4 代償

 あの手は、何だったのだろう――

 記憶が、欠け落ちている。悲鳴と、赤い色と。闇。
 そのほかは何一つ分からない。ところどころ途絶えたかと思うと、過去と現在、今といつかの記憶とが、ナイフとガラスを砕いて入れた血まみれのるつぼみたいに、どろどろのない交ぜになってゆく。
 私に分かるのは、涼真と今、セックスしている、ということだけ。それすらも、ともすれば分からなくなっている。抱かれているのか、獣のように交尾しているのか、それともただ、怒りにまかせて……めちゃくちゃにされているだけなのか。
 ああ、たぶん……涼真は怒っているにちがいない。私の身体が、何をしても、反応しないから。
 いや、違う、反応していないわけじゃない。私の身体は紛れもない淫乱の血を引いている。男が欲しくて、餓えて、乾ききって火照る肌の熱さに、自分で耐えきれなくなって足を開く身体。
 まさか、あの母も――涼真にだけあふれる愛を注いだあの人も――そういう身体だったのだろうか。教育熱心で、生活の乱れに厳しく、妻の模範、母の模範を体現するかのような母が、夜は――
 まさか。想像できない。
 あの母を見ていれば、そんな言葉どうしがよもや結びつくはずもない。
 昼間は、大概、気が付かない。でも、気が緩んだ夜。深夜。明け方。そんな時、薄暗がりにぼんやりと光る、おどろおどろしいまなざしで、母はいつも私を見ていた。
 あの、眼は。

 何かを知っている眼だった。私の知らない何かを。私の中にある、何かを。
 おそろしいのは、女の直感、かもしれない。今思えば、笑い出してしまいそうだった。きっと、母は、私が涼真に恋していることを知っていたのだろう。
 と同時に、怖れてもいたに違いない。私が――私の中の淫乱の血が、いつ、涼真を――

 そうだ、私の身体は、今、狂乱のさなかにある。感じていないはずがない。こんなにもぐちゅぐちゅといやらしい音を立ててむせび悶える身体が。濡れそぼる熱い身体が、感じていないはずがない。

 感じていないのは、心のほうだ。

 痛い、はずなのに。

 痣が浮くほど乳房を乱暴に揉みしだかれても。
 張り裂けそうなほど足を開かされ、何もかも晒され押し潰されながら強引に突き入れられても。
 
 感じない。
 不思議なほどに何も感じない。悲鳴が聞こえても、それは、身体があげる悲鳴。ベッドの軋む悲鳴。
 ただ、涼真のネクタイでベッドに縛り付けられた、左の手首だけが。
 焼けつきそうなほど、ちぎれそうなほどに、痛い。
 でも、その痛みこそが、涼真と私を繋ぐ――唯一のきずなであるかのように、思えた。

 束縛。

 私は、涼真とは、違う――って。
 いったい、いつから、そんなふうに思うようになったのだろう。
 何もかもが、私と違っていた。私の持っていない全てを、涼真は持っていた。大好きだった。憧れていた。光みたいだった。涼真みたいになりたかった。無理だと分かっていても――弟ではない涼真が欲しかった。涼真が生まれながらに持っていた天性の、家族の真ん中で光る、あの”何か”が欲しかった。

 私の、血は。
 汚れた、血だ。
 荒んで、汚れて、膿んだ血。剥がれ落ちた子宮の内膜みたいな、どろどろの、赤黒い残滓。

 もっと、めちゃくちゃにして欲しい……もっと……

 足りない。

「レン」
 涼真が、私の耳元でうめいている。
「シャワーを浴びろ。汚しすぎた。起きろ」
 終わった、のかもしれない。いつの間にか。
 ぬるり、と、肉茎の抜き取られる感触が下半身を心許なくさせる。涼真の荒い息が吹きかかった。
 何かが、膣から尻を伝ってベッドにこぼれ落ちる。水のような、ぬるい――どろりとした、何か。

 そんなことにしか、注意が行かない、なんて言えば。
 きっと、怒るだろう。
 何も感じなかった、などと言えば。
 でも、それが、逆に涼真には都合が良いのかも知れなかった。私が感じているかどうかなんて涼真には関係のないことだ。私の身体で、私の口で、私の肉でときどきでもいい、男の性欲を処理してくれるというなら、それだけで十分、私にも生きる価値がある。私は私を捨てずに済む。この、不様すぎておぞましくさえある自制心にすがりついてさえいれば、私が犯した罪のすべてを、贖わずに済む。

