8 貴女を……幸せにしたい

 粉砕された水晶のかけらが、きらきらと舞い散っている。まるで満天を彩る星のようだった。ああ、何てきれいなんだろう……。
 ラウはそんなことをぼんやりと思った。
 しかし残念なことに、いつまでも美しい情景に心奪われていられる状況ではない。そろそろ現実に目を向けなければ危険である。そう、今まさに頭のてっぺんから尻尾の先までふんわりこんがりの焦げ焦げ天然パンチパーマ状態で宙に吹っ飛ばされている最中とあらば、なおのこと。
 ふんぎゃあああああああ……! と、斜角四十五度の完璧な高射界方向に向かって放たれた悲鳴の尾が、そのまま煙を突き抜け、のどかな飛行機雲の放物線を描いて落っこちてゆく。いやはやまったく、どこまで飛距離を伸ばせば気が済むのか。
 ラウは、ひゅるひゅると高度を下げ。
 そして。
 ……落ちた。
 ばっしゃーん! と、これまた盛大極まりない見事な水しぶきを上げて地底湖に墜落する。一瞬、衝撃で気を失う。ぶくぶくと白い泡を立ちのぼらせて、どこまでも深く沈んでゆく。

 ああ……。沈む……。沈んでゆくぅ……。

 って沈んでる場合じゃないし!
 ラウはがば、っと眼をひん剥くと、じたばたと犬かきを始めた。ともすれば口から漏れ出る空気の泡をあわてて手で押さえ、ほっぺたを冬眠前のリスみたいに膨らませて水を蹴る。
「ぶはあっ!」
 必死の思いで水を掻き、一気に空気の下へと飛び出す。
「ラウ、大丈夫ですか?」
 ちゃぷちゃぷと泳いでいると声が聞こえた。首を捻って目をやる。水辺に佇んだアリストラムが、おだやかなしぐさで手招いているのが見えた。
 ラウは冷たい地底湖を泳ぎ渡った。びしょびしょの姿で水から上がる。
「ほら、つかまって」
 アリストラムが身を屈めながら手を差し伸べてくる。
「うん、ありがと、アリス」
 ラウはくすくす笑った。アリストラムは怪訝な表情になった。
「どうかしたのですか?」
「ううん」
 ラウは、一気に全身を震わせて髪の毛についた水玉を吹き飛ばした。噴水のような飛沫がアリストラムにかかる。アリストラムはあわてて顔をそむけ、手でかばった。
「やーいやーい引っかかったあ! あたしだけ濡れるなんて不公平だもんね! アリスもびちょんこになれー!」
 ラウは思いっきり子どもじみたふうに手を叩いて飛び跳ね、やんやとばかりに囃し立てた。
「そんなことを言っているのではありません」
 アリストラムは半ば強引にラウの手を取って立ち上がらせた。つんのめり気味に引き寄せられて、ラウは思わずうろたえた。
「貴女には一言、言っておきたいことがあります」
 思っていたのと違う、どこか抑えたような低い声が、ぎょっとするほど近くから降ってくる。
「え、えと、あの……な、何……?」
 また叱られるかと首をちぢめながら見上げる。
「ま、まだ、何もしてないよ……た、たぶん」
「いいえ」
 ぴしゃりと遮られる。近づくアリストラムの眼が、ふいに揺れ動いた。
「……危ないでしょう!」
 詰めた息を吐き出すような口調で責め立てられる。怒られるか、と思って首をちぢめたラウを、アリストラムは無理矢理に抱きしめた。身をかがめ、傷ついたラウの頬に唇を寄せる。
「もうこれ以上……余計な心配はかけさせないと約束してください!」
 柔らかな銀の髪が、はらりとアリストラムの肩からこぼれ落ちる。
 優しい、胸の奥にまで染み入ってきそうな声で、低く叱られる。ずきん、と胸が痛くなった。
「う、うん」
 いろいろと心もとない気持ちになりながら、ぎごちなくうなずく。
 アリストラムは背後を振り返った。気を失い、砂陰に横たえられていたミシアが、こめかみを押さえ、苦しげな息をつきながら起きあがってくる。
「アリス」
 ラウは思わずアリストラムを見上げた。
