クロイツェル2 石造りの奇蹟と薔薇のソロール

5 ハイラムカーニバル

「お祭り?」
「こんな騒がしい祭りがあるかよ」
 ロゼルとリヒトは雁首そろえて窓から頭を突き出した。人寄せの音楽が鳴り響いている。やかましいことこの上もない。この混雑はどうやら野次馬が騒音に呼び寄せられたせいらしかった。後から後から、続々と押し寄せている。
「何だあれは」
「……サーカスか?」
 広場の中央に、たまねぎドームを思わせる極彩色のテントが見えた。
「えっ、サーカスですって?」
 アンジェリカはきらりと眼を輝かせた。もはや心ここにあらず、うずうずと腰を浮かせている。ロゼルは首を振ってアンジェリカを押しとどめようとした。
「いけませんよ姉上、人混みの中は危険……」
「何ですって!? いけないわ、ただちに調査を開始しなければ!」
「は?」
 ロゼルがぎくりと顔を上げたときにはもう、アンジェリカは馬車の扉をぱあん、と開けはなっていた。
「あっ、見て! これは何?」
 高々と空を指で指し示す。
「な、何です……!」
 つられてロゼルは上空を振り仰いだ。その顔に、頭からヴェールがかぶせられた。
「うわっ」
「答えは右手の人差し指でした! やーいロゼルのばーかばーか!」
 ロゼルがヴェールにからまってじたばたする隙に、さっそうと馬車から飛び降りる。修道服の裾がふわりとふくらんだ。
「しまった、逃げられた! 姉上、お待ちくださ……」
 ヴェールで前が見えないのにも関わらず、無理に後を追いかける。
「ぐえっ!」
 天井におでこをぶつける。
「では後ほど駅で落ち合いましょ」
 アンジェリカは脱兎のごとく駆け出した。すたこらと消え失せる。笑い声があっという間に人混みへと飲み込まれた。
「ちょっ……! お待ちください姉上、あっ痛っぐはあっ!」
 手を伸ばすも届かない。勢い余って足を滑らせ、でんぐり返って転がり落ちる。
「喜劇役者になれるぞ」
 リヒトはあきれて言う。ロゼルは起きあがろうとしておでこを押さえた。涙目でたんこぶを押さえ、わめき散らす。
「まったく、何てじゃじゃ馬だ。お転婆にもほどがある」
「おおむね同意」
 リヒトはポケットに手を突っ込んだ。邪魔なロゼルを踏んづけながら悠然と馬車を降りる。
「俺を踏み段扱いするな。ちくしょう、踏んだり蹴ったりかよ!」
「踏みはしたが蹴ってはいない」
「そもそも踏むな!」
「踏まれる位置にいるお前が悪い」
 四方へ眼を走らせる。人々の隙間から一瞬だけ、跳ねっ返りの銀髪が垣間見えた。ロゼルが腕を振り回した。やけくそで怒鳴る。
「逃がすな、追え!」
「了解」
 アンジェリカの向かった方向へと突き進む。
「どこだ?」
 ロゼルは焦って周囲を見回した。手をひさしの形にかざし、目をこらす。見渡す限り、人の後頭部しか見えない。
「くそ、見失った。何て逃げ足の早さだ。昔からそうなんだ。いつも悪戯のあと、俺だけが取り残されて家庭教師にがみがみ叱られて。なのにそのころ姉上は自分の部屋で涼しい顔して俺の分までおやつ食ってたりしてるんだ……くそ、俺のプディング!」
「食い物の恨みは恐ろしいな」
 そこまで行ったら微笑ましいを通り越して愚直すぎる。リヒトは苦笑した。肩をすくめる。
「この人混みで見つけ出すのは至難の業だぞ。手分けして探すか?」
「いや、だめだ。俺たちまではぐれる恐れがある」
「しかし、このままでは」
「姉上から目を離すなってことだ。何をされるか分からないからな」
 行進曲が盛大に鳴り響く。太鼓とシンバルが打ち鳴らされるたび、空気が振動した。互いに耳元で怒鳴り合っているのに、さっぱり聞き取れない。
「目を離すなってどういうことだ?」