 今みたいに、何も、感じなければいい。
 そうすれば――

 感じすぎて、痙攣しすぎて動けなくなった身体を、無理矢理に抱き起こされる。立ち上がれない。身体のどこにも力が入らなかった。手を取られ、涼真の腕に抱かれる。
 首が、力なくのけぞる。乳房が、ちらつくように揺れる。
 声が、出ない。
 私は、自分の心にさえ、女の嘘をつく。
 この身体で。この浅ましさで。どうして、心までは感じていないなどと――
 涼真の欲情のすべてを受け入れて、呑み込んで、なお足りないと喘ぎ、うずく身体のどこに、理性が残っていると言うのだろう。
「起きろ」
 何度言われても、動けない。汚れていてもいい……どれほど汚されていてもいい……

 だが、涼真は私の甘えを許さなかった。苛立たしげに舌打ちしたかと思うと、ベッドの柱に縛ったネクタイをあっさりほどき捨て、私の身体を一息に抱き上げる。まるで手枷のように、手首のネクタイだけが残っている。
「あっ……」
「暴れるな。手が滑る」
 お世辞にも軽いはずはないのに、やすやすと抱き上げられてしまう。私は涼真に抱かれたまま、ユニットバスへと連れ込まれる。
 シャワールームには、先ほど涼真が浴びた熱気がまだ籠もっていた。
 ぬるいソープの香りが漂っている。足元も濡れたままだ。涼真は私をいったん下ろし、片腕で抱いたまま、もう一方の手でシャワーのコックをひねった。二人同時に、ぬるい水しぶきを浴びる。
「ぁっ……」 
 ほんのわずかな刺激にすら、敏感に反応してしまう身体に、シャワーの飛沫が流れ落ちる。
 私は涼真に後ろから抱かれて、一緒に頭からシャワーを浴びた。顔をすこしそむけないと、飛沫が鼻やくちびるに飛んで、息がすぐにできなくなる。
「動くな」
 涼真は、私の手首を縛ったネクタイをぐいとつるし上げた。表情ひとつかえないまま、そのネクタイで、私の両手首を後ろ手に縛ってゆく。
「……何……なの……? 何のつもり……!」
「ちょっとした刺激だ」
 涼真はうすく笑うと、私を縛ったネクタイをぐいと引き寄せた。濡れた床に足を滑らせてしまいそうになって私は思わず悲鳴を上げた。涼真が、男の腕で私を抱き止める。
「や……やめて……!」
「おとなしくしていないと本当に滑るぞ」
 笑いがシャワーの音と混じり合った。涼真が、シャワーの水圧を強くする。
「あっ……やぁっ……!」
 喉元から、胸へと当たるシャワーが、肌の表面を流れ落ちてゆく。はじいた水玉がこぼれ落ちて、大きな音を立てた。
 涼真は、シャワーのヘッド部分を手に取った。さっと水流を横切らせて私の顔へとかける。
「んっ……! ううんっ……!」
 汗の滲んだ肌が、おそろしいほど、水のひとつぶひとつぶを感じさせて、痛いほどだった。ほとんど体温と変わらぬぐらいのぬるいシャワーが、私が悲鳴を上げないよう、必死に引き結んだ口元から、うなじへと当てられ、それから、シャワーで撫で回すように乳房へとむけられる。
「やっ……ぁ……!」

 恥ずかしい、ぐらい……

 乳首が、きゅっ……と絞られて、立ち上がっている……
 シャワーを、浴びせかけられただけ……なのに……!

 後ろ手に縛られているせいで、自分では、何も、できない。動けば、足を滑らせてしまう……!

 涼真が濡れた私の腰に後ろから手を回した。
「ぁっ……う……!」
 腕を折り曲げ、縛った手の位置を、わざと、ひどく上にさせられる。そこに、あるのは――
「ぁ……あっ……あっ……やだ……こんな……!」
 涼真は、ゆっくりと唇を私の耳元に寄せた。
「俺に触れろ。良いと言うまで、手を放すな」
「……嫌……ぁっ……!」
 瞳に宿る冷たい光。
 その眼差しに押さえ込まれ、射すくめられて――声すら出なくなっていることに気づく。
「レンの手で感じたい。放したら、縛ったまま放置して帰ってやる」

 ……そんなこと……されたら……!

