" お月様
お月様にお願い! バレンタイン番外編

恋の赤ずきんちゃん


 ……と、思いきや。

 いつまで待ってもルロイは近づいてこない。
 シェリーはこっそりと薄目を開けた。ちらっとルロイを盗み見る。
 目の前にまで近づいて、情熱的に微笑んでいるはずのルロイの姿はどこにもない。
「あ……あれっ?」
 きょろきょろする。ふと眼がテーブルに留まった。
「あ……!?」
 ルロイはいつの間にかテーブルに戻っていた。シェリーが作ったデザートの果物ジュレの皿を手に、あんぐりと口を開けている。
「うまそーーー! いただきまーす!」
 とろんと柔らかいデザートが、あっという間にルロイの大きな口の中に吸い込まれた。一瞬、顔全体が酸っぱそうにくしゃくしゃとすぼまる。
「す、す、す……!?」
「あ、あの……お口に合いませんでしたでしょうか……?」
 おずおずと訊ねる。とたん、ルロイは濡れた狼みたいにぶるぶると全身をふるわせて残りを一気に掻き込んだ。
「うひょーーうんめぇーーー! シェリーの作ったジュレ、最高にうめーよ!! あまずっぱい初恋の味だよ!!」
 最高の笑顔でぺろぺろ舌なめずり、お皿までぴかぴかに舐め回している。
「えっ……?」
 シェリーは、ぽかん、とした。完全にひとりよがりの待ちぼうけ、である。
「あ、いえ、その……おいしく召し上がって頂けましたようで……良うございました……」
 かろうじてそれだけをつぶやく。褒めてくれたのは嬉しい。確かに嬉しいが、すっかり打ちのめされた気分だ。にこにこと、こわばった相づちを打って微笑みながらも、シェリーはテーブルにがっくりと手をついた。
(うう、完膚無きまでに誘惑失敗! 発情してないルロイさんの食欲はマジで容赦ないです……)
 首を垂れ、力なくうなだれる。
(もしかして、わたしには……女の子としての魅力が……ないんでしょうか……)
 ぐすっとしゃくり上げそうになる。悔しさのあまり強く握りしめたテーブルクロスの模様が、にじんだ涙のせいでかすれて見えた。肉に負け、スープに負け、今またゼリーにも完敗するとは。王女の面目丸つぶれである。
 シェリーは唇を噛みしめた。握りしめた手が、不安に震える。だが……
(いいえ! こんなことで弱音を吐いてたまるものか、です!)
 気丈に顔を上げる。不屈の闘志。決してあきらめない。不可能を可能にする、それが恋のミラクルインポッシブル!
「……ルロイさん、お話があります……」
「へ? 今度は何?」
「わたし、もう我慢できませんっ!」
 シェリーは両手で勢いよくテーブルを叩いた。身を乗り出す。椅子が背後に蹴立てられた。けたたましく転がる。
「はい? 何だよシェリー、急にいきなり。スープが冷めちまうぞ?」
 ルロイは眉をハの字に引き下げる。困惑の表情だ。ここで攻撃の手を緩めてはいけない。シェリーは矢継ぎ早に声の矢を繰り出した。
「スープが冷めるのと愛が冷めるのと、ルロイさんはいったいどちらがいいんですかっ!?」
 ルロイの上着のすそをつかんで、真剣なまなざしでせつせつと訴える。
「えええっ!?」
 ルロイはたじたじとなった。気圧されて椅子から転げ落ちる。
「先ほどからなまめかしくもうっふんあっはん秋波を送っているというのに、ルロイさんと来たら、わたくしには見向きもしないでばくばく食べてばっかり! わたしと、ごはんと、いったいどちらが大切だというのですかっ!?」
 強引に詰め寄る。ルロイはじりじりと後ずさった。
「いや、あの、シェリー……も、もちろん君に決まってるよ。でも、でもだよ? スープが冷めたらおいしくないだろ……?」
