お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

塔の上のシェリー


 松明を持ち、銃を背に回し掛け、槍を手にした兵が二人、緊張の面持ちで歩いていた。道の行く手をできるだけ照らそうと、なるべく光を前に突き出している。それでも照らし出される足元以外はせめぎ寄らんばかりに暗い。ざわつく不穏の風ばかりが実体もなく周囲を取り巻いていた。
 風が道端の木を揺らした。衣擦れのような音がすり抜ける。足音がざくざくと重なる。
 一人が背後を振り返った。怖じ気づいた顔で左右を見回す。広場の方角にある空は、遠くからでもあかあかと火事のように明るかった。
「夜回りさするはええけど、誰もいねえだら」
 振り返れば闇だ。恨めしそうな口ぶりでつぶやく。もう一人は強がってけたたましく笑った。
「ばーか。来るわけねえだら? それにもし来たってバルバロなんざどうってことねえだら。来たらぶっ飛ばしてやるだら! なあ?」
「も、もちろんだら。バルバロなんか、おら一人でぶちのめしてやるだら」
「でも一匹なら何とかなりそうなもんだろうけんども、百匹ぐらい群れて攻めて来たらどないすべえ?」
「それは困るだら。もし来たらどないするだら、なあ? なあ?」
「ほれやっぱりおめえさも怖がってるんだら!」
「こっ、怖がってなどいないだら! これはありとあらゆる事態を想定する過程における脳内演習だら! 常に最悪を想定して行動するのが最善の策なのだら!」
「やたら反論するところを見ると、やっぱ怖いんでねえか。今さら言ってもどうもこうもねえだら。バルバロが来ないのを祈るだけだら」
「うううバルバロかあ……おっとろしい事になっちまっただら」
「あんのむすめごの処刑が始まっちまうまで、もう時間がねえだ……」
 兵士の一人が不安げに空を見上げる。
「気持ち悪い月だら……はぐ!?」
 不安に揺れ動く明かりがふと、何かの影を照らし出した。いきなり黒い手が伸びて兵士の襟首を掴む。兵士は木陰に引きずり込まれた。
「な……!?」
 鈍い殴打音がした。がらりと音を立てて、槍だけが道の中央に転がってくる。
 持ち主の姿は、影も形もない。
 道に一人で取り残された兵士は、恐怖の面持ちで立ち止まった。周りを見回す。松明の火が壊れたように揺れた。だが、どこを照らしてみても相方の姿はない。
「ど、ど、どないしたんだら? 急にいなくなったりしてよう。おーい、返事するだら、どこだら?」
「今なんて言った?」
「何だら、急に怖え声出して」
 暗がりに金色の光がぴかりと反射した。兵士はほっとしつつもぎくりと声を呑んだ。
「処刑って言わなかったか」
 声のした方向に松明の火を差しつける。火に照らし出された範囲がぶれたように震えた。
「どこにいっただら? さては怖くなって急に腹が痛くなっただら? そんなところでウンコしてはいけないだら。もしウンコ踏んじまったらそれはそれは皆に恨まれるだら……」
 顔の皮膚が笑いの形に貼り付く。
 いきなり別の方向からにゅっと手が伸びた。肩を掴まれ、ぐいと向きを変えさせられる。
「こっち向け」
「え……?」
「腹が痛いんなら早退していいぞ」
 脳天めがけて銃の台尻が打ち下ろされる。兵士は何が起こったのか分からぬままくずおれた。
 松明が地面に転がった。じりじりと燃え続ける。
「誰がウンコなんか踏むかよ」
 ルロイは屈み込んで松明を拾い上げた。振り返る。
「そっちの具合は」
「問題なし」
 暗がりで人影が動いている。グリーズリーとシルヴィが二人がかりで失神させた兵士二人を物影に引きずり込むところだった。手際よく装備を剥ぎ取り、ぱんついっちょの状態で猿ぐつわを噛まし、手足を縛り上げてぽいと道端の茂みに捨てる。
 シルヴィがふくれっ面で腰に手を当てた。
「ちょっと、あたしの変装は?」
「女を襲って服を剥ぎ取れってか? 冗談きついぜ」
 ルロイは帽子を被って耳を隠した。昼間の散々たる経験から、ばれにくい変装のコツは既に掴んである。
「いいか、頭隠して尻隠さずだ。顔を隠すと、なぜか逆に怪しまれるんだよ。だからこうやって耳だけを隠せば」
「尻も隠せよ」
「それもそうか」
 ルロイは強引にグリーズリーの尻尾をつかんだ。
「ぁぁぁひゃぁぁあああぁぁぁ!?」
「黙って入れさせろ」
「ちょ、待て……何すんだよ!」
 グリーズリーはたじたじとなった。腰砕けになった抗議の声を上げてもがく。
「いいから尻を出せ」
「あっ、やめろって、強引に引っ張るな! む、む、無理、あ、あああ……そんなとこに入るわけねえって……やめ……アッーーー!」
 じたばたするシッポを強引に掴んでぱんつに押し込む。ルロイは手をぱんぱんとはたいて腰に当て、満足げにうなずいた。
「よし、これでいい」
「ああん……俺もう……生きていけない……こんなシッポにされて……!」
「変な声上げないでよね」
 シルヴィが軽蔑のまなざしをくれた。耳を隠すようにバンダナでくくっている。ルロイはにこやかに訊ねた。
「お前のも入れてやろうか?」
「いらない!!!!」
 シルヴィは真っ赤な顔で怒鳴り返した。
「何だよー、せっかく手伝ってやろうって言ってんのに」
 ルロイが自分のシッポをズボンの中に押し込んでいる間、グリーズリーは居心地悪そうにその場でぐるぐるしていた。まるでシッポを追いかける犬のようだ。
「何やってんだよ」
 グリーズリーは怖じ気づいた目を向けた。おっかなびっくりで肩をちぢこめる。
「ルロイ……あの……俺……」
「はっきり言えよ」
 ズボンにむりやりシッポを押し込めたせいで、股間全体がおむつみたいにもっこりとふくらんでいる。
「ここの位置がどーにも気になってさ……うまくまとまらねえんだよ……」
「馬鹿が伝染る。来ないで」
 シルヴィが冷たく言った。ルロイは目を丸くした。
「あれっ、何でお前だけもっこりしてねえんだ」
「あんたとは違うのよ」
 シルヴィはぷいとそっぽを向いた。尻尾はどこへ行ったかというと、まるで毛皮のベルトみたいにきっちりと腰に巻き付いている。
「そんなのどーでもいいから早く広場に行くぞ」
 先ほどの兵士たちがぽろりと漏らした言葉を思い出す。
 処刑。
 ルロイはグリーズリーの背中を押しやった。本当のことを言うと急かされているのは自分のほうだ。
 もう時間がない──
「ねえ、本当に行くの。罠かもしれないわよ」
 シルヴィの不安そうな声が引き留める。
「もし、アドルファーが何か企んでたとしたら……」
「危険は百も承知」
 ルロイは気持ちを押し殺し、平然と遮った。兵士が担いでいた荷物の中身をかき回す。
「それっぽい荷物を担いで行ったほうがいいよな。まず槍はもらっていこうか。それから、ええと、弾に火薬もいる」
「あたしは銃なんて持ちたくない」
「分かってるって。あとはロープに包帯に……いや包帯はもうこりごりだ……それから何だこりゃ。薬草の匂いがする。お酒かな?」
 口の狭くなった壺をちゃぷちゃぷと振ってみる。シルヴィが鼻をくんと言わせた。たちまちしかめっつらになる。
「変な匂い。ヨモギみたい」
「まあいい。もらっていこう」
 適当に持ち物を見つくろい、担ぎ上げる。闇に狼の目がぎらりと瞬いた。
「細かいことは気にすんな」
 くいと親指を立てて空を指さす。
「そんなことより、今夜は満月だ。最高の夜を楽しもうぜ」
 白銀の月がひょっこりと顔を出した。まぶしいぐらい丸い。夜空が青く見えるほどだった。
 シルヴィはやれやれと肩をすくめた。
「もっこりぱんつがえらそーに言う台詞じゃないから」