「ええ、分かっています」
 アリストラムの表情が変わる。
 ラウは砂を蹴ってミシアの傍へと駆け寄った。アリストラムが魔法か何かで取り出したのか、薄手の毛布をまとっている。
「大丈夫、ミシア……?」
 ミシアはうっすらと眼を開けた。
 はだけた毛布の下、赤くあざの残った胸元に、かすかな刻印の痕跡が残っている。だが、全身をおどろおどろしく覆い尽くしていたあの凶悪な暴走の跡は、もう、どこにもなかった。
「ラウさま……」
 ミシアはさくりと砂を踏みしめて歩み寄ってくるアリストラムに気付いた。
「アリストラムさま」
「怪我はありませんか、ミシア」
 アリストラムは声を低めた。
「は、はい、わたしは。……でも」
 みるみるその大きな黒い瞳に涙が浮かび、珠になって結ばれてゆく。
「でも、わ、わたし、ほ、ほ、本当に、お二方に、申し訳ないことを……!」
「どうかお気になさらず」
 アリストラムは諭すように穏やかに言った。
「それよりも」
 ゆっくりと、背後の気配を探るようにしながら口を開く。
「……”彼”は」
 アリストラムの視線が闇の彼方へと向けられる。ミシアはつられるように立ち上がった。目を凝らし、両手を結び合わせて、二、三歩、よろめいて前へと足を踏み出す。
「え……?」
 ラウもまた、アリストラムの目線が示す方向へと振り返った。眼をほそめ、動く影を確かめる。
 うずくまる暗い人影のようなものが見えた。
 ミシアが息をすすり込む。
「キイス」
「えっ」
 ラウはぎくっとした。
「い、生きてたの、あいつ!」
「……キイス」
 ミシアは声をつまらせ――
 涙を振り切って駆け出した。
「キイス!」
 砂に足を取られながら涙ながらに走り、その影に飛びつく。
「キイス、キイス……逢いたかった……!」
「ミシア」
 魔妖の――キイスのうめき声が聞こえた。
「ごめんなさい、わたしのせいで……!」
「もう、いい。泣くな」
 ミシアは傷だらけのキイスにすがりつき、泣き崩れている。
 キイスの腕がぎごちなく持ち上げられて、ミシアをしっかりと受け止める。おそらく爆発のときにラウやアリストラムと同じく底の抜けた洞窟から落ちてきたのだろう。
 そんな二人を横目に見つつ、ラウは、困惑まじりにアリストラムの顔を盗み見た。
「あ、あの、あれってどういうこと……な、なんで?」
「知らなかったのですか」
 アリストラムはにべもない。表情一つ変えずに、ぼそりと言う。ラウは、ひくっ、と頬を引きつらせた。
「うそ、もしかして、最初から……知ってた?」
「キイスがミシアと恋仲だ、ということですか? 当然でしょう」
 アリストラムは肩をすくめた。
「そうでもなければ最初から彼を逃がしたりはしません」
「えっ!」
 ラウは眼をぱかあっと押し開いた。口をぱくぱくとさせる。
「だ、だ、だって、アリス、キイスに、つ、掴まって……!!!」
「本気で戦ってはいけない敵を相手にどうやって戦えと言うのです」
「うっ……」
「ラウこそ全然、気付いていなかったのですか」
「き、気付いてるにきまって……って、気付くわけないでしょうがっ!」
「何と、それは忍びないですね。お気の毒さま」
「ひ、ひとを哀れんだような眼で見るなあっ!」
 ラウは、ぶうう、と頬を膨らませてアリストラムを睨んだ。
「あたしには無茶するなって言っておいて、じっ、じっ、自分が一番めちゃくちゃじゃん!」
「貴女は人じゃないでしょう」
「い、今はそういうことを言ってるんじゃなくてっ!」
「あんまり怒ると牙が見えてしまいますよ」
「はああ!? 何そのいいぐさっ! 頭にくるーーーっ!」
「まあ、貴女の、その怒ったときに見せる牙がこれまたとっても可愛らしくて、私としては、愛おしくてたまらないのですけれども、ね」
