お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

月の民の王ロード・ネメド

 庭は一面、真新しい雪で埋め尽くされていた。新雪を一歩一歩、踏みしめて歩く。きゅっ、きゅっ、と野ねずみが鳴くような音がした。
「うーん、変ですねえ? やっぱりルロイさんはいらっしゃいません」
 シェリーはしばし考え込んだ。立ち止まって、まばゆい景色を見回す。
 点々と続く自分の足跡。それ以外は、真っ白。
「さては……またまた密室トリックですねっ!?」
 大好きなミステリー小説の主人公になったつもりで、片眼をほそくし、あちらこちらに指で狙いを定める。
「俗世から隔絶された謎の洋館! 音もなくしんしんと降りしきる雪、閉じこめられた宿泊客に迫る謎の影! ああなんと言うことでしょう! 行方不明のルロイさんは今いずこ!」
 シェリー自身の足跡のほかには、家から出たことを示す痕跡はない。どうやらルロイは雪が降り止む前に出かけてしまったらしかった。
「まあ、普通に考えればおでかけですよね……でも、こんな朝早くから、いったいどちらへお出かけになられたのでしょう? 困りました」
 シェリーはルロイを探しにやぎの小屋に行ってみた。赤い首輪をしためすの白やぎが、首を振り振り、挨拶をしに寄ってくる。
「べえええええ……」
「おはよう、やぎさん。あら、もう敷きわらを綺麗に掃除してもらったのですか? 早いですね」
 使ったままの掃除道具が、放ったらかしで立てかけてあった。道具を入れるロッカーは半分開きっぱなしだ。シェリーは肩をすくめ、ほうきや熊手をしまおうとロッカーに近づいた。
「べぇぇぇぇ……」
 やぎがシェリーのスカートをくわえた。腹が減った、とばかりに、もぐもぐとスカートの端を食べはじめる。
「あ、あの、スカート食べないで……」
「べぇぇぇぇぇ……」
「ひゃぁんっ引っ張っちゃだめですっ!」
 ルロイがいないと分かれば長居する必要もない。あわてて外に出る。
 シェリーは首をかしげた。
「にわとりさんの小屋でしょうか?」
 朝から井戸端会議で騒がしくしているめんどりの小屋を見つめる。
「うーん……?」
 鳴き声からすると、たぶん違うように思った。ルロイがにわとり小屋に入ったら、あんなのんびりとした鳴き方ではすまない。それでも、一応は確認はしておかなければ。
 そっと小屋の戸を開ける。きぃ、と、錆び付いたちょうつがいが軋んだ。おそるおそる中をのぞき込む。
「あっ、卵」
 珊瑚色した卵が目に入った。腰をかがめ、割らないよう注意深く拾い上げる。
「……卵がこうやってまだ”無事に”残っているということは、やっぱりルロイさんはこちらには来ていらっしゃらないということで……?」
 はたとひらめく。
「いや待て、ちょっと待てですよ?」
 シェリーは目を輝かせた。
「いらっしゃらない、ということは、すなわち!」
 うみたての卵を大切に抱いて、家に駆け戻る。
 頬を上気させてキッチンへと向かう。
「ルロイさん、いらっしゃいますか?」
 視線をあわただしく左右へと向ける。返事はない。
「いらっしゃったらお返事してください! こっそり隠れてるなんてズルは無しですよ? いらっしゃいませんよね? 間違いないですよね?」
 戸棚を勢いよく開ける。棚から新聞にくるまれたおやつの数々が降りかかってきた。