 涼真は少し身体を離して、ボディソープの液を手に取った。
 肌に直接、ボディーソープを流しかけられる。胸に、白く、流れ落ちてゆく、甘い、ソープの香り。したたり落ちて、とろとろになるまで全身にソープを塗り込まれて、私は、力なく喘いだ。
 耳元で、シャワーの激しい水しぶきの散る音が聞こえる。涼真が、冷ややかにささやいた。
「手を止めるな」
「や、やだ……ぁっ……あっ、あっ……!」
 涼真の手のひらが、ぬるり、と。
 肌の上を、ぬめるように滑ってゆく。ゆるゆる、と、泡立った白い液体が、身体中に――
 理解できない。もはや、制御すらできなかった。さっきまではわずかでも自制心などというものの存在を信じられたのに。涼真の腕に抱かれ、涼真の手に全身の肌を翻弄され、乳房にシャワーを当てられながら、涼真の――男そのものの部分を、縛られた手で。
「もっと触れ。もっと乱暴に握っていい。勃つまでだ」
「無理……できな……ぁ、あっ……や……やあっ……んんっ……ぁぁ、ああ、んっ……うっ……ああ……!」
 どろり、ぬらり、ぬるぬると、指先が乳首を滑り転がす。乳房を揉みゆすられる。腰を這い回る手。下半身をまさぐる手。泡立てられたソープの泡がつたって足元に白く流れてゆく。
 縛られて、洗われて。もう、何が、何だか、分からない。私は、いったい、何を――
「流すぞ」
 涼真はシャワーのヘッドを手に取った。また顔に飛沫がかかる。私は身体をのけぞらせて、顔をそむけた。一方の手で、ぬるぬると全身を洗われながら、内股に手を入れられ――
 指先が、ふいに、そこに触れた。
「……っ!」
 シャワーの湯が、下から噴き上がって――

「や、や、やだ……嫌……あっ、あっ……!」
「動くなと言っただろう」
 涼真は初めて、声を上げて笑った。
「石けんが中に入ると身体に悪いだろうからな。洗ってやる」
「やめて、やだ、嫌っ、そんな……ぁっ……」

 シャワーの湯が、指で、剥き出しにされた、そこに……ぁっ……あ……うそ……嫌……っ……あ……! 

 ソープの泡はもう、半分以上、流れ落ちていた。涼真は私の手首を縛ったネクタイを掴んだ。熱いほど腰を密着させてくる。肌を突く何かが背中に押し付けられた。
「ぁっ……う……!」
 ややうつむいて、腰だけを支えられて。後ろ手に縛られたまま、けものの姿勢を取らされる。
 シャワーに打たれる、壮絶なまでにやわらかな――気の狂いそうな刺激が肌を打った。
「ぅ……ううん……ゃだ……あ……あ……イヤ……っ……!」
 髪が濡れ、くちもとにまでしずくがこぼれ伝ってくる。喘ぐほかに、息をすることが、できない。眼も、開けられなかった。そんな濡れて、濡れて、濡れそぼった姿を。
 ぬるり、ゆるり、尖端でまさぐられて。

「あ……あっ……!」

 嘘……そんなの……涼真……のわけない……
 い……嫌……あっ……っ……凄い……感じ……る……!

 顎ががくがくするばかりで、声も出なかった。
 全身がしびれ渡る。
 ぐっと、身体の奥を締めつけるたびに、まだ浅いところにある、猛々しい欲望の形をまざまざと感じて。
 そのまま、強引に押し入られる快楽が、私をえぐる。うずめつくしてゆく。
 シャワーを浴びせられて、縛られたまま腰を抱かれて。
 後ろからめちゃくちゃに突かれ、どろどろにかき回され、揺すぶられ、濡らされ……あっ……もっと……ひっ……ぁっ……動いて……ああ、あぁ、ぁっ、もっとして、もっと、ぁっ……う……!