「ああああああああああ! なにこの徒労感! 完全に一方通行!」
「大好きですよ、ラウ」
「……あたし、もう泣きたい……」
「泣きたい時はいつでも私の腕の中で泣きなさい。ほら。ほら」
「……近寄って来なくていいから……」
「アリストラムさま」
 そうこうしているうちに、ひとしきり泣いて気が済んだのか、ミシアが顔を上げた。
「ほんとうに、ありがとうございました。キイスのことも……キイス?」
 ミシアは同意を求めてキイスをのぞき込んだ。だがキイスの険しい表情に、はたと顔色を変える。
 キイスはわずかに口元をゆがめ、ミシアから眼をそらした。憎悪とも自己嫌悪とも取れる複雑な眼差しを、憎々しくアリストラムへと向ける。
 不穏な気配がよぎった。
「……礼など言わん。聖銀などに誰が礼を言うものか」
 血に汚れた口元が、生々しい獣の本性をのぞかせている。
「貴様等さえ来なければ、こんなことには」
 ふいにミシアがさえぎった。
「アリストラムさまは、そんな人じゃないわ」
「聖銀《アージェン》は信用できない」
「わたしだって人間なのに」
「お前は」
 キイスは顔を背けた。
「別だ」
「いいえ」
 ミシアはかぶりを振ってキイスの前へと回り込んだ。
「アリストラムさまも、ラウさまも、わたしを助けようとしてくれたわ」
 キイスは陰鬱に嘲笑った。
「余計なお世話だ」
「キイスの、ばかっ!」
 ミシアは顔色を変えるなり、声を裏返らせて掌を閃かせた。
 キイスの頬がぴしゃりと鳴る。
「ミシア」
 キイスは呆然と頬を押さえた。眼を押し開いてミシアを見返す。
 ミシアは、はっと息を呑み、手を口元へと押し当てた。みるみる頬が紅潮してゆく。
「アリストラムさまは、あのレオニスとは違うわ」
 キイスは喉の奥を憎々しく鳴らした。
「聖銀はみな同じだ。魔妖を魔妖と言うだけで殺し歩く。誰がそんな奴らを信じるものか」
「わたしは信じる」
 ミシアはうつむいた。
「アリストラムさまも、ラウさまも」
「聖銀の何を信じる? 助けてもらって目が覚めました。もう、これからは悪いことはしませんって泣いて懇願しろとでも?」
 キイスは吐き捨てるように言った。
「あのゾーイでさえ、聖銀どもに関わったせいであっけなく殺された。俺だって、いつ」 
「大丈夫よ、キイス」
 ミシアの手が、するどい爪の生えたキイスの手をそっと包み込んだ。愛おしむようにして握りしめる。
「わたしがついてるもの」
 キイスの表情が、愕然としたものに変わった。
「……お前に、何ができる」
「傍にいられるわ。あなたの傍に。あなたのためなら何だってできる」
 キイスはミシアの手を振り払おうとした。
「駄目だ」
「駄目じゃないわ」
「無理だ」
「やりもしないであきらめたら無理に決まってる」
 黒い獣毛に覆われたキイスの手を、そっと自分の頬に押し当てる。キイスは抗おうとした。
「あなたが好き……キイスのことが、大好き。だから、いっしょにいたいの。それだけなの」
「駄目だ、ミシア」
 キイスの声が、わずかに震えていた。
「俺は魔妖だ。魔妖と人間は、絶対に一緒にはなれない。俺が聖銀を憎むように、人間もまた俺を憎む。俺がどんなにお前を……愛していても、俺が魔妖である限り、人間は俺を認めない。その憎しみがお前を苦しめることになるんだ」
「勝手に決めつけないで」
 ミシアは、きっとキイスを睨み付けた。
「いつまでもわたしを子供扱いしないで。いまはまだ頼りないかもしれないけど、あと三年もすれば、わたしだって、ちゃんとした大人の女になるのよ。そうしたら人間の女がどんなに強いか、あなたに教えてあげる」
 そのまぶしいぐらいに純粋な表情を、ラウは、ぽかん、と口を開けて眺めていた。
「ラウ」
 アリストラムがふと、ラウの肩に手を置いた。きょとんとして振り返るラウの耳を、きりっとつねる。
