お月様にお願い! 番外編 恋の赤ずきんちゃん

塔の上のシェリー

 まるで触手みたいに次から次へと手が伸びてくる。耳を引っ張られ、シッポを引っ張られ、ほっぺたをぶにゅううううと引っ張られる。
「ええいこんなところでヘタレてたまるかーーー!」
 ルロイはばふんと鼻息を荒げ、地面に貼り付いた身体を持ち上げた。兵士の山が傾く。
「う、うわっ」
「何だこいつ……動くぞ!」
 ぐらぐら揺れる敵兵の山から、しがみつき損ねた者がぽろぽろと剥がれ落ちる。
「ふんぬぬぬぬ……ッ!」
 ルロイは顔を真っ赤にして立ち上がった。大量に積み重なった兵士の山を十把一絡げに頭上へ持ち上げる。全身の腱と筋肉とがめきめきと音を立てた。
「バルバロの馬鹿力をなめんな! どおりゃあああ!」
 放り投げた。団子になっていた兵士たちが、地面にぶつかったとたんバラバラと投げ出される。
「くそっ、逃がすか!」
 それでもまだあきらめない兵士が何人も数珠繋ぎに連なって足首にしがみつく。ルロイはげしげしと蹴飛ばして振りほどこうとした。
「手を離せ、しつこいぞっ!」
「火事場の馬鹿力とはこのことだな」
 グリーズリーが駆け寄ってきた。ルロイの足にくっついていた金魚のフン状態の兵士を労せずして引っぺがし、ぽいぽい放り投げる。
「よーしよくやったルロイ。俺発案の『当たって砕けろ』作戦、見事大成功だな!」
 したり顔で、ふふんと胸を張る。まるで全部が自分のお手柄だとでも言いたげだ。ルロイは食って掛かった。
「どこが大成功だよこの爆弾魔! てめー、俺まで殺す気か!」
「だからできるだけ高く昇れって言ったろ」
 素知らぬ顔であっさりいなす。
「アホか! そもそも自分が昇ってる櫓自体を吹っ飛ばす奴があるかーーー!」
「はっはっは、狼もおだてりゃ木に登る」
「ふざけんなー! どーしてくれんだよ、このシッポ! ちりちりアフロじゃねーかよ!」
「斬新じゃないか。可愛いぞ」
「イヤだあああ俺の華麗なもっふもふを返せーー!!!」
「ギャーギャーうるさい。シッポなんて飾りですよ」
 迫るルロイの顔をしれっと払いのける。グリーズリーは白々しくお手上げの仕草をしてみせた。
「馬鹿と煙は何とやら。煙と一緒に昇天しなかっただけでもありがたく思え」
「何だとーーーっ!!」
 怒鳴った拍子に焦げたシッポの毛がぽろっと落ちる。
「ぎゃーーー俺のシッポがーーー!」
「逃がすな。追え。こっちだ! 先回りしろ!」
 絹を裂く呼び子の音が響きわたった。笛と足音が騒然と入り乱れて迫る。グリーズリーは首を鶴のように長く伸ばして遠くを見た。
「ほら見ろ。お前がさんざんハゲ散らかしてる間に見つかっちまったじゃないか」
「ハゲハゲ言うなこの爆弾魔! 馬鹿なこと言ってないでとっとと逃げるぞ」
 ルロイはうずくまった少女の手をあわてて取ろうとした。魔女の仮面が半分ずれて、目元がわずかにのぞく。
「……ん?」
 目を瞬かせる。今、何か……
 もう一度見返そうとして、声を飲み込んだ。焼け付く視線を感じて、顔を上げる。
 グリーズリーの背後に、白いシャツに黒ベスト、黒スラックスに蝶ネクタイという給仕人の装いをした男がいた。他の連中とは明らかに様相が違う。兵士ではない。だが。
「どうした?」
 グリーズリーがきょとんと尋ねる。男は表情を変えもせず、身体を半身にして拳銃の狙いを定めた。グリーズリーを狙っている。ぴたりと向けられた銃口には寸分のぶれもない。
「グリーズ、手を挙げろ」
 ルロイは苦々しく言った。グリーズリーはおうむ返しに聞き返す。
「は? 何で手なんか挙げ……」
「いいから黙って」
 ルロイは声を押し殺し、目配せで背後に忍ぶ危険を伝えた。グリーズリーはまるで背伸びするみたいにうーん、と身体を伸ばしてから、両手を頭の上で組んだ。身体の向きを変え、ルロイと背中合わせになる。
「あーあーまったく、最後の最後になって下手こいちまうとはなー。ずいぶんと焼きが回ったもんだ」
 うんざりした顔で、いけしゃあしゃあとつぶやく。
「いよいよ絶体絶命な予感。どうする?」