 シャワーの音が、悲鳴を、喘ぎを、かき消す。
 ほんのすこし動かされるだけで、そこから濡れたひどい音がしていた。膝ががくがくして立っていられない。腰を使われるたび錯乱した感覚が全身に飛び散った。
 中を、かき回されている。腰を打ち付けられている。肌をこすり合わされている。シャワーに全身をなぶられている。
 涼真に後ろから激しく突きあげられる感覚と、身体の中の内臓まで暴れ回る感覚と、手を拘束されて囚われ隷属させられている感覚とが、全部、ぐちゃぐちゃに入り混じって。
 気が――狂いそうだった。
 腰から下が、半狂乱の悲鳴に突き破られる。
 そう……
 これが私だ。今の、私自身の、本当の姿。
 絶対に、そうなってはならないと――
 うわべではそう必死に自分を縛めつつ、弟の手であっけなくも剥ぎ取られ壊された自制心の下に、本当の私がひそんでいた。悲鳴と喘ぎ声の交錯する絶頂の瞬間だけが、私の現実。
 涼真に抱かれること、だけを。
 涼真に犯されること、だけを。
 望んでいた――

 ふいに、身体を起こされて。
 後ろから腕を回される。
 おそろしい力が私を抱きしめている。帰り道を見失った幼な子のような、抱き方だった。泣いてばかりいるもう一人の子の手を引いて連れ歩きながら、自分も泣きながら、家路を探す子ども。見知らぬ路地を歩き。見知らぬ町を歩き。見知らぬ闇を越えて。どうしたらいいのかも分からずに。どこへ行けばいいのかも知らずに、ただ。
 しかし、それさえもが幻覚かもしれなかった。放出された気の迷いのすべてを、シャワーが洗い流してゆく。
 私は呆然と涼真に抱きすくめられたまま、足元を無駄に流れ去ってゆく絶望のゆくえを見つめていた。

 涼真は、私の手を縛ったネクタイをほどこうともしなかった。縛ったままの私を裸で放置し、外の明かりだけを頼りに、ソファに投げ棄ててあったワイシャツを着る。
 私は、裸のまま、ソファに横たわっていた。赤ん坊のように身体を丸め、このあと、どうすればいいのか、ぼんやりと考える。
 もちろん、下着などつけさせてもらえるはずもない。かといって、どこそこの引き出しに片づけてあるから出してきて、などと、いちいち頼むのも気恥ずかしかった。
 セックスの後につけるにふさわしいような、女らしい、セクシーな下着など持ってもいない。
 古臭い、安っぽい、女らしさのかけらもない下着。そんな自分を、嘲笑われるのも、知られるのも、嫌だった。
 セックスは終わった。セックスが終われば、私たちは何の接点も持たない、単なる姉弟という名の――遠い他人に戻る。
 涼真はきっとこのまま帰るだろう。これ以上私にかかずらっていれば、明日の仕事に差し障る。そのまま、もう、一生来ないかも知れなかった。
 それもいいだろう。来るのか、来ないのか、来るとしたらいつなのか待ちこがれて、胸を痛めて、何度もため息をついて。ふとした瞬間に両手で顔を覆っては過去の言葉の端々を後悔して、でも玄関のインターホンが鳴るたびに期待して駆け寄っては落胆するような――そんな痛々しい日々は送りたくない。
 涼真が帰れば、残された私は――きっと、鈍重な、重苦しい、抑揚のない女に戻るのだろう。美しくもない、生きた心地もしない、ぶざまなまでに痩せた女に。

