言う。狡猾な笑みがつめたく頬を染めた。
「だが、”狼”としては、あれがもっとも適任だ」
「なぜ」
 トルツィオーネは声を低くした。張りつめた沈黙が流れる。アルトーニ枢機卿は構わずに続けた。
「クズだろうが男色家だろうが構わない。任務さえ果たせば異論はない。憎悪はおそらくもっとも良い手向けとなろう。好きなように泳がせてやれば良い」
「そういう意味ではない。追われているのは貴公の実の息子……」
「笑止」
 アルトーニは抜きはなったサーベルのように微笑んだ。凍り付くような笑顔だった。ぞくりと空気が冷える。トルツィオーネは黙り込んだ。
「よもや、この私が逃走した背教者に情を掛ける、とでも?」
 一語一語、相手に最大限の影響を及ぼそうとするかのように、ゆっくりとつぶやく。
「世界とはそもそも規律正しく緻密、均質、かつ完璧なものだ。この世の理を乱す異端者は地の底までも追いつめて駆逐されなければならない。世界をあまねく信仰の光で満たすこと、まつろわぬ闇を焼き尽くすことが異端審問官たる私の勤めだ。信仰を捨てることは神と聖教会に刃向かうこと、聖教会に刃向かうことはすなわち国家と皇帝に刃向かうことだ。帝国は神の御心とともにある。神は二心を好まれぬ。服従こそが民衆の美徳だ。聖職者も例外ではない」
 トルツィオーネは目をそらした。顔の筋肉が戦慄のかたちにこわばる。
「セラヴィルには別れた妻女どのも居られよう」
「別れたのではないよ。私と同じく、あれらもまた神に供物として差し出されたのだ。だいたい、男にないがしろにされ、修道院で余生を過ごす貴族の女など珍しくもない。それこそ、掃いて捨てるほどいるのだからね」
 アルトーニは微笑んだ。まだ、手にロザリンドの香り袋をもてあそんでいる。手慰みにしては執拗な仕草だった。
「それでもなお真実を恐れるならば口を塞げばいい。我々は一蓮托生だ」
 トルツィオーネはちらりとアルトーニを見やった。
「ずいぶん饒舌だな。なるほど、貴公にもまだ一抹の良心が残っているというわけか。解き放った”野獣ども”の心を粉々に打ち砕いて奪っておきながら、自分にだけは希望を残す。哀れなことだ」
 アルトーニは一瞬黙り込んだ。
「そう、哀れ。だがそのおかげで我々は神の名の下に手を携えることができる。感謝してもらおう」
「だが、ネロは──」
「貴公が引き立ててやっているあの参事官か。もちろん私も彼には期待しているよ。彼なら良き主教、神の忠実なるしもべになれるだろう。もし貴公が望むならば、フォルム・リピトゥルの女子修道院長宛に、彼を”支持”するようにとの口添えをしても良いぐらいだと考えている。もちろん、彼らに関する、いささか聞き捨てならない訴えのたぐいがまかり間違って私のもとに届けられたりしないことが何よりの前提だけれどもね。さて、どうしたものか……切り捨てるなら早いに越したことはない」
「もういい。分かった。貴公の推薦通りにしよう」
 トルツィオーネは総毛立つ青い顔をそむけた。言葉もなく立ち上がる。
「もう帰るのか? ゆっくりしていけばどうだ」
 アルトーニは素知らぬ顔で引き留める。トルツィオーネは取り合おうともしなかった。
「この部屋は薄ら寒くて落ち着かない」
 アルトーニは平然と肩をすくめた。
「送っていこうか」
「結構。心配せずともまっすぐ帰る」
 トルツィオーネが立ち去ったあと、アルトーニは手にしたロザリンドの香り袋に鼻を寄せた。
「確かに臭うな」
 鼻をゆがめてつぶやく。
「誰かいないか」
 取り次ぎが顔を出した。無言で命令が下されるのを待っている。
「追え」
 アルトーニは顔も上げずに命令した。鋼色の瞳が、研ぎ澄まされた刃のようにゆらめく。
 取り次ぎの男は一礼して立ち去った。音もなく扉が閉まる。静寂が戻った。
「吐き気がする」
 机の上の手紙を見つめる。数字ばかりが並んでいる手紙だった。アルトーニは表情一つ変えず、手紙を折りたたんで封をした。

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