 グリーズリーが肩越しに耳打ちしてよこす。ルロイは苦笑いした。
「良い方法があるならこっちが聞きたいよ」
 周囲に兵士が集まって来た。危険を告げる本能が警鐘を鳴らし続けている。うなじの毛がちりちりと焦げたように逆立った。
 銃を構えた青年の背後に、仲間らしき者の姿が見える。ずいぶんと小柄だ。よほど息を切らしているのか、胸に手を当て、肩で何度も苦しい息をして、うつむいたまま顔も上げようとしない。
「人質を取るぞ。いいな、ルロイ」
 グリーズリーが目配せを送ってよこす。ルロイは何をどうしろと言われたのか分からないまま、あいまいに相づちを打つ振りだけをして見せた。
「ああ、分かった」
「よし、じゃあ口裏合わせ、適当に頼む」
 念を押したあとグリーズリーは青年に向けて憎々しげな声を張り上げた。
「近づくんじゃねーよ。この人間の女がどうなってもいいのか。銃を撃つよりも先に、コイツが女の首を食いちぎるぞ」
「えっ」
 ルロイは目をぱちくりさせた。
「だ、誰が?」
 グリーズリーは後ろ足でルロイのふくらはぎを蹴った。ひそひそと怒鳴る。
「馬鹿! やつらを脅して道を空けさせるんだよ!」
「そ、そうか」
「分かったら唸れ!」
「う、うううう?」
 ルロイはあわてて喉の奥から威嚇の唸りを上げた。いかにも獰猛な怪物を装って肩を怒らせてみせる。
がるるるるるこんな感じか!」
「うんうん、そんな感じ」
 グリーズリーは仕切り直しとばかりに、ぐるりと勢いを付けて銃を持った青年を振り返った。
「どうだ! いかにも頭が悪……じゃなくて柄が悪そうだろうが! こいつはバルバロの中でも特に絶望的な馬鹿……じゃなくて特に凶暴な悪魔だからな!」
がるるるるーがうがうがうがるるるーー何だとてめーもういっぺん言ってみろーー!」
 グリーズリーは虚勢を張った肩をそびやかせた。額に冷や汗が滲んでいる。
「最初から妙な胸騒ぎがしてたんだ。この女は死刑囚だろ? なのに、たかがバルバロごときにさらわれたぐらいでこんなにもムキになって、やたら大勢で追い回す。どう考えたってこの配置はおかしい。どうせ殺すんなら、わざわざ生け捕りになんてせず、問答無用に射殺しちまえば済む話だ。そうだよな? なのに、そうしないってことはつまり、この処刑自体が他の何者かをおびき出すための」
 グリーズリーは青年を見やった。
「罠、ってわけだ。違うか?」
 ルロイはまた目をぱちくりさせた。
「え、そうなの?」
「馬鹿、黙って唸ってろ」
 ぼかっと殴られる。
がうっ痛えっ! がるるるるるーー何すんだよーー!」
「黙れ。バルバロ」
 青年は表情を変えない。引き金を絞る指に冷ややかな力がこもる。
 グリーズリーは眉をぴくりと持ち上げた。
「どうやら図星だったみたいだな」
 あくまでも強気の態度を崩さず、平然と言い放つ。
 ルロイはちらりとグリーズリーの横顔を見やった。神経のすり減るような時間が過ぎてゆく。
 こんなやさぐれた言いぐさはグリーズリーらしくない。
 ということは、時間稼ぎか。
 男は銃の狙いを定めたまま、無言でこちらを睨んでいる。
 ルロイは全神経を集中させて周りの様子を窺った。
 背後に庇っている仲間。背格好から見て、間違いなく女だ。こうなってしまった以上、折を見て反撃に転じ、この場を切り抜ける以外にすべはない。
 おそらくグリーズリーは、相手の仲間を人質に取れと言っているのだろう。仲間を庇えば隙ができる。その機に乗じて脱出すれば、あるいは──
 ルロイは妙にいたたまれなく、やるせなく思った。
 結局、バルバロも人間も仲間を守りたいという気持ちに違いはない。なのに、こんなささいな行き違いのせいで争いが生じてしまう。
「動くなと言った」
 男は冷然と警告を発した。
「彼女を離せ。さもなくば撃つ」
 声に反応したのか。うつむいていた男の連れがびくりと肩をふるわせた。

 シェリーは顔を上げた。ニーノがエマ・フーヴェルをさらったバルバロの一味に銃を向けている。まさか、本気で撃つ気では……!
