お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

月の民の王ロード・ネメド

 かまどの火が風にあおられ、火の粉を散らした。脂を被った薪が音を立てて爆ぜる。
「でさ、カレンダーに丸つけて、何か秘密の計画立ててたらしいんだけど……それが何の記念日なのかがさっぱり分かんねえんだよ」
 ルロイは身振り手振りを交え、口早に今までの次第を説明した。グリーズリーはむっつりと口元をゆがめてかまどの火を睨んだ。腕組みして息をつく。その表情は半分が火に照らされ、半分は暗いままだった。
 ものものしくうなずく。
「なるほどね」
「知ってるのか?」
「だいたいの見当は付いた。アルマも同じ事を言ってたよ」
 グリーズリーは最後の串焼きを手に取った。
「何だって、アルマが? あいつに聞けば分かるんだな!? 分かった、聞いてくるっ」
 ルロイは、椅子代わりにした木箱のスツールを蹴っ倒して立ち上がろうとした。
 グリーズリーは鼻に皺を寄せた。おざなりに手を振って引き止める。
「馬鹿、やめとけ。今、アルマんとこ行ったらむさぼり食われちまうぞ」
 ルロイは身震いした。ふくよかな肉を揺らして迫り来る巨大アルマ。……あまり想像したくはない光景だ。
「だったら代わりにお前が説明してくれよ」
 ぶっきらぼうを装って腰を落ち着かせる。グリーズリーはぎくっとした顔で身を退いた。気まずそうに目線を泳がせながら、かすかに頬を引きつらせる。金属の光が赤く反射した。
「あー、いや、そのー……何だったっけかな?」
 白々しくとぼけながら指の先でほっぺたを掻く。
「知らねえのかよ!」
「いや、だから違う、そうじゃなくて知ってるって。ええと確かバランバラン……」
「バラバラ!?」
「いや、バキンボキンだったかな? それともボヨンボヨン……」
「はぁ? 何だそりゃ」
 ルロイは苦虫をかみつぶしたような顔で唸った。グリーズリーは頭を抱えた。
「ちょっと待て。ええとちくしょう何だったかな、げふんげふん、じゃねえ、でろんでろん……でもねえ……あはんうふん……」
「ますます遠ざかってんじゃねえかよ! てめえ、名前も分かんねえのに知ったぶりすんなよ」
 じれったさに地団駄を踏む。グリーズリーは脂汗を流して唸った。
「うるさい、静かにしてろ。もうここまで名前が上がって来てんだよ、邪魔すんなよ……」
「あああ、我慢できねえ、今すぐ出せ!」
「まだだっつってんだろ!」
「遅ッせえよ、早くしろよ、なあ、まだか? なあ?」
 いらいらして急かす。
「ええい、このクソ狼が、黙ってろ!」
「うっせえこっちはもう待ちきれねえんだよッ! 今そのあはんうふんデーが何の記念日か分かるか分からないかで、俺の一生ぶんの幸せが決まるんだッ!」
 ルロイは身震いして怒鳴った。グリーズリーは骨付き肉を振り回して言い返す。
「黙ってろ馬鹿! そもそもお前が何にも知らねえのが悪いんだろーがっ!」
「うっせえ知るか! 知らねえもんは知らねえんだよ、文句あっか!」
 縄張り争いする野良犬みたいに、互いにけんつくを食わせあい、がるるると喉の底で唸って激しく火花を散らす。
「ふん!」
「ふんっ!」
 互いにぷいとそっぽを向く。グリーズリーは骨を後ろに放り投げた。小馬鹿にした顔で、にやにやと笑う。
「ま、俺は別に思い出さなくてもいいけどねー?」
 指についた脂を舐め取る。グリーズリーはそらぞらしいため息をついた。
「あーあ、かわいそうだなー? シェリーちゃんはー? こんな、大切な記念日の意味も知らねえ発情馬鹿の面倒見なきゃならねえなんて」
 横目でチラチラと軽蔑のまなざしをくれる。ルロイは歯ぎしりした。
「うるせえ、だから、知ってるならもったいつけてねえでさっさと教えろって言ってんだろ!」