「まさに棚ぼた! 千載一遇のチャンスです」
 昨夜、あれほど熱望してやまなかった瞬間が、こんな思いも掛けない形で転がり込んでくるとは! 期待が胸一杯にふくらんで、今にもこぼれ出しそうだ。わくわくが止まらない。
「これは……」
 シェリーはまじまじと新聞に見入った。
「新しい本の広告ではありませんか?」
 昨日は気が付かなかった三行広告欄に目を奪われる。社交界に身を置く貴族の娘なら皆、隅から隅まで舐めるようにして読み耽るという、ゴシップの宝庫だ。
「えっと、なになに……?」
 別に目が悪いわけではないけれど、いかにも読書好きである、という高尚な気分を装いたいがために、度の低い鼻眼鏡をちょこんと乗せ、眼を近づける。
 「”探偵王女とルーン卿の優雅なお茶会 恋のカンタリスティーを召し上がれ?” うわあ激しく読みたいです! ……でも」
 広げた新聞の裏側に、黒々とした文字が透けて見えた。あわてて目をそらす。シェリーは、読みたい本の広告部分だけをちぎり取って、ていねいに折りたたんでそっとポケットへ収めた。残りは見なかったことにしてくしゃくしゃに押しつづめ、元の場所へと隠してしまう。
「本のことは置いておいて、さっそく始めましょう」
 腕まくりをし、材料の数々をテーブルに広げる。たちまちテーブルの上はおいしそうな彩りでにぎやかになった。
「まずは、ルロイさんが大好きな骨!」
 腕よりも太い骨を、じゃーん! とバトンのように振り上げ、くるくると回す。
「そして、リボン!」
 骨に結ばれた真っ赤なリボンが、ひらひらとらせん軌道を描いて空を泳ぐ。
「続きましてフーヴェルおばさまが苦心して手に入れてくださった、ちょっぴりビターな味わいのチョコレート!」
 茶色の塊を両手で掲げ、くるりと爪先で回転。
「その他もろもろ、骨付き肉型のお手製チョコレートとなるはずの材料一式!」
 用意された品をうっとりと見つめる。しあわせのあまり、笑顔がにへらにへらとこぼれた。
「えっと、レシピ、レシピは、と。ああっ、ありました!」
 走り書きされた紙切れがチョコと骨の合間に挟まっていた。フーヴェルおばさんが書き留めておいてくれたものだ。
「助かります、おばさま! ありがとうございます! ええと、なになに……? 『チョコレートを細かく刻み、湯せんでゆっくりと練り溶かしたのち、お砂糖たっぷり生クリームをチョコレートとすり混ぜ、冷やし固める』。なるほどー! そのあと、バームクーヘンみたいにくるくる巻いて、骨付き肉の形にととのえ、しかるのちココアパウダーを」
 ふと、口をつぐんだ。
 眼をしばたたかせる。
「よもやとは思いますが……万が一、ということもありますし。ちょっと材料を確認してみたほうがよさそうです」
 レシピと見比べながら、材料に眼をやる。割れチョコレート、骨、生クリーム、ココアパウダー、ありんこ。
「えっ?」
 どきっとした。眼を見開く。
「今、何やら、気のせいか……他と決定的に違うものが混じっていたような……?」
 シェリーはぶるんと頭を振った。
「いいえ、まさか。ここで焦ってはいけません。もう一回、ちゃんと確認です」
 ひとつひとつ声に出し、指さし確認しながら材料の点呼を始める。
「えっと、割れチョコレートよし。生クリームよし。でっかい骨よし。それからココアパウダーに、お砂糖……」