「やめてください」
 とっさに押しとどめようとして、無我夢中でニーノの腕に飛びつく。
「だめ。撃たないで」
「何してるんだ、危ない。暴発する……」
 ニーノはまとわりつくシェリーを振り払おうとして怒鳴った。バルバロの一人が声を上げた。
「今のうちだ。逃げるぞ、ルロイ」
「でも……」
「いいから早く来い!」
 ためらうもう一人を無理矢理引っ張って、身をひるがえす。
 ニーノはシェリーの手首を掴んで払いのけた。声を荒らげる。
「いい加減にしろ。君は自分が何をしているのか分かっているのか」
「きゃあっ……!」
 シェリーはのけぞって地面に倒れ込んだ。腰を強打して悲鳴を上げる。手首にからめたチョーカーの鎖が切れてどこかへ飛んでいった。
 シェリーをふりほどいたニーノは笛を再びくわえて高々と吹き鳴らした。
「化け物どもを逃がすな!」
 シェリーはチョーカーを目で探した。あった。
 駆け寄って屈み込み、両手をおずおずと伸ばして拾い上げる。飾りの表面は土で汚れ、ひどく傷がついていた。シェリーは飾りについた傷を指先でこすってみた。取れない。シェリーは涙をぬぐった。光沢を失ったチョーカーの飾りを、それでも強く、ぎゅっと握りしめる。
 こみ上げる嗚咽を噛み殺し、ニーノを睨みつける。
「違います。バルバロは、あのひとは、化け物なんかじゃ……!」
 チョーカーが、光る。
 かぼそい声が緊迫の空気を跳び越え、魔法のように耳へと、届く。
「今の声……!」
 ルロイは半分つっ転びながら立ち止まった。急に制動をかけたせいで足元の土が蹴立てられる。
 あわてて確かめようと四方を見渡す。斧をひっさげた兵士が、必死の形相で追いすがってくるのが見えた。いない。どこにもそれらしき姿はない。焦って頭を振る。
「そんな馬鹿な。そんなはずは」
 目を皿のように見開いて周りを探す。
「何やってんだルロイ。止まるんじゃない。同じ手は二度と通用しないぞ」
 先を行くグリーズリーがあわてふためいて駆け戻ってきた。額に緊張と興奮の脂汗がにじんで、前髪が変な形に貼り付いている。
 ルロイは首を振った。理屈抜きで呆然とつぶやく。
「だって今、後ろからシェリーの声が」
「ああ、もう、お前がシェリーちゃん好きすぎてピンクの幻影を見るようになったのはもう分かり過ぎるぐらい分かったから!」
 グリーズリーはルロイの腕の中を指差しながら地団駄を踏んでまくしたてた。
「頼むから、よりによってこんな絶体絶命、生きるか死ぬかの瀬戸際でわけのわからないたわごとを抜かすのは止めてくれ。シェリーちゃんなら今そこに、お前の手の中に……って」
 そこで──信じられないものを見たような顔をして、口をあんぐりと開いた。
「……え?」
「へ?」
 ルロイは虚を突かれ、腕の中の少女を見下ろした。