「スープはいつでも暖め直せますっ! でも、わたしの情熱は一度冷めたらもう二度と暖められないんです!」
「……そ、そんな大変なこといきなり言われても、えっ……ええええ!?」
「こんなに積極的に誘惑してるのですから、せめて熱意に免じて、ちゅーぐらいしてくださったって良いはずではありませんかっっ!」
「いや、その、ちょっ……誘惑!?」
 追いつめられたルロイの背中が壁にぶつかる。構わずにシェリーは鬼気迫る表情でぐいぐいと迫った。
「よろしいですか? 狼さんが大きな口をしているのは!」
 両手を大きく振り回し、自分と、テーブル上の料理とを交互に指し示す。
「……『赤ずきんちゃんを食べるため』なのであって、決して『赤ずきんちゃんより先においしいごはんをぱくつくため』ではないのですっっ!」
「うっ……!?」
 それ以上逃げることができないと分かって、ルロイは青ざめた。
「わ、わあっ……待って、俺、今、発情期じゃないし……!」
 シェリーを押し戻しながら、情けない声を上げる。
 テーブルががたんと音を立てて揺り動かされる。卓上のランプが不穏にゆらめいた。炎影が走り、緊迫した黒い影が壁に映し出される。
 迫る影。
 あたふたとのけぞる影。
 追う者と、追われる者。
 シェリーは強硬な態度を崩さなかった。ぶるぶると頭を振る。
「ですからどうぞ、わたくしをお食べになって! ひとくちで、ああんっと! そうしてくださらないと困るんですっ」
「あっ、シェリー……あっ……待てってば!」
「待てませんっ!」
「何でっ!?」
「チュウしたら何がどうなってこうなってムニャムニャ! というわけで、何だかもう本末転倒のような気もしますが、きっと事が成就したあかつきには、疲れて寝ちゃうはずですっ! その隙にこっそり作戦を実行するのでっ……!」
「……作戦って何」
 ルロイが怪訝に聞き返す。
 シェリーはあわてて手で口を塞ぐ。余計なことを口走ってしまっては元も子もない。
「いいえ、何でもありませんっ!」
「……シェリー」
 ルロイはため息をついた。手を伸ばしてシェリーの頬に添え、指先をすべらせて、唇に触れる。シェリーはびくっと首をひっこめた。真っ赤に膨れあがっていた憤りが、みるみるしぼんでゆく。
「ぁ……」
「そんなに怒らないで、落ち着いて? 俺、シェリーのこと、大好きだよ?」
 くすぐるような、優しい指先が唇を伝う。
「はっ……はい……」
 シェリーは頬をそめた。触れられるだけで抵抗できなくなって、身体の力が抜けてゆく。
「ぁっ……」
「こっちにおいで」
 ルロイは床に座り込んだままの姿勢でシェリーの手首を取った。そっと引き寄せる。
「一緒に座る?」
「……あ、あの、いえ……」
「遠慮しないで、ほら、力抜いて」
 ルロイはシェリーの身体を膝と胸ですっぽりと包むようにして横向きに座らせた。
「あ、あの、ルロイさん……?」
 ルロイはくしゃくしゃになったシェリーの髪に指を梳き通らせ、優しく撫でた。髪の束をほそくかき分けて、そっと耳打ちする。
「言われなくたって、いつだって俺は君のことで馬鹿みたいに頭がいっぱいで……今だって恥ずかしいぐらい……情熱的に君のことを考えてる。今すぐ身体中にキスしたい。何もかも脱ぎ捨てて、むちゃくちゃに君を抱きたい」
 握った手首を持ち上げ、とくん、とくん、血の通う脈の位置に、唇を押し当てる。
「狼に戻って、君を裸にして……君の眼を見て、君の喘ぐ声を聞いて、君の身体を味わいたいって……思ってる」
「あ……!」
 シェリーは声もなく頬を赤らめた。掴まれた手首が、震えだしそうになる。心臓がどきん、と大きな音を立てた。