「いつまでもほけーっとして見ていないで、こっちに来なさい」
「痛、いたっ! 何すんのよ、あいたた……耳引っ張っちゃだめ……」
「ほら、早く」
「だ、だから何でっ」
「……そんなにじろじろ見られたら、したいこともできないでしょう」
 そのまま、ひょこひょこと物陰まで引っ張られる。
「だから別にあたしは何も」
「あの様子ならきっと大丈夫ですね」
 アリストラムはちらりとキイスの様子を窺い見たあと、ラウの耳から手を放した。

 地底湖の洞窟から脱出すると、外はもう、夜だった。
 キイスとミシアはドッタムポッテン村へは戻らず、南の国へ駆け落ちするという。ありあわせの服や常備薬、用具や路銀のいくらかをミシアにゆずって身支度を調えさせると、別れを惜しむ間はもう幾ばくもなかった。
 ともに手を取り合って去ってゆく二人の姿は、森の木々に遮られ、すぐに見えなくなる。
 今度こそ、二人きりだった。
「私たちも、行きましょうか」
 静かな風が吹きすぎる。ずっと見送っていたアリストラムが、気を取り直したように振り返った。
「うん」
 そう、胡乱に答えはしたものの、ラウ自身は、自分がいったいどこへ向かえばいいのか、よく分からなかった。何とはなしに肩を落とし、アリストラムのあとについて夜の森をしばし歩く。
 割れた朽ち木の匂い。土の匂い。積み重なった枯れ葉と苔と青草の匂い。さまざまな匂いが生暖かく入り混じっっている。森本来の息吹が肌にまとわりつくかのようだった。
 ざわ、ざわ、と、風に身をゆだねた枝葉が大きく森をうねらせている。そこかしこで騒ぎ立てている虫は、ラウとアリストラムが傍を通るたびにぴたりと鳴き止み、十分に遠ざかった背後から鳴き始める。
 せつなく、せわしなく夜の鳥が鳴く。
 ふと森が切れた。
 樹冠にかかる月が明るい。夜空の縁に濃い灰色の雲が流れている。東の空に赤くまたたく強い星が見えた。空一面に、水晶の輝きと見まごう星が数限りなく散り敷かれ、瞬いている。
 川が近いのか。渓流の水音が絶え間なく心地よく聞こえてくる。
 川面の風がさわりと頬を撫でた。
「ずいぶんと遠くまで来てしまったような気がしますね」
 先に行っていたアリストラムがラウを待つかのように立ち止まっていた。
「こっちへいらっしゃい、ラウ」
 穏やかに手招かれる。
 ラウは走り出した。尻尾をなびかせてアリストラムの傍らに飛び込む。
「なに、アリス? 何か用?」
「いいえ、別に」
 アリストラムは口元をほころばせた。
「今夜はもう、このあたりでテントを張って休もうかと思うのですが」
「うん、いいよ。ごはんも食べたいしね!」
「そうでしょうね」
「どうすんの? 魔法で、ぽんって出す?」
「はい」
 アリストラムはうなずいた。平らな場所を見つくろって選び、掌を地面へと向けて、かざす。うすぼんやりとした光が月明かりに重なって降り注いだ。
「あたしも手伝う」
「お願いします」
 アリストラムがぱきんと指を鳴らすと、ちいさな三角のテントが現れた。その下に、テーブルと椅子が二脚並び、食器、ランチョンマット、斜めに傾いたワインバスケットやカトラリーのはいったかごが揃えられ、ラウのための可愛らしい骨柄模様のティーセットに、サラミと菓子パンとフルーツのお皿がピラミッドのように重なったスタンドが彩りを添える。
「もう、釣りも狩りもできる時間ではないので、軽いお夜食で済ませてしまいたいのですが、かまいませんか?」
「うん」
 アリストラムが指を鳴らすたび、次々に沢山の鍋やフライパンや料理道具などが踊りながら降ってくる。騒々しい音を立てながら積み重なってゆく様子にラウは歓声を上げた。
「ラウ、先にお茶を沸かしていて下さい」
「はあい」