 突然、死にたい、と思った。

 これほどまでに弟を傷つけていながら、まだ、けがらわしい女の残り香を涼真に留めさせようとしている。
 早く帰って欲しかった。これ以上、涼真を穢す前に、一秒でも早く私の目の前から消え去って欲しい。
「そうだ、レン、写メ撮ろう」
 ふと涼真は私の横に腰を下ろして、私の携帯を取り出した。
「これ、動画も撮れるんだな。そっちにするか」
 画面をスライドさせて、動画撮影のモードに変える。青白く発光する液晶画面が、私の肌を病的な生白さで照らし出す。ぞっとするほど、いやらしい身体だった。
「案外、きれいに撮れるもんだな。俺のと比べると全然違う。ほら」
 私を抱き起こして今撮った裸を見せつけつつ、うすく笑う。涼真の髪からも、私と同じシャンプーの香りがしていた。
「綺麗だろ」
 ぽつりとちいさくつぶやく。
「もう……気が済んだでしょ。帰って」
 私は、かろうじて言った。涼真は得たりとばかりに笑った。かすかに眼をほそめて、私を見やる。
「メシ食いに行くぞ」
「いらない」
「でも、ろくに食ってないだろ」
「私の事なんてどうでも……」
「良くないって。メシぐらいちゃんと食え。痩せすぎだろさすがにそれは心配するぞ普通」
「……放っておいて」
 つい、会話に引き込まれてしまう。私は口をつぐんだ。
 異常な状況かもしれなかった。それすらすぐには分からないほど、私は壊れている。裸にされて、縛られて、転がされて。ソファに放置されたまま食事の話をしている、なんて。
「だめだ。食事に行くぞ。着替えろ」
 私が応じるはずもないことを涼真は知っている。言うだけ言って、そのまま返事を待たず涼真は立ち上がった。
 どきりとして、涼真を見上げる。だが涼真は自分の携帯を手にメールの受信履歴を見ていた。そのまま、私を置き去りにして、電話をしにベランダへと出て行く。
 声が聞こえた。しどけなく手すりにもたれ、私をまっすぐに見ながらしゃべっている。ときおり、つめたい微笑みが投げかけられる。
「……別に疑われても構わない。疑うのも怒鳴り散らすのも嫉妬して泣きわめくのもお前の自由だ。最初にそう言っただろ。俺は誰のものにもならない」
 私は眼をそらした。抑揚のない声だけがまとわりついてくる。冷淡な涼真の声だけが。
「こんな夜中に何十回もメール送ってきて用件はそれだけか。用がないなら切れ」
 待って。嫌、おねがい、切らないで、涼真。開け放たれた窓の隙間から嘆願の泣き声が洩れ聞こえてくるほどだった。何でもするから。ねえ、何でもするから。
 涼真は、ぞっとする優しい笑いを浮かべて私を見た。
「じゃあ、二度と連絡してくるな」
 泣き声が、ぷつん、と途絶える。涼真は無理矢理通話を切った携帯をスーツの内ポケットへと突っ込んだ。

 私たちは、マンションを出て適当な店を探し、食事をした。その後、郊外にある二十四時間営業のショッピングモールへ行く。涼真は困惑する私を連れてショップを巡り、二十代後半の女が着るにはすこし可愛らしすぎる、小花柄のキャミワンピとストラップのアンクルサンダルを買ってくれた。
 それは、それでいいのだけれど。色合わせしながら恥ずかしがる私へ、レンなら何着たって似合うだろ、とか、もうそれでいいんじゃないか、とか、まったく嬉しくならない下手な褒め方をした。女の子の買い物に付き合わされた経験ぐらい数限りなくあるだろうに。
 でも、私が、涼真が選んだ色のほうを買うと決めると、ちょっと照れたように笑ってくれた。かと思えば、今度はどっちが払うかで喧嘩する。そんな些細なことすらなんだか嬉しくて、気恥ずかしくて。私たちは初めて互いに目を見交わし、声を合わせて笑った。
 その後もいろいろと冷やかして見て歩く。まずはカーテン。それからパジャマ。食器一式。そのほか、あれも要る、これも要る、いや、それはいらないだろう……さんざん言い合っては買い足してゆく。涼真は、ふたりぶんの歯ブラシを立てられるスタンドと、甘いパステルカラーの歯ブラシを色違いで二本、カートに放り込んだ。私は見て見ぬふりをした。
 たちまち必要なものだけを買うつもりが、気が付いたらいつの間にか大変なことになっている。まるで――引っ越してきたばかりの新婚さんみたいだった。
 二人がかりでカートを押し、何袋ぶんもの荷物を提げて駐車場へ戻って、とりあえず車のトランクに放り込む。
「さてと、これ以上買い物しても車に載らないんだけど」
 ばたんと後部座席のハッチを閉め、手を払って言う。涼真はもう、時計を見ないことにしたらしかった。
「ちょっと、歩こうか」
「……うん」
 ショッピングモール前の緑あふれる広場は、夜中だというのに人の数も多かった。特に、焼き鳥のいい匂いがする居酒屋の前なんかは群れ集って笑いこける学生たちや飲み会帰りのサラリーマンでごった返している。酔っぱらいのご機嫌な笑い声がいくつも重なって響いていた。
 そんな喧騒からわざと遠ざかるようにして、二人で、ゆっくりと並んで歩く。隣あわせになると、涼真はやはり私より遙かに背が高かった。
「さっきの店の前、めちゃめちゃうるさかったな」
「……うん」
 どちらからともなく、そっと、指をからめて手をつなぐ。涼真は穏やかに笑って、私の手を腕にかけさせてくれた。
「レンはこっちのほうがいいんだろ」
「やだ、もう……私、そんな歳じゃないよ」
 顔を赤くし、声をつまらせて身を引こうとする。
「いいんだって。ほら、手を離すな」
 涼真の手が逃げる私の手を追いかけて、捕まえる。
「でも……やっぱり、腕組むのはちょっともう、恥ずかしいよ……」
「いいから」
 涼真は、私の腰に手を回して引き寄せた。
「一緒に歩きたいんだよ」
「……」
 私は、顔を真っ赤にしてうつむきながら、涼真の腕に手をからめた。
「こうやって、ずっと、一緒に歩いていたいんだ。レンと」
 涼真はまっすぐ前を見据えたまま、はっきりと言い放つ。
 私は何も答えられなかった。
 どこへ向かうでもなく――私たちは、そぞろに広場を巡った。
 運転の止まった噴水の縁石ぞいをぐるりと回って歩き、風に揺れる水面を見つめた。せせらぎのような遠い喧騒の中で、夜空を見上げて星を探した。ショッピングモールの各エリアを結ぶペデストリアンデッキから、夜景を見下ろしつつ、肩を寄せ合った。
 風が、吹きすぎてゆく。遠くから、やたらアクセルをふかす車の音が聞こえた。ペデストリアンデッキの下をくぐってモールを去ってゆく車の列が、テールランプの赤い血の川を流している。
 涼真が、そっと私の手を取った。
 私は涼真に頭をもたせかけ、涼真は手すりにもたれた。二人で寄り添ってデッキの手すりに手を置いた。重ねた左手と右手の上に、さらに、もう片方の手も合わせて添えた。そうしながら指を絡めあわせ、何度も、何度も、もつれるように握りしめあった。私よりずっと大きな手。