 お砂糖ポットから、小さな頭がにゅっと飛び出した。つぶらな黒い瞳。ちっちゃくて短い触覚。せわしなく振る頭のてっぺんに白い結晶を乗せ、えっちらおっちら運びだそうとしている。その様はまさしく……

「……ありんこーーーッ!?」

 衝撃の事実だった。お砂糖ポットから、ぞろぞろと黒い列が伸びて窓の外にまで続いている。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!? ありんこが! うそっ、何で!?」
 シェリーはお砂糖ポットを引ったくった。逆さにして必死に振る。
「お砂糖、お砂糖、お砂糖は無事ですかっ!?」
 だがどんなに振っても振っても、落ちてくるのは頭に白い結晶を乗せたありんこばかり。
「あああ! カラッポ! 全部盗まれちゃいました……! 完全にすっからかんです……」
 がたがたと椅子をなぎ倒しながら、テーブルに突っ伏す。
「ちょっとぐらい残してくれてたって……」
 事ここに至って何たる大失態……どんよりと重くたれ込めた暗雲を背負ってうなだれる。
 昨日の出来事が、走馬燈のように切なく脳裏を過ぎ去った。
 森を越え、遠く遙かな村まで行って、ようやく手に入れた材料。
 お菓子作りの時間を作ろうと必死にルロイを誘惑した夕べ。
 壮大な計略を立て。
 度重なる失敗にもめげず。
 何度も当たっては砕け──
 ついにチャンスを見いだしたと思ったら、最大の障壁が目の前に立ちふさがっていた。

 生チョコレートを作るのに、お砂糖がないとは。

「お砂糖もカラッポ。心もカラッポです……」
 シェリーは気落ちし、しょんぼりと椅子に腰を下ろした。テーブルに両肘をついて、手で顔を覆う。
 覆った手に隠れた表情が、苦笑いの形にひきつった。
「わたしったら、やっぱり……最後の最後で、よりによってこんなへまをしちゃうなんて」
 押さえた手の下から、震える声がこぼれ落ちる。
 だがすぐにシェリーは握った手の甲で涙をぬぐった。
「いいえ、まだ時間はあります。泣いても笑ってもお砂糖は戻ってきません。もし涙が混ざってしまったら、せっかくの甘いチョコレートがしょっぱくなってしまいますもの」
 シェリーは頭を振った。決意を込めたまなざしで、カラッポの壺を見つめる。
「かくなる上は、ルロイさんがお留守のうちに、もう一回、フーヴェルおばさまのお店におじゃまして、分けていただくようお願いするしかありません」
 椅子を押しやって決然と立ち上がる。
 普通に歩いても、片道で一時間以上はかかる道のりだ。ルロイが戻ってこないうちに、となると、なるべく急いで行かなければならない。
「……走っていくしかありません」
 壺を持って行こうと手を伸ばしたそのとき。
 小屋のめんどりたちが羽ばたいて逃げまどう物音が聞こえた。
「えっ……?」
 ぎくりとする。
「大変です、ルロイさんが帰ってきたのかも。ど、ど、どうしましょ」
 シェリーは泡を食って右往左往した。あたふたと背後を気にしながら、とりあえずテーブルの上に置いてあった壺を胸に抱きしめる。
「えっと、この壺、えっと、どうしよう、あわわ、はやく片づけなくっちゃ……!」
 庭を横切って近づく気配が感じ取れた。小屋の中のやぎが、切羽詰まった鳴き声を上げる。いつもの間延びしたような声とはまるで雰囲気が違う。警戒の声だ。
「ちょっと待ちなよ」
 尖った声が聞こえた。シェリーは眼をみはる。
「あれは……?」
 顔を上げる。
 窓の外を誰かが横切った。雪を蹴散らして駆け寄ってくる。
 ルロイと同じとがった三角の耳と、ふさふさした茶褐色の尻尾を持つバルバロの美少女だ。すらりと背が高く、スタイルも良い。頬に、バルバロの娘が好んで付ける赤い呪術化粧を施している。
「うるさい。俺の邪魔をするな」
 低い声が聞こえた。家の外で言い争っている。
「そうは行かないわよ。ちゃんと話つけてくれるんでしょうね? シェリーがあんたやあたしのことでややこしい口出ししてこないように……きゃっ!」
 突き飛ばされたのか、壁にぶつかる音がした。
「黙ってろ、シルヴィ」
 騒然と声が入り乱れる。
「今のはルロイさんの声……? シルヴィさんと一緒に……って、どうして?」
 なぜか、ぞくっとして。
 息が止まりそうになった。