 ラウはさっそく大きな石と木切れをいくつも抱えてきて、焚き火を起こすかまどを作り始めた。かまどができあがると、川までひとっ走り走っていってやかんに水を汲み、かまどに差し渡した棒に持ち手を通して火に掛ける。
「ちゃんと手を洗ってきましたか」
「うんっ!」
「では、いただきましょう」
 アリストラムが眼を閉じて神に祈っている間、ラウは大自然の女神様に今日も一日美味しいゴハンをありがとういただきます! と頭の中でまくしたて、さっそくぱくぱく食べ始めた。、
「ちょっとお待ちなさい。そんなに急いで食べて大丈夫ですか。怪我のほうは?」
「……あ」
 ラウは今さら傷のことに思い当たり、ぎょっとした。
「そ、そういえばどうなってんだろ。まさかせっかく食べたのに、どっかからはみ出して来たりしないよね……?」
「まさか、そんなことが」
 言いかけて、アリストラムは急に口をつぐんだ。コーンスープのカップをお皿にかたんと置いて、まじまじとラウを見つめる。
「いや、貴女ならあり得るかも」
「えええ!? って、んなわけあるかあっ!」
「むしろ、せっかく治療したのに、と言って下さい。食べたものがはみ出す心配するぐらいなら、傷の心配を先にすべきでしょう、普通」
 そんなふうに言われると何となく不安になってくる。ラウは炙ったベーコンを分厚く切ってはさんだライ麦パンを落とさぬようぱくりとまるごとくわえ、開いた両手で服をめくりあげた。
 包帯に覆われたおなかがぺろんとあらわになる。
 なぜか、既にぽこん、と出っ張っている。
「……またタヌキになって」
 アリストラムは驚きのあまり呆然とつぶやきながら、手際よく包帯をほどいた。
「いくら何でも食べ過ぎです」
「アリスだって怪我してるのに食べてるじゃん」
「だから私は遠慮しています」
 解き終わった包帯が、はらはらと地面にほどけて落ちる。ラウはくわえたパンをもぐもぐしながら、ぽんぽこのお腹をさすってみた。傷があった場所に手があたっても痛みはない。
「痛くない!」
 ラウは嬉しくなって思わず腹鼓を叩いた。見事な音がする。
「治ってる!」
「……デタラメすぎて力が抜けました。心配して損した」
 アリストラムはため息をついてみせた。指先で傷あとをぴんと弾く。
「アリスは」
 ラウはふと心配になってアリストラムをのぞき込んだ。
 刻印の支配から逃れるためとはいえ、自らの肩を剣でつらぬいたのだ。たとえ治癒魔法を掛けたとしても完全に傷が癒えるには相当の時間がかかるだろう。人間の回復力は魔妖と比べてかなり低い。一見、普段通りの振る舞いをしてはいるが、やはりどこかに不調が残っているのか、顔色が冴えないように見える。
「私は大丈夫です」
 言いかけたアリストラムの額に、ラウは、ぴとっと手をあててみた。自分のおでこと計り比べてみる。
「うーん……ちょっと、熱があるんじゃない? 怪我してるのに魔法でいろいろ出したから疲れちゃったとか」
 アリストラムは倦いたふうに肩を落とし、息をついた。
「そうかもしれませんね」
 両瞼を挟むようにして指で押さえ、ゆっくりと揉みほぐしている。
「もう休む?」
「そうですね」
 だがアリストラムは動こうとしなかった。額の上のラウの手に、そっと自分の手を重ねる。
「ごはんをお腹の中に片づけるのは後にして、ちょっと、一緒に座って休憩してもらえませんか」
「うん」
 ラウはその隣へ椅子を持っていって並べ、腰を下ろした。
 ゆったりと寄り添う。アリストラムはラウの椅子に手を回してもたれ、おだやかに眼を閉じた。
「確かに、少し、疲れているのかもしれません」
 ため息のようにつぶやく。
 どきり、とした。

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