 グリーズリーは意地悪に肩を揺らした。横っちょを向いて、ふふんと鼻であしらう。
「へーえ? マジで知らないんだ? ふーん? あっそ、ごめーん、やっぱり俺、知らねーかも?」
「ぐぬぬぬ……てめぇ、とっとと白状しやがれ!」
 悔しさに顔を紅潮させ、グリーズリーの胸ぐらを掴んで耳元で怒鳴り散らす。
「あーあー? こんな礼儀知らずの奴の声なんて聞こえなーい」
「このおたんこなす!」
 ルロイは悶々として唸り声をあげた。言い返そうにも言い返せない。髪をかきむしって、じったんばったんと身をよじらせる。グリーズリーはどこふく風だった。
「へっへーんだ、知るか、ボケ。てめえ、それがひとにものを聞く態度か、ああ?」
「うっせえ! てめえ、アルマから助けてやった恩も忘れやがって!」
「べーつにぃー? 誰も助けてくれとは頼んでないしー?」
 グリーズリーは喜々としてそっぽを向く。
「あああそうかよ分かったよ、たわし尻尾野郎! てめえなんかに誰が聞くか!」
 ルロイはグリーズリーを突き飛ばし、決然と椅子代わりの木箱を蹴った。捨てぜりふを残して荒々しくきびすを返す。木箱が横倒しになって蓋がはずれ、中の薪束が散乱した。
「もういい、帰る!」
 苛立ちまぎれに薪を蹴飛ばす。
「あっそ。ふーん?」
 グリーズリーは涼しい顔でエールをひとくち飲んだ。挑発の目線をちらちらと投げかける。
「勝手にしろ。シェリーちゃんに一生嫌われててもいいんなら、な?」
 にやにやと笑っている。ルロイはぎくりとして立ち止まった。
 絶句する。
 ぎごちなく振り返る。かまどの中に、黒ずんだ炭が転がっていた。燃え残りが灰に落ちる。名残惜しげな火の粉が散った。だが、それだけ。一度潰えた炎はもう二度と──よみがえらない。
「うっ……」
 冷え切ったかまど。ぬくもりのない家。愛の果てた……孤独と追憶。
「うわああああ嫌だよおおお、そんなの嫌だぁぁぁぁぁあ!」
 ルロイは脳裏に浮かぶ連想を追い出そうと、頭をかきむしって悶絶した。
「やーいやーい礼儀知らずはとっとと帰れー」
 グリーズリーは意地悪にはやし立てる。
「ああああ分かったよ頼むよ頼むから教えてくれ! いいや教えてくださいグリーズリー先生! 一生のお願いですっ!」
 ルロイは情けない顔で駆け戻った。倒れ込むようにしてグリーズリーの膝にすがりつく。
「うわわっ、くっつくな! 離せ馬鹿!」
 グリーズリーはルロイがしがみついた足を振り回した。指輪を嵌めた左手で顔を掴んで押しやる。
「うっせえこうなりゃヤケだ! いててて、誰が放すもんか、こんちくしょうっ!」
 ルロイはげしげしと顔を蹴られながらも、しがみついたまま頑として離れない。
「頼むよグリーズ、痛ぇっ! 教えてくれよ! 知りたいんだよ、あいたっ! 舐めろと言うなら尻尾も舐めるからっ!」
「やめろアホ! キモいんだよこの変態野郎ッ!」
 グリーズリーは冷や汗をかきながら怒鳴った。
「分かったよ、くそったれ! 聞いてやるから股に頭突っ込むな! 離れろボケ!」
「やった! やっぱ持つべき者は物知りの友だよなあ! さすがはグリーズ、次期族長候補! 我が心の師匠よ!」
 ルロイはきらきらと眼を輝かせ、ぱっと立ち上がった。両腕をいっぱいに広げ、グリーズリーに飛びつく。グリーズリーはルロイに押し倒されてじたばたともがいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁあ寄るな、やめろっ!」
 ルロイのみぞおちに強烈な膝蹴りを食らわす。
「ごへっ!」
 反撃を受け、ルロイはくぐもった呻きをあげ身を折った。ばったりと倒れる。
「馬鹿! お前はまったく、しつけのなってない犬か! だいたい俺は族長なんかになる気は……教えてやるからとっととそこに座れ!」
 グリーズリーは手の土埃をはたきながら刺々しく言う。
「はい……」