 ただ、手を重ねただけで。
 ――こんなにも胸が、熱く、せつなくなるのに。

 通りがかりの酔っぱらいが、私たちに気付いて何やらふしだらな誤解でもしたのか、ひゅうひゅうと口笛を吹いてからかってくるのが聞こえた。

 どうして、私たちは。

「ねえ……さっきの電話のひと、彼女でしょ……? いいの、あんなひどい切り方して」
「彼女だった、に訂正しとけよ」
 涼真は遠ざかってゆく車列を見やりながら、笑ってはぐらかす。
「別に付き合ってたわけじゃないしな」
「ひどい」
「二、三回やっただけだし」
「もっとひどい。涼ちゃん……いつの間にそんな悪いオトコになっちゃったの」
「レンがいなくなってからかな」
 涼真は、首の骨をこきん、と鳴らし、背中をうんと伸ばして伸びをした。
「何か、自分だけ取り残された気がしてさ。他のことなんかどうでもよくなっちまった」
「ダメだよ涼ちゃん、そんな自堕落なこと言っちゃ」
「そうか?」
「そうよ。しっかりしなくちゃダメよ。お父様も、お母様も、涼ちゃんには期待してるんだから。……そう言えばまだ聞いてなかったね。お父様も、お母様も、お元気?」
 涼真は、ふと私を見つめた。暗い、おぼろげに優しいまなざしが、私の向こうにある別の私を見つめている。
「セックスしようか。ここで」

 もし、私たちの心のどこかに、本物の理性が少しでも残っていたなら。
 涼真も、私も、絶対に互いの存在を許せなかっただろう。
 そうではないということは、つまり、私たちはもう、とっくの昔に互いに互いの全てを奪い合い、引き裂き合って――

「嫌ならキスでいいけど」
 涼真の眼に映っているのは、私だけだった。
「姉と弟でキスするなんて、おかしいわ」
「変かな」
「変よ」
「じゃ、やろう。セックス」
 涼真は、重ねていた私の手を振りほどいて、両頬を押し挟んだ。
 眼が近づいてくる。遠ざかるテールランプを赤く映し込んだ瞳。私の姿を映し込んだ瞳。
 かつて、どこかで見た。
 赤い、赤い――光。
 私は、眼を閉じた。涼真の静かな吐息が、濡れた唇に吹きかかった。ぞくり、と、首筋から腰の辺りまで、総毛立つような予感が伝い走る。
 欲望の指が、そろり、と頬の線、顎の線、耳朶の裏をつたい這って、喉へと降りていった。まるで、くねる蛇にまとわりつかれたかのようだった。
 涼真の手が、私の首を、ゆっくりと絞める。
 強く。
 強く。