 胃の辺りが嫌な感じにねじれる。リヒトはロゼルの後ろ姿を見やった。
「ロゼル、お前、もしかして」
「何だ?」
 ためらったが、言わずにすませることはできなかった。
「枢機卿が本気でお前を陥れにかかってると思ってるのか」
 ロゼルはそしらぬ笑みに秘め隠した眼をリヒトへと向けた。軽薄な表情の奥に、薄暗い感情が渦巻いている。
「残念ながら、信じるに足る根拠が見あたらないな」
「だからといってまさかソロールまで信じないなどと言い出すつもりじゃないだろうな」
 ロゼルは濁った沼のように笑った。
「もし、俺のせいで姉上や母上に累が及ぶようなら、喜んで裏切ってもらって構わない」
「あんなに心配されてるのにか? 私だっていつお前を裏切るかしれないんだぞ。私は枢機卿に任命された”狼”で……」
 言った直後、リヒトは押し寄せる人波に押され、よろめいた。
「いいぜ、裏切れるものなら裏切ってみろ」
 倒れかかるようにしてロゼルの腕の中へ取り込まれる。ロゼルはにやりと笑ってリヒトの肩を抱いた。ぐっと引き寄せられる。吐息が近い。
「貴様という毒を飲んだときから、俺はもとよりその覚悟だ」
 ゆらめく青い瞳。本気のまなざしだった。食い入るように見つめられている。リヒトはどぎまぎとした。
「ロゼル」
 かすれた声を飲み込む。心を吸い寄せられる。目を離すことができない。
「なんてな」
 ロゼルは気配をゆるめ、悪戯っぽくウインクした。
「毒をくらわば皿までだ。言っただろ、貴様の毒も、心も、全部俺のものにしてやるって。いさぎよくあきらめて素直に認めろよ。俺のこと好きなんだろ?」
「私はお前を利用しているだけだ。勘違いするな」
 リヒトはロゼルの手を押しのけようとした。
「ふん、ツンデレ言いやがって。心にもないくせに」
 ロゼルはにやりと鼻先であざ笑った。
「ツンデレも嫌いじゃないが、いっそ完全に突き抜けちまうってのも悪くはないよな? 女王様みたいに鞭持って網タイツにエナメルブーツにコートとか」
 ロゼルの要求通りの格好をさせられる自分を想像して、リヒトは思わず、かぁっと頬を染めた。
「ばか、そんな格好できるか!」
「意外と似合うかもしれないぞ? 着せてやろうか?」
「人を変態みたいに言うな!」
「大丈夫だ。貴様と二人ならどんなプレイでも全力で受け止めてみせる! やりたいならやりたいと言え。貴様だって、さっき、俺にきちんと言うべき事は言えって言っただろ」
「欲望丸出しのお前と一緒にするな。あれは、その」
 リヒトは半分うろたえて口ごもった。目をそらす。
「いくらソロールの前だからって、お前がお前らしくないのは嫌だったからで……」
「俺が姉上のことばっかり気にしてたのが、だろ?」
「そんなことは言ってない。勝手に話を作るな」
 リヒトは顔を赤らめてそっぽを向いた。ロゼルはにやにやと近づいてきた。
「ジェラシーか? もう、甘えん坊だなリヒトは。どこまで可愛くなれば気が済むんだ? 仕方ない、俺と貴様だけの世界を作ってやる。台本はこうだ。『はい、ロゼルたん♪ 目隠ししちゃうから♪ あーんして? ぴしいっ♪ うふっ、おいちい?』『うん、おいちい♪』『これ、なぁんだ♪』『貴様のく・ち・び・る♪』『きゃっ♪ 正解♪ 恥ずかしい♪ ロゼルたんの馬鹿あん♪ こんなにしてぇ♪ やだぁ♪』『ははは逃がさないぞ♪』『ああんっ♪』『ちゅー♪』これをボンテージでやるんだ。いいな? 次は俺が縛られてやるから」
「誰がするかーーっ!」
「……あ、やべえ、貴様のエロい格好想像したらマジで欲情してきた……」
「いい加減にしろ! そんな変態に惚れた覚えはない!」
「ん? 今なんて言った?」
「え?」
「どういう意味だ? ん? どういう意味?」
「うっとうしい、近づくな!」