 ルロイは無条件に手を出した。
「お手しなくていいっ!」
 グリーズリーが笑いながら怒鳴る。
「まずは落ち着いて俺の話を聞け」
「うん……」
 ルロイはしゅんとして耳を垂らし、尻尾を巻き込んでうなだれた。よろよろと身を起こし、正座する。グリーズリーは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「そもそも何でわざわざ俺たちのところに聞きになんて来たんだよ。直接、シェリーちゃんに聞けば良かっただろ?」
 じろりと睨み付ける。
「うん、まあ、そうなんだろうけど……でも」
 ルロイは萎縮した眼を伏せた。居心地の悪さにもじもじと上体を揺らす。
「シェリー、最近ちょっと疲れてるみたいだったから、毎晩早めに休ませてたし……」
「何だと!? シェリーちゃんとずっとヤってねえってのか!? よりによってお前が!? シェリーのシェって聞いただけで発情してたケダモノ中のケダモノのお前が!? この世が終わるのか!?」
 グリーズリーは素っ頓狂な声を上げた。眼玉が飛び出しそうになっている。言い返す気力もなく、ルロイは肩を落とした。
「だってさ、何かすごい……わくわくしてるのが分かってさ、嬉しそうにいっぱい明日の計画しててさ……なのに何ていうか……俺のほうが分かってないなんて、申し訳ない気がして、聞くに聞けなくなっちまってさ……」
「馬鹿か、てめえ」
 グリーズリーはじろりとルロイを横目に睨んだ。
「もう”明日”じゃねえよ」
 親指を立てて、むっつりと背後を示す。
「見ろ」
「えっ」
 ルロイはぎょっとして飛び上がった。血相を変え、振り向く。
 いつの間にか、すでに東の空はしらじらと明け始めていた。
「あーーーーーーっっっ!!?」
 山の稜線をまばゆいばかりの暁光が縁取っていた。朝の光がとろりと盛り上がって、空へとあふれ出してくる。
「やっべ、もう朝じゃん! うわ、いったいいつの間に!」
 あわてふためく。
「何よ、ルロイ。あんたまだこっちにいたの」
 からかうような甘ったるい声が背後からのんびりと掛かった。
「こんな大切な日に傍にいてあげなくていいのかしら」
「アルマ!?」
 グリーズリーがぎくりと顔色を変えた。真っ赤なベビードール姿のアルマが、ぽっちゃりとした腰を揺らしながら近づいてくる。
「うふ、見ぃつけた♪ 愛しのダーリン♪ 今朝も素敵ね」
 丸太のような手が伸びてきてグリーズリーを引っ掴む。
「ぎゃあっ」
 一瞬でグリーズリーの姿が目の前から消え失せた。スイカよりも巨大なおっぱいがぶるん、ぶるん揺れながらグリーズリーの頭を飲み込んだ。
「う、うぐっ、アルマ助けて、ごめん、息が……できな……げふっ」
「あら、おっぱいにちゅっちゅしたいの? うふふ、分かったわ、ほら、あーん」
「いや、そうじゃな……から……でかすぎ……放して……んぷっ! ぐぐぐ……苦し……」
 空を掴んでもがくグリーズリーの手が、アルマの柔らかいおっぱいにうずもれる。
「ぁふん、素敵♪ そんなに激しい舌使い……もう、ルロイの前だっていうのに、見境ないんだから♪」
「あぶぶぶぶぶぶ……!」
「アルマ」
 ルロイはおっぱいに溺れるグリーズリーには目もくれなかった。
「聞きたいことがある」
「あら、どうしたの、かしこまって」
「こんな大切な日、って何だ?」
 アルマの表情がなまめかしく変わった。こぼれんばかりの欲情に眼が妖しく揺れる。
「知りたい?」
 ルロイは無言でアルマを見返した。アルマは腰をくねらせた。息を吸い込み、誘うような上目遣いで小首を傾ける。
「……そんなに知りたいなら、教えてあげてもいいけど」
 首をすくめる。ルロイは表情を険しくした。
「けど?」
 指に巻き付けた髪を、くるん、とほどく。アルマは下唇を舐めた。声も上げずに笑う。
「条件次第では、ね」