 息が出来ないぐらい、強く。

 レン。
 死のう、恋《れん》。このまま……一緒に。

 声が、聞こえなくなる。

 涼真は腕を巻き付けるようにして私を抱いた。間近すぎるほど間近に私へと押し迫り、半ばのしかかるようにして迫りながら、ふっと笑って首を振る。
「……本気だと思った?」
 私は笑って首を振った。涼真はいつも冗談ばかり言って私をがっかりさせる。いっそ本当に殺してくれたら、地獄の底まで一緒にゆけたのに。
 いつか、きっと、必ず。
 願いの代わりに、愛おしい唇をかさねた。
 最初は、普通に。すぐに互いに互いの吐息のすべてを与える。声が、もれる。あさましいあえぎが、濡れた糸になって、口の端からこぼれて落ちる。
 涼真の舌が、私の舌にからみついて、埋めつくしてゆく。
 口蓋を舌先で執拗になぞられ、愛撫され、思わず喘ぐ声を、もっと深いキスにふさがれる。呑み込まれる。互いにせめぎ合う肉塊が、口の中でぬるぬるとうねりあっているかのようだった。舌を、舌で押さえ込まれ、声も、出せなくなって。感じるのは、口の中をまさぐられる熟れた感触。すべてを奪われてゆくのにも似た淫靡な感触だけだった。
 涼真は私の背後に回り込んで両手で腰を回し抱いた。手すりに、ぐっと全身が押し付けられる。
「声を出すなよ」
 手が、何の予告もなく下着の下へと滑り込む。
「ぁっ……!」
 私は、身体をふるわせた。羞恥心に耐えきれず、頬が、あつく、火照り出す。
 指の腹が、濡れた肉の窪みに沿って、ぬぷりと滑り入った。もうあふれるほどに女の蜜で潤みきっていた部分を、茹だるような熱を、涼真の指が容易に這い回っている。
 指が、うごめいている。ゆっくり、ゆっくりと、入り込んでくる。そうしながらも、他の指は、おそろしい力で私の恥丘を鷲掴んで。

 ぁっ……あ……
 私……もう、息が、いやらしく乱れ始めてる……

 涼真の指が、逃げる私の腰を追った。淫猥な指先が、ぬるぬるに濡れそぼった花弁を左右をかきわける。

「……んっ……う……!」
「よがるなマジで。通行人に聞かれるぞ」
 もっととろとろにやわらかく濡れた肉の、その、奥。
 触れられただけで、電流を流されたような狂気へと変わる私の身体を、肉襞の壁を、わずかに曲げた指の背が、ゆるり、ぬるり、小手先に愛撫して。
「ぁっ……涼ちゃん……きもち……いぃ……」
「声出すなって言っただろ。恥ずかしいな」
 くすくすと涼真は笑っている。
「股は閉じたままにしておけよ」
 耳にするのも恥ずかしい、卑猥な言葉がささやきかけられる。
「そのほうがもっといやらしく感じるだろ。淫乱な女みたいでさ」

 びくり、と腰が、ふるえた。淫乱……ひどい……私、淫乱なんかじゃ……! あっ……あんっ……感じる……触られてる……あそこを、わたしのあそこ……涼真の、指に、くちゅくちゅこねまわされ、広げられて挿れられて中を、中を……

 くちゅ、

 ぐちゅ、

 ぺちゃ、ちゅぷ、

 じゅぷ、ぐじゅ、ぴちゅ、にゅる、ぴゅる、

 恐ろしく緩慢に愛撫され、撫で回され、指先でゆるゆるこすられ、こすり上げられ、刺激され……

 ぁん……あっ……あっ、あっんううんっ……気持ちいい、きもちいい……ぐじゅぐじゅして、身体の奥が、ぎゅううって、ひっ、いい、いいの……っ! こわれちゃいそうっ、あっ、ひぃ、いっちゃう、はぁ、っ……!