 広場は騒然と行き交う人々でごった返していた。
 中央に櫓が組まれ、その前でごうごうと火が焚かれている。火の粉が散って、煙があがっていた。人々は、皆、こってりと赤くすすけた顔で櫓を見上げ、口汚く怒鳴っていた。
 むせかえる火の臭い。
 鉄の臭い。
 火薬の臭いがした。
 シェリーは打ちのめされたような心地になって、それらの光景を見つめた。
 いったい何が起ころうとしているのだろう。
 こんな時でもめざとく商売をする気なのか、広場のはずれに荷車が何台も集まってのぼりを立てている。串焼きを出す店、酒を出す店、肉パイを出す店。
 後ろから走ってきた誰かに突き飛ばされる。シェリーはよろめいた。一言の謝罪もなく、男が強引に傍らをすり抜けていった。手に銃を持っている。
 時間ばかりが過ぎていく。
 若い女の人たちが集まって、噴水の横で抱き合って泣き崩れていた。傍らの男たちは、慰めの言葉もなく立ちつくしている。
 まるで、戦争みたいだ。
 つるべ落としに日が暮れ、気が付いたらいつの間にかすっかり夜になっていた。足元からこごえるような冷気が這い上ってくる。
 寒い。だが、手がどうしようもなくかじかむのは寒さのせいだけではない。
 突風が吹いて、目にごみが飛び込んだ。シェリーは顔をそむけた。足元に破れた新聞が落ちている。人々の靴に踏みにじられた新聞だ。号外として配られたのだろう。あちらこちらの地面に、同じ紙面のものが大量に投げ捨てられている。
 あの新聞を見れば、何が起こったのか分かるかもしれない。
 おずおずと身をかがめる。視線を低くすると、歩き回る男の人たちの姿が、黒くそそり立つ森の木のように見えた。
 行き交ういくつもの足が地面を踏み鳴らしている。広場全体が、どよめきと地響きの乱打に振動しているように思えた。
 手を踏まれないよう、気をつけながらそっと伸ばす。
「……、」
 また誰かに背中を突き飛ばされる。シェリーはふらついた。くしゃくしゃに踏みにじられた新聞が靴に蹴られ、踏みにじられ、遠くなる。
「……、……!」
 必死に手を伸ばす。
 すみません、通してください、お願いします。
 声に出して言いたいのに、伝えたいのに、肝心の声が出ない。
「っ……!」
 誰かに手を踏まれた。悲鳴も出ない。手を引き抜こうにも、踏んだ相手はまるで気付いていないか、無視している。
 動けない。痛みに涙がにじんだ。
 そのとき、背後から誰かが近づく気配がした。影が背中に被さってくる。
 肩に手が置かれる。シェリーはぎくりとした。
「そこで何をしているのかな、迷子のお嬢さん」
 からかうような声が降った。