 陰部に蠢く指を突っ込んだまま、涼真が耳打ちする。

「姉さんの××××、そんなに気持ちいい?」
 ……あ……ひんっ……いいっ……ちがう……!
「ヨソに聞こえるぞ。こんな、いやらしい音させてさ」
 人目も気にせずに感じて、感じまくって、身体のけぞらせて、よがって――
「やっ……ぁあん、もういいのっ……いいの、そこがいいの……あぁあんぐちゅぐちゅして……もっとして……!」
「本当にいい?」
「いいの、いい……して、してぇ……おねがい……」
「×××突っ込んでもいい?」
 耳元の声が、ぞっとする誘惑を囁き入れる。
「ヤッてるとこ、誰かに見られちゃうけど――いい?」

 スカート……後ろから……めくり上げられて、下着脱がされて……
 身体を、手すりに、押し付けられて。
 前の――
 いちばん、かんじるとこを、ゅるゅる触られ……てる……
 あ……あっ……

 い、いや、やっぱり嫌……ぁっ……!

 涼真は私の首筋に、ふっと吐息を吹きかけた。それだけでびくっ、と背筋が凍るように震える。感じてしまう。
「ぁっ……んっ!」
「”姉さん”って……いやらしいカラダしてるよな、ホント」
「……やだ……しちゃ……ぁっ……いゃぁっ……!」
「大丈夫大丈夫、こんな人目に付くとこで本番まではヤッたりしない。ちょっと指でイかせるだけだから」
「……う、ぅ……ん……やだ……!」
「指だけだって言ってんのに。不満か?」
「ぁっ……んっ……んんっ……!」

 う、うそ……お尻の側からも、手が、入って……
 後ろから……お尻……凄い力で鷲掴みにされて……広げられて……

 そ……っちは……やだ……あ……触っちゃ嫌……ぁっ……あん……ぅ……っ……!
 ぬるり、と。
 前の穴と、同時に、後ろの窄みへ。
 指が。
「案外、簡単に入るもんだな。痛かったら言えよ? ほら……前と後ろ、同時に動かすぞ?」

 ゃ……あっ……入っちゃっ……!
 ぁ……あっ……! 嫌……あっ……あっ、……

 う、そ……

 指が罪深い連動を始める。前と、後ろの……淫乱な肉の壁を挟んだだけの穴の中を……どろどろ……にすりあわされ、交互にかき回されて……!

 あひっ……ぃ、ぃっ……!
 ぁん、ああん、何、なに、ぁ……だめ……ひど……ぁっ、あっ、あ、ああ、っ……!
 も、やだ、あ……こんなとこ、見られちゃ……誰かに、誰かに……あっ、あっ、ぃっ……きもちい……いっちゃう……はずかし……やめて……あ、あっ、イク……ひ……い、い、イっちゃう、あ、あ、涼ちゃん……!

 絶望と快楽の底が、抜ける――

 身体の中が、まだ、ひく……、ひくん、と。
 痙攣を繰り返している。
 指なんかではもう我慢できなかった。今すぐ、裸にされたかった。忘れたかった。頭の中が真っ白になるぐらい、いやらしく、あさましく、おぞましく穴の奥まで広げ晒した姿勢で縛りつけられたかった。子宮という子宮、口という口、穴という穴に、欲望の槍を突き立てて欲しかった。ほとばしり出るほどに突き破られたかった。繋がるという言葉すらおこがましい獣欲の行為に縛り付けて欲しかった。口にするのも憚られるようなことをして欲しかった。あの私を、私自身の中から引きちぎって破り取って捨てて欲しかった。中から私を突き破って、私ではないものになるまでばらばらに壊して欲しかった。

「レン」

 気が付いたら、私は、涼真の腕に抱かれて泣いていた。私を抱いたその手で、涼真は、私を抱きしめている。
「帰ろう」
 私は、かぶりを振る。帰りたくない。ずっと甘い夢の中にいたい。たとえそれが悪夢だったとしても。
「だめだ」
 嫌。知りたくない。見たくない。今いる場所が現実でさえなければ、自分などどうなっても構わない。私は夢の中にいる。何も失ってなどいない。ずっとここにいさえすれば。
「帰るぞ。いいな」
 すべては夢。すべては幻。何もかもが、嘘。
 私は、抗う。本当は抗っても無駄だと知っていながら、抗う。忘れてしまいさえすれば、夜は過ぎ去る。
 自分の姿を見るのが、怖かった。自分の過去を知るのが、怖かった。いずれ来るであろう絶望の夜明けを、涼真と一緒に迎えることだけが――怖かった。
「帰ろう、家に」
 涼真は遠い夜景を見ていた。その瞳に映るのは、赤く濡れる色。甘い夢の色。父の、手の色だった。


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